第494話 邪道

 僕たちは不気味なユゴールたちと別れ、当初の予定どおりに村々の顔役たちの元を回った。

 傭兵団を壊滅させたことを告げ、荷車の傭兵を引き渡すと、どの村でも穀物倉庫の物資買い上げには理解を示してくれた。

 もともと、奪われていた小麦なので通常価格の八割程度でも現金に変わるのは嬉しいらしい。

 最初の取引は存外に上手くいき、これは幸先がいいぞと思いながら村へ戻ると、荷を積んで穀物倉庫から戻ってきた荷車の周りをジプシーのテントが取り囲んでいた。

 既に日は沈みつつあるのだけど、今まで隊商で人夫たちに配布していた食事とは全く違う、甘くて香ばしい匂いが辺りには満ちている。

 そうして、過酷な旅の疲れを癒やすため、夕食を済ませると先を争って眠りについていた人夫たちが大勢起きて歩き回っているではないか。

 周囲は宵時の花街にも似た喧噪で、とても昨日までと同じ人夫たちとは思えなかった。

 

「やられましたね、会長」


 荷馬車を配下に任せたグェンがため息を吐きながら言う。

 彼に説明して貰うまでもない。

 昼間のジプシーたちがそこかしこで商売を始めているのだ。ガルダ商会の人夫たちを客にして。

 

「あれ……昼間、断ったよね。確か」


 何度、思い返しても間違いない。

 僕はユゴール相手に、関わらないでくれと言ったはずだ。


「ええ、会長は確かに奴らの申し出を蹴っていました」


 その場にいたグェンもそれを認めるのだから、記憶違いじゃない。

 と、通りの向こうからシアジオが走ってきた。


「アナンシさん、こりゃマズいですよ」


 その眉間には深い皺が刻まれている。

 

「酒に女、飯に賭博。これじゃウチの連中はスッカラカンになっちまいますよ」


 今回の旅路で、人夫たちは出発前には契約金の二割を支払っている。

 半分は戻ってからの約束だが、残りの三割をシアジオが預かり適宜渡しているのだ。

 しかし、特にこんな旅の途中で大勢の者は娯楽や快楽に逆らえない。


「今日だけでも預かり金を取りに来たやつが三十名だ。まだ、旅は始まったばかりなんですよ。このままじゃ、後払いの報酬までカタにして遊ぶヤツも出てきますぜ」


 ううむ、面倒だ。ジプシーの連中は迷宮都市まで着いてくる気でないのなら、おそらくその証文の買い取りを僕に迫るだろう。

 いずれにせよ証文を取られた人夫はこの旅から戻っても一銭も得られないことになる。そんな者が旅の終わりまで着いてくるとは考えられないので、僕は途中でいなくなる人夫の日当をジプシーに払う事になるのだ。


「やぁやぁ、会長さん。これは奇遇ですな」


 シアジオのやって来た方からユゴールがノソリと姿を表した。

 顔には昼間分かれたままの笑顔が張り付いていた。


「ユゴールさん、あなたがたが僕のところと商売をするって話はお断りしましたよね」


「ええ、ええ。残念ですが確かに断られはりましたな」


 フフフと笑いながらユゴールは首肯して見せた。

 ではなぜ、こんなことになっているのか。


「せやから、うちはアンタと商売をしてへんやないですか。怖い顔で見んといてくださいよ」


 低く、よく響く声が明るく告げる。


「ワシら、たまたまおった場所でお店開いとったら、お客さんが仰山きてくれただけですよ。ヨソの人にヤイヤイ言われる筋合いはありませんで」


 つまり、彼らは僕が率いるガルダ商会の隊商を相手ではなく、そこにいる労働者個人を相手に商売をしていると言い張るつもりなのだ。

 

「じゃあ、明日はどこで店を開く気だ?」


 グェンが怒りを滲ませながら聞いた。


「ううん、どこですかね。ワシら旅を住処にする自由の民でっさかいな。お客のおりそうなところを探してあっちこっちと凌いで行きますわ」


「ふざけるなよ、そう言って俺たちを着けてくるつもりだろうが!」


 シアジオが額に青筋を立てるとユゴールの胸ぐらを掴んだ。

 すると、あれだけ強固に張り付いていた笑みがユゴールの顔からスッと消える。

 

「なんやねん、この手ぇは?」


「オマエらみたいなのに付きまとわれるとな、こっちも行程に支障が出るし、士気も下がるんだ。とっとと失せろ!」


 唾を飛ばして詰め寄るシアジオに、しかしユゴールは眉一つ動かさなかった。


「ひっこんどれよ、三下。ワシはオマエんとこの会長と話しとんじゃ。ねぇ、会長。それとも、これもアンタの意思でっか?」


 鋭く細められたユゴールの目が僕に向けられる。

 あまり、揉めたい目つきではない。


「いや……シアジオさん、手を離して」


 シアジオは不思議なほどに僕の言うことをよく聞いてくれる。ユゴールの襟首を離すと、シアジオは僕の横に立った。

 

「さよけ。ほな言うとくが、その兄ちゃんが起こした昼の騒ぎといい、そのハゲといい、まちっとボンクラども躾けときなはれや。ワシが寛大やなかったらえらいことなってるで」


 襟を正しながらユゴールは言う。

 その声にグェンの鼻息が荒くなっていく。

 しかし、昼間も今も、手を出したのがこちらというのは事実だ。


「グェン、シアジオさんも。君たちはもういいから休んでいなよ」


「いや、しかし」


 シアジオは驚いたように僕を見る。

 しかし、彼は忘れているのだ。


「大丈夫。僕はこう見えて、それなりに強いんだよ」


 上空には異変を察知したコルネリも旋回している。特に、対話を求める相手に暴力で遅れを取ることはないだろう。

 シアジオは思わず、欠けた耳に手をやり、頷く。


「すんません。少しだけ頭を冷やしてきます」


 グェンもそう言い残すと、二人は村に貸し出された宿舎代わりの集会所へと向かっていった。


「ほお、人は見かけに寄りませんな。会長さん、腕自慢でっか」


 取り残されたユゴールは僕をなめ回すように尋ねる。


「まぁ、一応。暴力で飯を食って生きてきました」


 そうしていつの間にか、商人としてここに立っているのだ。

 

「頭同士、腹割って話しましょうや。ワシら、別にアンタらの邪魔したいわけちゃうねんから」


 よっこいしょ、と言ってユゴールは近くのベンチに腰掛けた。

 横をバシバシ叩いて僕にも座るように促している。

 僕がそこに腰を下ろした瞬間、隣からブッと大きな音がした。

 驚いて横を見ると、ユゴールがしてやったりの顔で笑っていた。


「ワシの方はホレ、このとおり。腹から尻までとっくに割れてまっせ」


 怪人はただ、放屁で僕を驚かせたのだった。

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