第492話 交錯
二十人ほどの男たちに囲まれて暴れるグェンは押し負けもせずに腕を振り回していた。
さすがに迷宮上がりの達人であって、背後から殴りかかられても目があるかのようにかわして殴りつける。
しかし、感心してもいられない。
揉めてはいけないというのだから、揉めない方がいいのだろう。
止めてもらおうと振り向けば、後ろの荷馬車を御していた用心棒たちもジプシーたちに群がられ乱闘に引き込まれていた。
「アンタたち、みんな強いね」
突然、横手から声がして振り向くと黒髪の青年がぼんやりと立っていた。
よく見れば彼らはいろんな人種が入り乱れているが、その青年はノラと似た黒髪に肌の色をしている。
彼は面倒そうに首の後ろを掻くと、大きなあくびをした。
参加する気も、声援を送る気もないらしい。
「あの、これって止まらないもんですかね?」
僕の問いは、まるで届かなかったように無視された。
と、気の強そうなそばかすの少女が青年の尻を蹴り飛ばす。
「なにボサッと見てんねん。アスロ、アンタも参加しぃや!」
アスロと呼ばれた青年は嫌そうに振り返って少女を見た。
「あのさ、ルドミラ。この人たちはお客さんでしょ。ユゴールさんも揉めるなって言ってたし……」
「うっさいわ。あっちが先に手を出したんやから話は別や。いてこましてこんかい!」
ルドミラと呼ばれた少女は好戦的な表情でアスロの背中をバンバン叩く。
しかし、アスロはあまり乗り気ではないようで、細めた目でルドミラを見つめて口を開いた。
「じゃあ、俺が行ってもいいけど、ユゴールさんに怒られたらルドミラが責任とってよね」
「ええい、グチャグチャと細かい男やのう。余計な事考えてんとはよ行けや!」
ルドミラは苛立たしげにアスロを突き飛ばすのだが、アスロはびくともせずに、ルドミラは逆に後ろにさがってしまった。
喧噪の中、グェンたちに打ちのめされた者たちが倒れていくものの、新たに参加する者もあとを立たず、乱戦は続いていた。
「こら、なにやってんねん!」
低く野太い声が辺りに響く。
見れば鞠の様に腹の出た奇妙な怪人が走ってきていた。
身長は低く、奇妙に愛嬌のある体形と大きな頭部が強烈な男だった。
男は縦縞模様のズボンと革靴、黒い革のジャケットを着こんでおり、口ひげを整えている。
その口をへの字に曲げて喚くものだから、僕はまるで人形のようだと思った。
怪人は慌てて走って来ると、再び大声で制止を掛ける。
しかし、よく通るその声は狂乱にふける連中には届かず、あるいは無視されてまるで効果がなかった。
「やめろっちゅうに、アスロ、どこにおんねん!」
ついに自力での制止を諦めた怪人は振り返ってアスロを探した。
「オヤッさん、ここ。アスロはここにおんで!」
ルドミラは荷馬車に隠れようとするアスロの手を掴み、無理矢理掲げた。
「なに隠れとんねん、アホ! おどれの仕事はこういうときやろが!」
口から唾を飛ばしながら怪人はアスロに詰め寄る。
苦笑を浮かべたアスロも、バツが悪そうに前に出た。
「でもユゴールさん、あいつら武器も使わないしただの喧嘩じゃないですか」
「やかまし! 止めれ、言うたら止めんかい!」
どうやらこの怪人が先ほど会話に出ていたユゴールという人物らしい。
厳命を受け、乗り気じゃなかったアスロがついに揉み合いの中に分け入っていった。
「あの、ユゴールさん?」
僕はすぐそばで鼻息荒く立っているユゴールに声を掛ける。
「ん、なんじゃいオドレは?」
僕に向けられる目つきは剣呑さを濃く孕んでいた。
「ジプシーの代表の方ですか?」
「せやったらなんやねん、小僧。いま忙しいから後にしてくれるか」
吐き捨てる様に言うと、ユゴールは走ってきた方に向かって怒鳴った。
「ハメッド、はよ来んかい! オマエも止めろや!」
そちらにはニヤニヤ笑いながら歩いてくる長身の男がいた。
肩まである様な黒髪を髪留めで背後に留めた色男だ。
「アスロがおるなら大丈夫やって。ワシの出番なんか無いわい」
堂々と言い返し、まったく急ごうともしない。
ハメッドと呼ばれた男の言うとおり、乱闘はアスロという青年一人によって止められつつあった。
グェンたちに視線を注ぐジプシーたちに後ろから、あるいは横から素早く近づき、足払いで転がしていく。
「はい、終わりですよ」
行動とは裏腹に気の抜けた呼びかけをしながら、アスロに転ばされた連中は毒づきながらも乱闘の輪から抜けていった。
しかも、アスロは無造作にこちらの用心棒まで転がしたではないか。
「アンタも、おしまい。喧嘩は終わりました」
迷宮で巨大な魔物と戦い抜いてきた精鋭である。
転ばされた用心棒は驚いた表情を浮かべていたが、毒気のないアスロが差し出した手に捕まって立ち上がるとこちらも乱闘の輪から離れていった。
「あの、ユゴールさん。アスロさんって何者ですか?」
僕の魔力感知で確認するまでもない。迷宮順応を進めた冒険者崩れではない。
単純に強い、ノラの様な男だった。
「ああ? うちの揉め事担当二番手やがな。って、なに気安く話し掛けてんんねん。オマエもアイツらの仲間やったら喧嘩を止めえや!」
渋い表情でユゴールは僕をにらんだ。
「兄ちゃん、目の付け所がええな。アスロはうちで一番強いねんで。そんで、ウチの男やねん」
ルドミラがグェンの座っていた席に腰掛け、誇らしげに言う。
その赤み掛かったクセっ毛と両手にたくさんつけた指輪がいかにもジプシーらしい少女だ。
「アホ。ワシの方が強いがな」
いつの間にかハメッドと呼ばれた長身の男もやってきていた。
「けどまぁ、あの隊商の男もそれなりに強いな」
ハメッドが言うとおり、二人目の用心棒も制したアスロはもっとも熱くなったグェンに近づいていた。
既に十数人が打ち倒され、呻きながら倒れている。
それらを無造作に踏み越えながら、アスロは周囲のジプシーたちを転がしていく。
ついに道は開け、ジプシーが取り囲む輪の中でアスロとグェンは正面から見つめ合うのだった。
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