第385話 パラゴの楽しいスリ教室

 小さな刃物は、押しつけられた布に音もなく先端を埋めた。

 

「まあ、こんな感じでスッと指を動かせば服に穴が空く」


 パラゴが説明しながら手に持った布の穴を切り広げる。

 といっても動きはほんの少し。ほとんど引っかかりもなさそうだ。

 

「実際は、こんな刃物なんて使わんでもやりようはあるがな。しかし事が犯罪であれば使える物は全部使って少しでも安全性の高い仕事をした方がいいという考え方もある。結局、その場次第だ」


 目を細めるパラゴは面倒そうにつぶやき、懐から財布をとりだした。

 ボロボロで手垢の付いた……僕のだ。

 慌てて懐を探るとそこにあったはずの財布がない。


「道具を使わなくても警戒されていなけりゃ、こんなもんだ」


「ううむ、なるほど。アッシも気づかなかったねえ」


 サンサネラがしっぽを振ってニヤリと笑った。

 パラゴは僕の財布を放って返し、ため息を吐いた。


「気づかれてたまるか。体力や怪力、魔法の云々も無縁の俺みたいなのは器用さだけが頼りなんだよ」


 仕掛けを見破り、罠を解く。

 確かに盗賊という職能は器用さに特化した専門家だ。

 達人級現役冒険者の彼が本気を出せば、他人の目を眩ますくらいたやすいのかもしれない。


 パラゴによるスリ講義は薄暗いブラント邸の稽古場で行われていた。

 領主府の兵士詰め所に行き、知り合いから聞いたところによれば、僕たちがあの時に見たのはやはり死体であったらしく、四人が死んでいたらしい。

 その上で、兵士に捕らえられた者にも、逃げた者の中にもスリの被害者が多くいたと知ることができた。

 つまり、被害者にパフィが加わり思わぬ大金を失ったのはピンポイントで狙われたのではなくて、どうも偶然らしかった。

 たまたま、複数のスリが仕事をした場所に居合わせてしまったのだ。

 もちろん、普段であればあまり聞かないスリが偶然に同じタイミングで複数現れるとは考え難い。

 パフィの懐に手を突っ込んだのはきっと集団でスリを働くスリ団の一員だろう。

 一人働きのスリならともかく、集団のスリなら追える。

 そうであれば、スリを捕まえて失った書類を取り戻せる可能性が出てくる。

 そんなわけで、僕たちは仲間内でもっとも頼りやすいパラゴを呼び寄せて話を聞くことになったのだった。

 ブラント邸に移動したのは、話題が話題だけに、あまり日の下で堂々とは話せなかったからである。そうなると僕が利用できる場なんていくつもない。

 場にはパフィと僕、サンサネラにパラゴ、それに息子のアルとなぜかムーランダーのハリネとさらにマーロまでいて、なかなかににぎやかだ。

 アルは飲み物を買いに行ったサンサネラがどこからか拾ってたのだけど、ハリネはブラント邸につくなり、宿舎からのそりと出てきたのだ。

 マーロは稽古場の先客で、暗い中一人で剣を振るっていた。僕たちが完全に邪魔した形になるのだけど休憩がてら一緒になって一連の話を聞いていた。

 

「しかし、あくまで出来るというだけで実際にはしねえよ。そんなにせこく生きている訳じゃないからな」


 パラゴのいいわけがましい言葉は、たぶんマーロに向けられたものだ。

 彼女は青臭い理想主義者で、文句を付けられたり言い合いになるのを厭うているのだ。

 

「そのスリ団は通行人の注目を引くために人を殺したのかな?」


 僕はパラゴに質問を投げた。真実を知る訳ではなくても、彼なりの意見を聞いておきたい。


「どうかな。スリと殺人じゃ手間や面倒が異なる。人を殺すのを気にしないなら暗がりや裏通りで通行人を殺して荷物を奪った方が早いだろう。だから、スリのためにわざわざ死体をこさえたというのは考えづらい。たまたまスリの一団が騒動に居合わせたと考えるのが自然だろう」


 パラゴは顎に手を当てて応える。

 

「ということは、殺人者とスリ団が別にいることになるねえ。恐ろしい」


 サンサネラが髭を動かしながら言う。

 事実としてその通りなのだけど、人間には身近な問題ほど大きく感じる習性があるのだ。目下、他人の死と知人のスリ被害では後者の方が大きい。

 

「ねえ、パラゴ。スリ団に心当たりはないの?」


 僕はパラゴに聞いた。

 彼ほど目端が利くのであれば、その当たりの情報を持っているかもしれないと思ったのだ。

 しかし、パラゴは首を振って応える。


「今まで聞かなかった案件だからな。最近入って来たんだろう。だが派手にやってるのなら領主府の兵士たちがすぐ出張ってくるだろうぜ。こいつらが出てくれば、旅の一座なんて追い詰められて、じきに捕縛されるさ」


 軽く笑って刃物を懐に戻す。

 人殺しとスリを行う無法者たちが排除されるのは結構なことである。

 しかし、パフィは顔を引きつらせて口を開いた。


「スリの一党が捕まったとして、お嬢様の負債はどうなりますでしょうか?」


「銭金の類は返ってくるわけがねえな。残念ながら」


 無念さを全く感じさせずにパラゴが質問に答えた。

 それでも、それは当然で現金に盗まれた者の名前が書いてあることはないのだから、没収された金は一部が領主府の金庫に納められ、残りは役人やら兵士やらが懐に納めてしまうだろう。

 では品物の受取証や支払証の類はどうか。

 これも大金に替えられ、しかも懐を圧迫しない。僕が役人なら素直に所有者へ返すだろうが、普通の人ならそっと掴んで隠してしまうだろう。

 

「それじゃ、領主府の兵隊さんより先にスリを見つけなきゃならんねえ」


 サンサネラがにんまりと笑いながら言った。

 

「じゃあ、俺は現場周辺を回って情報を集める」


 パラゴもサンサネラに同意した。


「え……じゃあ私は領主府の知り合いから話を聞いてきます」


 マーロは驚いた表情を浮かべながらも調査への協力を申し出てくれた。

 パフィはその流れに感涙を浮かべているのだけど、マーロはともかく他の二人の目をしっかりと見るべきだ。

 彼らはパフィへの協力を口実に、スリ団の現金を兵士たちより先に攫おうとしているのだ。

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