第485話 善行

 廊下を通って通されたのは奥の広い部屋だった。

 そこには暖炉があり、応接用の机と椅子が置いてある。

 先ほどまで複数の人間がいた匂いはあるものの、他の部屋に隠れてしまったのだろう。室内を見回しても毛布を拾って暖炉の前に陣取るモモック以外の姿は見えなかった。

 

「どうぞ、お掛けください。十分なおもてなしは出来ませんが……」


 よく見れば女性は痩せていた。

 そりゃ、この高地では作物も育たなければ大きな木も生えない。

 流通が滞れば家畜を潰すか備蓄の食料をやりくりしていく以外ないだろう。


「いえ、お気になさらず。私たちはあなた方を救いに来たのです。何もかも、もう大丈夫ですよ」


 グロリアがひざまずき、俯く女性の手を取った。

 しかし、それはグロリア一人、あるいは彼女とその所属する団体の行動であって僕のものではない。

 あたかも僕たちが含まれるかのように私たちと言われると困ってしまう。


「どうぞ。座ってください」


 グェンが耳元で囁いたので、それに従い椅子に座る。

 一人だけ椅子に座るなんて、いかにも責任者みたいだと思ったのだけど、考えるまでもなく今回の責任者は僕なのだった。


「どうも。隊商を率いていますアナンシです」


 僕は女性に名乗り、彼女にも座るよう促す。

 名前については流石に迷宮都市の外でアと名乗るのも面倒しく、またかつてブラントに作ってもらった身分証明証の類が家に残っていたので今回もそれを使うことにしたのだった。


「私はモルテの村で婦人長をしておりますムストと申します。この村では昨秋より代表者がおりませんので便宜上、私が村長のような役割を担っています」


「なるほど、大変ですね」


 おそらく彼女には荷が重いのだろうことは、その表情を見ればわかった。

 だけど僕に出来ることは少ない。


「とりあえず、隊商の滞在許可をください。御心配せずとも自分たちの分の食料は持ってきていますから」


 要は宿舎さえ使わせて貰えれば彼女たちに関わる必要すらないのだ。

 胡乱気な目で見られるのなら、この宿場の住民の為にそれ以上出来ることはない。


「ええと、四百名分の施設使用料はおいくらですか?」


 僕は帳面を出しながら尋ねる。

 人数が大きいので、当然宿泊費も大きなものになるだろう。そうなれば支払いは隊商の会計をつかさどるシアジオがやってくれる。

 しかし、グロリアは不満そうな表情で僕の隣に腰かけた。


「ムストさん、お悩みの様ですね。ここで私たちを引き合わせたのも偉大なる主の御心かもしれません。どうぞ、お悩みをお聞かせ願えませんか?」


 それは優しく、悩む者には耳障りのいい言葉なのだろうけど、僕にとっては面倒を増やす呪詛に聞こえた。


「あの、じゃあムストさんとグロリアさんはゆっくりお話しもあるでしょうから僕たちは外に出ていますよ。先に宿舎に入らせて貰うけど、いいですよね?」


 西方に派遣された際と今では状況が違う。情報は他の村人から集めればいい。

 あまり揉め事に関わるまいと腰を浮かした僕の肩をグェンが抑えた。


「どうせなら少し聞いて行きましょう」


 その目つきはガルダによく似ていた。

 

 ※


 ムストを悩ませる原因は幾つもあり、例えば流通路が途絶えたことによる食料や燃料など資材の不足、怪我人や病人の治療、情報の収集や食料の買い出しに行って帰って来ない村人、領主府の役人が居なくなったあとをどうするべきかなど多岐に渡ったが、もっとも重要なことはやはり、村を襲う略奪者の存在なのだという。

 この辺りが雪に塗り込められる直前ごろ、十数名の連中が来て村のヤギなどを盗んでいったらしい。

 それに抵抗した男衆の何人かが怪我をし、何人かが死んだ。その際、ムストの夫は死亡しているとのことだった。

 襲撃は三度繰り返され、家に入ってきて食料を奪っていくものもいたそうだが、雪の到来と共に賊は来なくなり、雪解けと共に再び襲撃があるのではないかと怯えていたのだそうだ。


「そら可哀そうやね」


 話を聞いていたモモックが言った。

 グロリアも涙ながらに語るムストに沈痛な表情を浮かべて接している。

 ほら、だから嫌だったのだ。

 まるで盗賊退治でもやれと言わんばかりの雰囲気が室内に立ち込めている。

 が、僕はこれでも忙しいのだ。

 たっぷりの食料を集めて回り、迷宮都市へと早めに帰還しなければならない。

 

「十数名くらいの賊なら、僕たちが滞在している間は襲ってきませんよ。安心してください」


 僕はせめて、ムストをなだめる様に言った。

 しかし、グロリアとモモックは非難めいた視線を僕に向ける。


「……じゃあ、怪我人の治療をしましょう。僕もその彼女も実は回復魔法というものが使えるんですよ。それでいかがでしょうか」


 彼らの問題は彼らが向き合って貰わないと、僕に手を差し伸べる余裕などありはしない。


「いいじゃないですか。盗賊やっつけましょう。俺と会長がいれば怖いもんじゃないでしょ」


 振り向くとグェンが不敵に笑っていた。

 いつもの無表情ばかりを見ていたので、こんな表情をするのかと驚いてしまう。


「素晴らしい心がけです。もちろん私も加勢します」


 僧侶兼戦士のグロリアが満足気に頷く。


「オイも行くっち言いたかけど、あんま寒かけん今回は留守番しとくばい」


 モモックは手足を炙りながら情けないことを堂々と言うと、どこから盗んだものか黒いパンを齧るのだった。

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