第377話 経験
「教授殿、強くなったぞ!」
まだ早い時間帯、窓の外で声が響きわたった。
同時に、よく寝ていたサミがむずがり泣き出す。
「ああ、よしよし」
僕はサミを抱き上げてあやす。幸い、サミは眠気が勝った様で、すぐに目を閉じて眠りに戻っていった。
体を起こしたルガムに寝ていてと告げ、サミを抱いたまま外に出る。
まだ薄暗い。
仕事がある者は準備をし、それ以外は寝ている時間である。
「ジャンカさん、うるさいです」
第一声に苦情を。
しかしその声は届かなかったようで、富裕な青年特有のきらきらした目つきでジャンカはこちらを見つめる。
昨日の冒険で膨大な魔力を得て、数段跳びで順応が進んでいた。
「しかし、力がみなぎっているのだ。これに興奮するなと言う方が無理だぞ。昨日は無様なところを見せたが、今日はあんな化け物ども、端から撫で斬ってくれる!」
再びの大声で、今度こそサミが本格的に泣き出した。
「だから静かにしてください。娘が泣いちゃったじゃないですか」
言うと、ジャンカはムッとした表情を浮かべる。
「赤子の世話など、男がみるのはやめろ。女々しいぞ!」
なんとも、価値観が合わなければ話も合わない。
「全くもって、大きなお世話だよ」
面倒になって言い捨てる。
なんだか丁寧に相手をしているのがバカバカしくなってきた。
「とにかく黙っててよ。まだ時間はあるんだから出直しておいでよ」
そして、護衛のロバートを連れて歩け。
僕は会話をするのに力の多寡をはかりはしないけども、話にならないならせめて力を備えて欲しい。
そうでなければ言うことを聞くのも余りに救われない。
「この力を早く試したいのだ。すぐに準備せよ!」
何度言っても声がでかい。
地下三十階で猿の神が使った消音の魔法。あれが使えるようにならないかな。
ゼタの喉に掛けられた魔力の仕組みを思い出しながら、自分の魔力の薄さを呪う。
「たとえば、君のその力。もう十分だと思うのなら依頼は完了ということでいいかな。ガルダ商会を襲って目的を果たすんでしょ。お金を払ってくれよ」
「いや、まだだな。もっと鍛えてやれよ」
その声はジャンカのものではなかった。
「貴様!」
のそり、と歩いて来たのはノラ隊の前衛、カルコーマだった。
上半身裸で惜しみなく筋肉をさらす怪人は、僕からサミを取り上げると馴れた手つきであやし始めた。
僕が揺すったりしても泣きやまなかったのに、サミはあっさりと落ち着きを取り戻す。
「経験が足りねえんだよ、オマエら二人とも。ジャンカとか言ったか。オマエの兄貴を殺したのは俺だぜ。もちろん、知ってるだろう?」
カルコーマは軽く笑い、サミを僕に戻してきた。
ジャンカの手が剣の柄に伸びる。
「よし、言っておこう。そのダンビラ、抜くなら痛い目に遭うぞ。殺しはしないが、後悔はするだろう。手を離しておとなしく戻るなら、なんにもしない。しかし、お勧めは抜くことだ。経験を積める。屈辱と恐怖をたっぷり覚え、もっと必死になれ」
カルコーマが指を差して告げる。
瞬間、ジャンカは曲刀を引き抜きカルコーマに躍り掛かった。
数日前よりもずっと素早く張りのある動きで振り下ろされた刃は、しかしカルコーマにふれることは叶わなかった。
カルコーマは最小限で動きながら手を一閃。
ジャンカは驚いた表情を浮かべて目を丸くしている。その顔には片耳が欠けていた。
「ほら、それくらいで動きを止めるんじゃねえよ」
ベチャ、と音を立ててジャンカの顔にむしり取られた耳が投げられた。
とっさに耳へ伸びるジャンカの左腕を、カルコーマが両手で掴む。
「今だぞ、武器を使えよ」
言いながら、小枝でも折るようにジャンカの前腕をへし折った。
一気に湧き出る脂汗がジャンカの顔を滝の様に伝う。
パクパクと動くジャンカの顎はたたき込まれた肘で嫌な音を立てた。
口から数本の歯と、大量の血を吐きながらのたうち回るジャンカにカルコーマはため息を吐く。
おそらく本人が言うとおり殺す気はないのだろう。
命に別状は無く、しかし強烈に痛い。そんな攻撃である。
これがまるでジャンカのためとでも言わんばかりの口振りだったけれど、僕ならこんな思いやりは絶対に受けたくない。ただ、こんな経験が僕に無いかと言われれば、何度かあった気はするのが不思議だ。
カルコーマは転げ回るジャンカの右足に都合四回、足を落とした。
足首、脛、膝、太股が潰れ、ダラリとまるで紐の様に地面に張り付く。
「簡単に転げ回るな。余計に立場が悪くなる。武器を放さないのはいいがな」
カルコーマはそれだけ誉めると、ジャンカの武器を取り上げ投げ捨てた。
と、その右手の親指を一気に引き抜く。
ぶつ、と音がして白と赤が混ざった傷口が覗いた。
「んんんん……!」
声にならない声とともに、ジャンカの口から真っ赤な泡がブクブクと沸き、目が真っ赤に充血している。
カルコーマは雑草でも引っこ抜くように人差し指から小指も引きちぎり、ようやくジャンカを解放した。
「ま、初回としてはこんなところか」
さすがに、気づかないものはいない。
いつの間にか周囲には共同体の構成員が立っており、遠巻きに眺めていた。
「じゃ、小僧。俺は鍛錬があるからそろそろ行くわ。しばらく置いて治療してやれ。朝飯には帰ってくるから、そのときここにいたらまた同じ経験を積ませてやるって言っておけ」
そう言うとカルコーマは去っていった。
毎朝『荒野の家教会』に行き、家畜の餌やりがてら庭で鍛錬をするのだという。
大きな嵐のような男がいなくなると、サミが再び泣き始め、ジャンカのうめき声をかき消したのだった。
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