06/The chase & crash《3》

 アスファルトに食らいつき、揺らめく炎のなかで背後の景色を透かしたジェリー=ハニーが立ち上がる。それはまるで蜃気楼に命が芽吹いたようで。


「ヤッデグレルナ、解毒屋風情ガァ……ッ!」


 蜃気楼から響く怨嗟。白濁した瞳に迸る憤怒。燃えて破れたワンピースが炎に呑まれ、滑らかな肢体が光の屈折で浮かぶ。


「「オトモダチェ…………」」


 別の場所では轢殺された蛙のように、床に沈んでいたメルティ=フレンドリィが身体を起こす。疣の浮く身体に食い込んだ砂礫が落ち、千切れたノズルからは血と強酸が混ざり合って垂れた。

 双方が臨戦態勢。深夜の立体駐車場に、肌を裂くような緊張が満ちていく。

 雨が弱まりつつあった。

 新たな一日が迫っていた。

 だが今日を超えられるのは、強者だけ。

 目的も、思惑も、関係なかった。

 ただ純粋に持てる力の全てをもって戦うだけ。もしこの場に公龍がいれば、存分に暴れられるこの状況をさぞ喜んだに違いないと、アルビスはふと思った。


「手筈通りにいく。準備はいいな」

「よくなくても、待っちゃくれねえ。そうだろ?」

「よくなければ死ぬだけだ」

「そいつは御免だ! やってやんよっ!」


 銀が回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターで胸の医薬機孔メディホール深緑色エバーグリーンのアンプルを打つ。サングラスの奥の目つきが変わり、アドレナリンが過剰分泌されることで脳が肉体にかけている制御が次々に解除されていくのが傍から見ていても分かる。

 一方のアルビスは即効の筋肥大を引き起こす鈍色ガンメタルのアンプルと、効果の切れていた若竹色ペールグリーンのアンプルを投与。鍛え上げられた肉体がさらに肥大――筋肉の鎧をアルビスに纏わせた。左腕を曲げて伸ばし、感触を確かめた。溶けた筋肉や神経の全ては治癒していないが、無理を通せないダメージではない。


「馬鹿の一つ覚えか」

「うるせえ。俺様はこの特殊調合薬カクテルしか身体に合わねえんだよ」

「まあいいさ。足だけは引っ張ってくれるなよ、銀」

「てめえ、わざとだろ? 俺様の名はシルバーだと何度言ったら分かんだ?」

「幼稚な思考は理解に苦しむな」

「かっこよくて妬けるって言えよっ!」


 アルビスと銀は同時に、逆方向に走り出す。

 真正面から突っ込んでくるアルビスに、ジェリーの触腕が鋭く伸展。しかし本来ならばほぼ不可視の攻撃も、揺らめく炎が発する光がその輪郭を際立たせている。

 急減速して上体を反らす。胸の上を通過した触腕が上昇――急旋回して依然上体を反らしたままのアルビス目がけて振り下ろされる。尖端の刺胞に触れれば一瞬にして毒を流し込まれ、じきに行動不能になる。

 アルビスは胸の前を通る腕を掴み、迫る刺胞への盾とする。自分自身を抉るかたちになったジェリーだが、水分ばかりの肉体は苦痛を感じることもなく、容赦なく自らの腕を貫いてアルビスを仕留めんと迫る。

 しかしアルビスはバク転で後退。地面を掠めた触腕の切っ先が撓り、執拗にアルビスを追尾。さらに別の触腕もアルビスの背後から迫る。

 ジェリーへ向け、虚を突くように飛来する狙撃。ジェリーはアルビスへの攻撃の中止を余儀なくされ、即座に飛び退いて動物的な反応で狙撃を躱す。

 だが回避した先に、アルビスの姿。身を捻り回避予測にカウンターを見舞おうと左脚を伸展させる。アルビスはそれさえ読んでいたと言わんばかり、円を描く独特の歩法で刺突を受け流し、ジェリーの腹に渾身の掌底を叩きこむ。

 体内へ流し込まれる衝撃。ジェリーの身体が背中から破裂し、夥しい水をぶちまける。

 公龍の血の斬撃は効かず、特殊調合薬カクテルも意味を為さない。だが身体の内部の破壊を神髄とするアルビスの八卦掌ならば、ジェリーの無敵の肉体にもダメージを負わせることができた。

 危険を感じたジェリーは触腕を上の階へと伸ばして退避。瞬く間に収束を始めた触腕に引かれ、ジェリーの姿が立体駐車場の外へと消えていく。


『……深追い、危険。大丈夫、一つ上の階に、いる』


 立体駐車場の東側、大きな通りを挟んで隣接するビルの屋上で狙撃銃型注射器モデル・スナイピングを構える花からの報告。

 アルビスはジェリーを追った足を止め、次の攻撃に備えて周囲の気配を警戒する。

 攻撃は間を置かず、アルビスの左右から空気を裂く音もないのに高速で迫った。

 走り出したアルビスは停車していた車のボンネットを滑って乗り越え、車体を力任せに立てて防波堤とする。垂直に曲がってアルビスを追尾していた触腕はそのまま車に激突。飛沫となって舞い散っていく。

 だが背後から三本目の触腕。気取ったアルビスは刺突を紙一重で躱すも、車の無防備なエンジン部分が貫かれて爆発。まるで意趣返しと言わんばかり、広がった火焔がアルビスを呑んだ。

 アルビスは全身を焼かれながらも炎から逃れる。燃えるシャツの火を叩き落として消し、フロアに蔓延る触腕から本能的に身を隠す。触腕はまるで回遊魚が水中をたゆたうかのように、絶え間なく宙を巡り、アルビスを探しているように見えた。


「奴にはこちらが見えているのか?」

『……たぶん、肯定ヤー。でも、見てる、よりも、感知、に近い』


 方法は何であれ、こちらの位置が割れていることが問題だ。距離を取られれば取られるだけ、不利になるのはアルビスのほうだ。


「了解した」


 ふと昔を思い出す。

《東都》に来るまでの日常。強さを手に入れるため、傭兵として自らを昼夜問わずに戦火へと晒し続けた日々。

 いつ死んでもおかしくはなかった。事実、共に戦った者は次々と散った。だがアルビスは生き残った。そして今日も――。こんな場所で、終わるわけにはいかない。


   †


「うおおおららああああっ!」


 地面を蹴った銀は真正面からメルティに飛びかかると見せかけ、寸前で横に回避。吐き出した強酸が銀のいなくなった空間へと撒き散らされ、床と天井を溶かしていく。

 銀は車の影に隠れながら、一瞬にしてかたちを奪われていくアスファルトを盗み見て息を呑んだ。


「何なんだよ、ありゃ。あんなバケモンとやり合えとかイカれてんだろうが、アーベントの野郎」


 メルティとか言うふざけた野郎が何者なのかは分からないが、まともに戦っていい相手でないことはよく分かる。普通の人間が勝てるわけがない。解薬士は確かに特殊調合薬カクテルの恩恵で人の域を超える力を手にするが、それは言ってしまえばドーピングと何も変わらないのだ。


「「イーヒヒッ、イーヒヒッ」」


 メルティは四足歩行でゆっくりと歩き、銀を探して周囲を見回している。先のような不意打ちを警戒しているのかと思いきや、吊り上げられた両頬の唇には獲物を追い詰める嗜虐と愉悦に満ちている。それは威勢よく飛び出しておきながら、早々に身を隠した銀を侮っているようで、ほんの少し腹が立った。

 だがほんの少し。侮られるのも仕方がない。アルビスや公龍に比べ、それどころか並みの解薬士と比べてさえ銀が弱いのは事実で、メルティという人の理から外れてしまったバケモノにビビっているのも本当なのだ。

 アルビスの前では舐められまいと息巻いてみせた。虚勢を張った。本当は怖くてどうしようもない。

 自分の命くらいいくらでも懸けてやると啖呵を切った。だが言葉で言うのと実際の行動で示すのは大違いだ。死にたくないと、心の底では思っていた。

 だが突き立てまくった無数のハリボテのなかにも、真実はある。

 花を守る。たとえそう願うことがおこがましいほどに、銀が弱くても。全身が恐怖に打ち震えても。それだけは譲れない。

 必要なのは覚悟。そんなもの、とっくにしたから銀はここに立っている。


「畜生。上等だ。やってやんよ、おうこら」


 銀は深呼吸を繰り返す。手の震えは止まった。膝はまだ少し笑っていたが、それでも自らの覚悟を確かめることはできた。もう大丈夫だ。


『……お兄、三時の、方向』

「わかってる。任せとけ。……援護、頼むぜ」


 やはり少し情けないだろうか。守ると誓い、覚悟を抱き、それでいて尚、彼女の才覚を頼りにするのは。

 だが花は通信回線越しに優しく笑った。苦しみを背負うからこそ、色々な場面で人に劣り、頼ることでしか生きられなかった少女だからこその。


『……任せてよ、お兄』


 銀は花の声に背中を押され、車の影から飛び出す。すぐ目の前にはメルティの姿。その不気味な顔貌へ向け、銀は渾身の力で特殊警棒を振るう。


「「オトモダチッ!」」


 メルティの反応。警棒を握る腕を前足で掴まれ、投げ飛ばされる。銀は地面を激しく転がりながら別の車に激突して止まる。見上げれば、天井に張り付いたメルティがこちらを、強酸を吐き出す。


「うおおおおっ」


 銀は慌てて飛び退き、強酸を回避。代わりに犠牲となった車がどろりと溶け、熱と煙を発しながら崩れ去っていく。

 覚悟を決めたはずの銀はやはり回避一手に追い込まれながら、だがメルティの変化を見逃さない。吐き出す強酸に添えられた薄っすらとした赤。銀の不意打ちによる内臓の損傷。つまり当たりさえすれば、銀の攻撃がメルティに通用することの証左だ。


「必要なのは成功体験ってか……。随分とこの俺様を買ってくれてるじゃねえのっ!」


 銀はこの立体駐車場のどこかで戦っているであろうアルビスに向けて吐き捨てる。思惑に乗せられた気がして腹が立ったが、不愉快ではなかった。あのアルビス・アーベントが、経緯はどうあれ、この自分の力を見込んでいるのだ。


「控えめに言ってクソうぜえなぁ、おい!」


 銀は駆け出し、車のボンネットを蹴り上げる。ブーツの靴底で柱の側面を捉えながらメルティに飛びかかる。これもまたアルビスの真似のようで癪だが、他に方法は思いつかなかった。

 振り上げた警棒はメルティが飛び退いて躱され、天井を穿つ。躱された刹那、メルティに足を掴まれた銀は地面へと叩きつけられる。衝撃が全身を貫き、銀は声も出なければ呼吸もできない。だが死に物狂いで警棒をメルティの手首へ叩きつけ、高振動波の衝撃で拘束から逃れる。

 本来ならば骨が砕け散ってもいい衝撃のはずだが、メルティの腕は多少痺れた程度で大したダメージが見られない。もっとクリティカルに、強打の一撃を見舞い続けなければならなかった。


「人間らしいところが全然ねえよっ!」


 銀は強酸を警戒してすぐに柱の陰へ。メルティは銀が逃げ込んだ柱を強酸で溶かし、膂力と分子間力を利用した立体機動で銀の正面へと回り込む。

 メルティに花の狙撃が飛来。狙撃は躱され、何かのアンプルは虚しく地面を穿ったが、ほんの一瞬だけメルティの意識が銀から逸れる。銀はメルティが強酸を吐き出すより早く、特殊警棒を地面に叩きつける。砕けた床の破片が飛散して周囲へ殺到。メルティは飛び退いて反転/天井を足場にして殺到する破片を回避。その一瞬の隙を突くように、銀は別の柱の陰へと移動する。

 善戦はしているが、このままではジリ貧だ。この均衡はギリギリのところで保たれているに過ぎず、些細なきっかけ一つで確実に銀は突き落とされる。

 まともに戦えば勝てるはずがない。ならば一か八か、勝負に出る他にない。

 覚悟を見せろ。言葉ではなく、行動で。


「花ちゃん、もう一発、あのバケモンの動きを止められるか? 一瞬でいい」

『……肯定ヤー。お兄、がんば』


 その言葉で、銀の腹は決まった。


「かっこいいとこ、よく見とけよ」


 再び飛び出す。小細工なし。正面からの突撃。メルティの視線が銀を捉え、強酸が噴射される。


「うぉぉぉおおおおおおおおおおおうううううらららららああああああああっ!」


 銀は目の前で噴射された強酸に向けて、全速力で突っ込んだ。腕が溶けた。肩が溶けた。頬が溶けた。全身が炎にくべられたような熱を発し、激痛が神経の全てを蹂躙した。

 だがサングラスのおかげで視界は辛うじて保たれた。レザージャケットの下に潜らせておいた特殊警棒もギリギリのところで強酸を免れた。自らの唇を食い千切り、何度も吹き飛びそうになった意識を繋ぎ止めた。

 雄叫びとともに、銀は強酸のなかを走り抜ける。避けないという予想外の行動に、そしてあろうことか強酸のなかを走り抜けてくるという規格外の結果に、メルティの異貌が驚きを垣間見せる。


「はぁぁぁあああなぁぁぁあああああちゃぁぁぁあああああああああああんっ!」


 刹那、驚愕という一瞬の隙を突いて花の狙撃がメルティを捉える。背中にアンプルが突き刺さり、メルティは僅かに痙攣。

 銀は特殊警棒を抜く。溶け出した体組織が勢いよく飛び散る。

 後は気合い。根性。覚悟。そして愛。

 持ち合わせる全てをもって、銀は特殊警棒を振り下ろす。

 振り下ろした警棒がメルティの頭蓋を粉砕。メルティはそのまま地面に叩きつけられ、高振動の衝撃がメルティもろとも地面を破壊する。


「ぅぅらっしゃぁっ!」


 銀の雄叫びに乗って、渾身の一撃が響き渡る。

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