第415話 海鳥の鳴き声と陽光の下

 眩しいほどに激しい陽光が、瞼を閉じていても眼を射抜く。

 エランジェスは石造りの豪邸の、窓の中から青い海を眺めていた。

 白い砂浜はどこまでも続き、子供たちが海辺で戯れている。海鳥たちの鳴き声が絶え間なく聞こえ、漁師たちはそこかしこで網の整備にいそしんでいた。

 腹心の“老人”ハンクが懐かしがっていた光景を見つめ、布張りの椅子に体を沈める。

 

「たいしたことねえな。眩しいし、磯くせえ」


 顔をしかめて吐き捨てるように言った。

 傍らの机には蒸留酒が注がれたガラスのコップが置いてあり、エランジェスはそれを口に運ぶ。

 外の陽光と対照的に、室内は濃い影に染まっている。

 暗い影の中に老人が一人、部屋の片隅に座っていた。

 頭髪が禿げ上がり、丸鼻の太った男は通称“梯子”のゴールディ。この屋敷の主人だった。

 ゴールディはしかし、借りてきた猫のように忙しなく視線を動かし、エランジェスを直視できないでいた。

 

「なあ、おっさん。アンタはガキの時分からハンクの兄弟分だったんだろう」


 エランジェスの、蛇の様な視線が怯えた男の足から頭のてっぺんまでを舐める。

 その様を見て、エランジェスはため息を吐いた。

 

「俺もハンクとは付き合いがあってな。あいつのおかげで組織運営は随分と助けられた」


 互いに気は合わなかったが。

 エランジェスはそう思いながら、懐から小さな革袋を取り出した。

 

「ハンクの指の骨だ。どっか、海が見える場所に弔ってやってくれ」


 騒動の中、唯一拾いだしたハンクの形見を放り投げると、ゴールディは慌てて袋を掴んだ。

 つまらん、取るに足らない男だとエランジェスは思った。

 かつて、ハンクが酔う度に自慢の兄弟分だと語った男は、長い時間と海風に削られて小さくなってしまったのだろう。

 こんな男でも一応は組織の幹部である。

 ただし、たいして旨味もない仕事を粛々とこなす組織の傍流に位置しており、かつては数百を数えたという子分も、残るところ中年の冴えない連中が数人といったところだった。

 室内を見回せば、金目のものはない。

 かつての栄華も売り払い、その日の糊口を凌いでいるのだ。残った物はまったく、この屋敷のみといっていい。

 帰らなくてよかったのかもな。

 エランジェスは内心でハンクに告げる。

 ハンクはずっと戻りたがっていた。その望郷は報われず、故郷の風景を再び目にすることはついに叶わなかったが、ともに悪事を覚えた悪ガキ仲間たちの凋落も目にせず済んだのだ。

 それも、この男の様に組織へ残り、名ばかりとはいえども幹部まで上り詰めていればいい方で、他の連中は大抵、喧嘩の末に死んだか、物乞いに身をやつした末に死んでいた。

 どうりで、本国がハンクを呼び戻さないはずだ。

 エランジェスは組織が付けた補佐人兼監視人としてハンクと付き合っていたが、ある段階からもはや補佐人など必要ではなく、監視なら遠くから見ていればよかった。

 にもかかわらず組織はエランジェスの元にいけ好かない連中を送り続け、彼らは皆、挽肉となって出ていったのだ。組織は後継の人材がいないという理由でハンクをエランジェスの元に居させ続けていたが、これはつまり、既に一線を退いた老人連中の仲間が、エランジェスの元で大金を稼ぎ、大きな顔をして戻ってくるのが、主流派にとってうっとうしかったのだろう。

 

「親方」


 ゴールディの部下が室内に入ってきて、耳打ちをした後、紙を手渡した。

 ゴールディによく似た、とろそうな男だとエランジェスは思う。

 もっとも、才覚があればこんな落ちぶれた一家ではなく、他の親分衆から引き抜かれているのだろうから、評価としては間違っていないだろう。

 ゴールディはおそるおそるといった風に、立ち上がってその紙をエランジェスに差し出す。


「エランジェス……さん。あなたに伝令だそうです。とりあえず手紙だけお預かりしてきましたが、伝令番本人も呼びますが」


「いや、結構」


 エランジェスは背中をもたれさせたまま手を伸ばして手紙を受け取った。

 堂々としたその仕草は、どちらがこの屋敷の主人かをわからなくさせ、どちらが格上であるかを明確にしていた。

 封蝋をチラリと確認すると、手紙を持ってきた中年の部下に手を出した。


「おい、ハサミを寄越せ」


 しかし、この中年はエランジェスのことを知らなかったらしい。

 突然やって来た来客の尊大な態度に不機嫌そうな表情を浮かべ、腰からナイフを取り出すとエランジェスの手にベシャリと置いた。

 ゴールディが止める間もなかった。

 エランジェスがスッと立ち上がり、口を開く。

 

「なあ、ボンクラ。一回だけ言ってやる。俺に対して敬意を欠くな。たとえ糞するときでも、死ぬときでも、死んだ後でもだ。わかったか?」


 それは、激情家のエランジェスにしては静かな、噛んで含める様な言葉だ。

 ゴールディの配下は、ゴールディと同じ様に惚けた目で自らの腹に刺さったナイフを見つめている。

 ほんの一呼吸前に渡した、自分のお気に入りの。

 それが中年の最後の思考だった。

 腹を裂いて心臓まで傷つけたナイフが抜かれると、血と内臓を噴出しながら中年は倒れる。

 血に染まったズボンも気にせず、エランジェスは椅子に座りなおした。

 ゴールディの視線は倒れた子分と尊大な来客の双方を行ったり来たりしている。

 いつの間にか、エランジェスの表情には薄笑いが張り付いていた。

 ゴールディの背には滝のような汗が流れ始める。ハンクからの手紙で知っていたのだ。通称“ニヤケ面”のエランジェス。この男が笑うときは決して機嫌がよいときばかりではないということを。

 

「おい、ゴールディ。おまえの兄弟分のハンクだったら、若いモンにこんな不細工な態度をとらせなかったぜ。それともなにか。おまえの指示か?」


 エランジェスは血塗れのナイフをゴールディの足下に放り投げた。

 赤黒い線を引いて転がる刃に、ゴールディは飛び上がらんばかりに怯える。

 もはや一線を退いて長い。激しい流血を見る心構えは霧散して久しく、なにより現役時代にだってこんな怪物に遭遇したことはない。

 ゴールディが自らに敵対するものでないことを理解すると、エランジェスは両手で顔を覆い深呼吸をする。

 

「とにかく、ハンクの墓を作れ。それから、俺に付くか向こうに立つかは次に会うまでに決めておけ。俺に従うなら、配下の教育を徹底しろ。敵に回すならハンクの横に自分の墓も掘っておけ」


 這いだす暴力衝動を抑えたエランジェスはどうにかそれだけ言うと、立ち上がって椅子を蹴り飛ばした。

 倒れた椅子を持ち上げ、事切れた死体の上に落とす。

 十回もそれを繰り返して去っていったエランジェスに対し、ゴールディの反骨心はかけらも残っていなかった。

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