第422話 妹Ⅱ
南方では、その環境から小麦が育たない。
そのため、輸入される食料は主に牧畜用の餌に供される雑穀の類に限られる。
本来であれば、安値でしか売れない雑穀が遠方から、それも陸路で運ばれてくることはない。それをわざわざ、莫大な費用をかけて持ってくるのだ。
都市住民は、それを煮てみたり、蒸してみたりしてなんとかごまかして食べる。
もちろん、不味い。
「ありがとうございます。兄さん」
ギーは隊商を率いて来た実兄に礼を言った。
「いやぁ、可愛い妹の為だ。構わんさ」
兄のリチエは幼い頃から、変わらない端正な顔立ちのまま頷く。
数々の浮き名を流し、多くの女を泣かせてきたという美男子は、幼い頃から変わらずギーに優しい兄であった。
兄妹再会の横で、商品の雑穀は広場に積み上げられ、都市商人の検品を受けている。
商人たちはこれを、慢性的な食糧不足の状況にあって特に貧困層に行き渡らせるべく、安値で売り払うのだ。
当然、利益など出るはずもなく、多少は領主府からの補填があるものの、貿易自体は大きく赤字を計上することになる。
問題はそれを誰が被るか、だが。
「しかし、グリレシアでもなし、あんなもの食っても美味くはあるまいがね」
リチエは商人たちのやりとりや運び出しを見ながら呟く。
もちろん、南方に住まうリザードマンだってそんな雑穀を食べやしない。
「兄さん、彼らも必死なのです。私は大商人の家に間借りをしているから食べるには困らないものの、そうでなければ私など、真っ先に飢えてあの雑穀をむさぼっていたでしょうね」
ギーに言われ、リチエはバツが悪そうに頭を掻いた。
「別に彼らを劣っているというつもりもないさ。ただ、今回の窮状には同情するばかりでな」
一大消費地に成長した迷宮都市は日々、各地から運び込まれる食料や資材で成り立っていた。遠くは新西方領から運び込まれていた小麦が動乱により途絶えれば干上がるのは早い。
しかし、領主府と商店会は、近隣の農村から過剰に食料品を買い上げることを禁止した。極度に食料を買い上げると、旧来から都市へ食料を供給していた近隣の農村が荒廃し、食料の安定供給が遠のくと考えたのだ。
かといって距離が離れると、北と西には反乱が、東の砂漠には緊張が横たわっており、食料を持ってくるどころではない。
都市はラタトル商会が開拓した南方貿易以外に縋るすべはなかった。
「ギー、これは俺から。おまえの好きだった果物だ」
リチエは荷物から小さな包みを取り出してギーに差し出す。
リザードマンの鋭敏な嗅覚は、その中身がドライフルーツであることを知らせた。
遠く、そして長く離れた故郷の匂いにギーの頬がほころぶ。
リチエはその姿を見ながら、幼少期の妹の姿をそこに見ていた。
同時に、そこに立っているのは成熟した女性でもある。
「なあ、ギー。そろそろ故郷に戻れよ。族長も、お嬢様もお待ちだ。親衛隊の面々もおまえを隊長に迎えてくれるさ。それに母さんも心配している。身を固めるのも親孝行じゃないか?」
それはリチエの本心でもあった。
戦乱の近くに、いつまでも可愛い妹を置いておきたくはない。
「もう少しだけ、修行をさせてください。それに、ここでは一緒に暮らす家族の様な人たちも居るので、彼らともこの状況では離れられないですからね」
「家族、ねぇ」
リチエには彼らが全て同じ様な顔に見える。違いは着込んだ服の形くらいだ。
その視線を読みとったのか、ギーが笑った。
「兄さんは彼らに興味がないのよ。確かに見た目はどれも似たように見えるけど、匂いが違うから見分けるのは簡単よ」
そんなもんかね、とリチエは笑った。
どいつもこいつも犬猫の様に臭すぎるとは思っていたが、匂いを覚えるならあの獣臭を腹一杯吸い込まねばならない。それは考えただけで胸が悪くなる気がした。
「さて、俺は準備がある。久しぶりに会えてよかったよ」
「あら、もう帰るの?」
ギーが驚いた表情を浮かべる。
まだ帰りの荷も積んでいないのだ。誰が見積もっても出立は早くとも明日である。
「いや、用があるのさ。事務所開きの段取りがね」
リチエの回答にギーが怪訝な表情を浮かべた。
「あの雑穀の見返りに、我々部族の出先事務所を開くことを認めさせたんだ。これからは我らの同族が数名、この都市に常駐することになる」
この都市は排他性が強く、同国内であっても他領の出先機関さえ設置させない。それが、リザードマンの事務所を認めるというのだから、都市の首脳部がいかに困窮していたか分かる。これからは、リザードマンの部族が自らの構成員をこの都市内で公的にサポート出来る様になるということだ。
つまり都市は家畜の餌を手に入れるため、独立性を売り渡したのだ。
「もちろん、宿舎もきちんとしたものを用意するつもりだ。おまえもそこに住むといい。そうして、ゆくゆくは我らの兵士を迷宮で鍛える」
超人的な兵士を得れば、絶えず小競り合いを続ける周辺部族との抗争において圧倒的優位を得るのだ。やりようによっては周囲を平定し、かつて存在したと言われる一大リザードマン国家の再構築も夢ではあるまい。
部族の外交官をつとめるリチエは、驚く妹にそう説明した。
「おまえのおかげで我らはいい買い物が出来た。さて、おまえの滞在延長についてだが、ここに送り込まれるリザードマンたちの教官役を条件に認めよう」
他に適任も居ないのだ。そうして、その教え子なら簡単に抱き込める。
本当にいい妹を持った。リチエは心から思う。
「兄さん。教官役は構いませんけど、私は宿舎には移りませんよ。今の暮らしも、同居人も気に入っているのだから」
と、広場を歩く人間が立ち止まり、リチエの方を見た。
人間の見分けが付かないリチエは、誰か判別するのをすぐにあきらめ、あからさまに不機嫌な表情を浮かべた。
無礼な表情をしたところでどうせ、人間には伝わらない。
「あれ、ギーさんが二人いる」
言われてリチエは妹の顔を見た。
家族のみに許す、名前を目の前の人間が呼んだのだ。
「これがおまえの家族か?」
しかし、ギーは苦笑して首を振っていた。
「いえ、冒険者仲間ではありますが家族ではありません。何度言ってもギーと呼ぶので、私が根負けしてしまったんです。中身は邪悪ですが、案外と無害な男です。ただし、この都市でも上位に位置する強力な魔法使いですので、不用意な言動で敵対されませんように。名前はビーゴといいます」
リチエとギーが交わすリザードマン言語にビーゴはきょとんとしている。
「ギーの兄ダ。いいからあっちに行ってイロ」
ギーが人間の言葉で伝え、雑に追い払うと彼は素直に去っていった。
とても強者に対する態度には見えない。
リチエは去っていくビーゴを見ながら、しとやかだった妹の成長に驚くのだった。
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