第441話 複雑な彼

 自らの足を切り裂いて毒を血とともに流しだそうと思ったのか、ロバートは太ももの付け根に剣先を突き付けた。

 しかし、力が入らないのだろう。ロバートは剣を取り落としてどう、と倒れる。

 向かい来る新手の敵と倒れたロバート。

 僕は背筋に汗が流れるのを感じた。

 一手間違えば全滅である。

 次の魔法が間に合わない。そう思った瞬間、飛び出したコルネリが空中を駆けた。

 暗殺者たちの眼前で羽を撃ち、僅かに出足を鈍らせる。

 同時にグロリアが先頭の暗殺者と切り結び、突き飛ばして後続の暗殺者にぶつけた。

 僕は短時間で練れる魔法をほとんど反射的に練っていた。

 

『流星矢!』

 

 小さな魔法球が無数に生み出されて暗殺者たちに向かっていく。

 この魔法の最大の特徴は大抵の相手に対して過不足なく威力を発揮することだ。

 暗殺者たちの足を止めるには心もとないが、それでもダメージを与え、動きを鈍くする。

 と、僕は思わずステアの方に振り返っていた。

 彼女は両手の平を胸の前で組み、目を閉じて集中して立っている。

 そのステアの周辺を渦巻く力はなんだ。

 魔力には違いない。魔力の一種だ。それは間違いない。しかし、普段から僕が用いたり、ステアが回復魔法に用いたりするものとは大きく触感が異なっていた。

 果たして、これは……

 身震いする僕の前でステアは素早く祝詞を唱え、告げた。


『主よ、貴方の忠実なる従者にして尖兵たる我に“彼の者”を貸し与えください』


 ゴオン、と空気が震えた気がした。

 天の鐘というものが本当にあれば、まさしくこんな音だろう。

 静かで、苛烈にして清冽なその音色が響き、僕は胸が苦しくなった。

 呼吸が上手くできなくなり、気づけば崩れ落ちていた。

 ああ、誰でもいい今すぐこの首を千切ってはくれまいか。

 涙と涎が流れ出て、大いなる暖かな存在を心に感じた。

 

「気を強く持つのです!」


 ステアの凛とした声が耳朶を打つ。

 ジメジメとした迷宮の床を思いだし、僕は正気に戻った。

 慌てて顔を上げると、そこには奇妙な巨人が座っていた。

 いや、座る様に戒められていた。

 七本の腕を持ち、足は三本、赤銅色の禿頭には耳が五つ生えている異形である。

 その手足に太い鎖が幾重にも巻き付いており、自由を奪っている。

 しかし、もっとも特徴的なのは顔面に存在する縫い目であろう。

 目と口と思われる複数の切れ目はすべて雑に縫いつけられている。

 明らかに尋常な存在ではない。

 暗殺者たちも一様に倒れ伏し、嗚咽を漏らしていた。

 

『毒よ癒えよ』


 敵が行動不能に陥ったため、手の空いたグロリアは回復魔法を唱えていた。

 僕も身を起こすと慌てて回復魔法を唱えた。

 全快には遠くとも、ロバートの魔力が消えていないのでギリギリ間に合ったらしい。

 見ればグロリアも動揺しているらしく両目から涙を流しており、涙は顎を伝って襟を濡らしている。

 しかし、ジャンカはまったく影響が見られず、動きも機敏だった。


「先生、アレなに?」


 ただ、異形と対峙した者特有の緊張を秘めたまま、ジャンカが聞く。

 だけど質問の答えは僕だってわからない。


「口を利いてはいけません。息を殺して、出来るだけ動かない様にしてください」


 ステアは僕たちにそう言うと、両手を掲げて魔力を練った。


『偉大な者の代理として目を一つ、腕を一本解放します。神敵を滅しなさい』


 その言葉に応じて、鎖が一つ弾ける。

 顔の切れ目も、縫い合わせた糸が切れて一つが開いた。

 眼球。いや、魔眼だ。

 禍々しさを凝固したような視線が周囲をなめ回し、暗殺者たちを見つけたらしい。

 鎖から自由になった腕が空間に延び、虚空を掴んだと思うと暗殺者の頭が潰れた。

 巨人の眼は楽しそうに歪み、次いで別の暗殺者から腕が引っこ抜かれた。

 それでも暗殺者たちは絶望した様な表情で転がっている。

 虐殺は、淡々と最後の暗殺者を絶命させるまで続いた。

 背骨を一つずつ抜き出されていた暗殺者が最後の痙攣と共に動かなくなると魔眼はこちらに向いた。


「それ以上の暴虐は無用です。『元の場所へ帰りなさい』」


 震える手で杖を差しだし、ステアが命じるとどこから出てきたものか太い鎖が巨人に巻き付き動きを封じた。

 断ち切れた筈の糸も意志を持つように動き元通り上下の瞼を繋げる。

 しかし、魔眼は最後まで諦め悪くこちらを見ていた。

 それも、完全に塞がり巨人は元通りの戒めに縛られる。

 

『主よ、”彼の者”をお返しします。ありがとうございました』


 再びゴォン、と鐘の音が鳴り響き僕は崩れ落ちた。

 ただひたすらに悲しく、申し訳ない。

 僕は今までなにをしてきたのだ。

 

「指導員先生、しっかりして!」


 ジャンカに揺すられて、自分で自分の首を絞めているのに気づいた。

 膂力に勝るジャンカが無理矢理腕を制してくれなかったら僕は死んでいたかもしれない。

 視界の端ではグロリアがうずくまり、一心に祈っていた。

 下唇を噛むステアの顔は、蒼白といえるほど生気が抜けており、そのまま消えてしまいそうだ。

 

「先生、ロバートを!」


 なぜかこの場で正常なのはジャンカだけらしい。

 僕はどうにか身を起こすと魔力を練ってロバートの傷を癒す。

 

「死ぬかと思ったぜ」


 ロバートは起きあがって唾を吐く。そうして周囲を見回すと、一点を差して指を伸ばした。


「そのオッサンも死にかけてるぞ」


 言われて振り返ると、僕の背後でシアジオが痙攣している。

 その口には、僕が手放してしまったロープが半ばまでも飲み込まれており、白目をむいていた。

 ジャンカが無造作にロープを引き抜くとシアジオは痙攣し、血反吐を吐いた。

 

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