第373話 約束
「や、ロバート。もう会うことはないと思っていたけど、ひさしぶりだね」
うつ伏せに倒れたロバートの前に、アンドリューは仁王立ちした。
動いて体勢を変えたいのか、ロバートは痙攣している。
「ぁ……!」
何事か話そうとしているのだけど、その声が意味を結ぶことは無かった。
「僕を探していたんだろ。けど、この通りだ。僕はもう地上に戻れない。そうして、今の境遇を不幸とも思ってやいないんだ」
どこかもの悲しげな笑みを浮かべ、アンドリューは目を閉じた。
僕にははっきりとわかるのだけど、アンドリューの体は猛烈な勢いで自壊し、周囲から魔力を吸ってこれを再生し続けている。それでも、崩壊の速度に魔力吸収が追いついていない。地下十五階くらいでは魔力が薄すぎるのだ。
アンドリューはこの階層に長時間滞在すればそれだけで消滅してしまう。それを押してロバートを助けに来た。
好きでは無かったし、離れたかった。それでも、ロバートへは複雑な感情を抱いているのだ。
これで、ロバートの視界が地面しか捉えていないことに気づければ完璧だったのに。
「さて、ロバート。そういうわけだから、もう僕を探す必要はないよ。迷宮に入るのももう止すんだ。故郷に帰れよ。そうして家族と人生を過ごせばいい」
有りもしない約束から付きまとわれたアンドリューは目を開けると、冷たいため息を吐く。
「それから、君は順調に来ている。待っているよ」
苦痛が混ざり始めた表情で、アンドリューの視線が僕に向いた。
ゾクリ、と背筋が冷たくなっていく。
商人が値踏みをするような、子供がものを欲しがるようなそんな視線だ。
視線が交差して、僕からも彼の力が計れてしまった。
以前、彼と別れたときから比較にならないほど強くなっている。
普段、どれほどの深層に棲まい、どんな怪物と戯れているのだろうか。
「いえ、あなたの元になんてとても、とても」
「大丈夫。僕がついていてあげる。力なんてすぐにつく。また、迎えに来るよ」
そう言うと、アンドリューは踵を返した。
また途方もない深さまで潜っていくのだろう。
と、その前を遮るようにノラが進み出た。
「なに?」
アンドリューの口調に険が混ざる。
しかし、ノラが発した言葉は予想外のものだった。
「俺と組まないか?」
なんということを言うのだ。
せっかく、気まぐれなアンドリューが何もなく帰ろうとしているのだから余計な刺激をしないでくれ。
僕はそんなことを心の中で思った。
「俺も間もなく迷宮に落ちる。仇を追う為だが、後衛にお前くらいの実力者が欲しい」
そう言われてアンドリューは考え込む。
しばらく考え込んでようやく発した言葉に僕の背骨は凍り付いた。
「彼が一緒に来るなら、いいよ」
その手が僕を指し示している。
「わかった。じゃあ決まりだ」
「彼を連れて地下五十階以降に降りてきたら、こちらから会いにいってあげる」
それだけ言うと、アンドリューは今度こそノラの隣を通り過ぎて迷宮の奥に消えていった。
同時に息苦しさが消え、猛烈な不調も遠のいていく。
深呼吸を一つすると、体力が僅かに戻ってきた。立ち上がると、壁にもたれ掛かったまま皮肉に舌を出しているサンサネラと目が合った。
「アレはダメだ。関わるもんじゃ……」
息苦しそうにあえぎ、最後の方は聞き取れなかった。
ノラは何事もなかったかの様に立っていて、ロバートは変わらず突っ伏したまま呻いている。
振り向けば、ジャンカとゼタも同じように突っ伏していた。
前衛組と比べれば体力が劣るモモックは仰向けに倒れて力なく頭を持ち上げている。
「ジャンカ、ゼタ、大丈夫?」
ゼタに近づくと、弱々しく手を挙げた。
地上空間でも魔力が漏れない様に、鎧には重厚な結界を施してある。にも関わらず、ほとんどの魔力は吸い尽くされていた。
まあ、戦闘を続けていても結果は一緒か。
アンドリューが吸い尽くして薄くなった空間の魔力をかき集め、彼女を亜空間に落とし込んだ。
「ジャンカ?」
倒れ伏した体を表返すと、全く力がこもっておらず、半開きの目と口から体液があふれていた。
一瞬、死んでいるのかと思ったのだけど唇が僅かに動いている。
『傷よ、癒えよ』
正規の回復魔法を唱えると、彼の目がギョロギョロと動きだし、僕を見た。
上級悪魔との戦闘はともかく、周囲の生命力を吸うリッチとの遭遇で死んだかと思っていたので重畳だ。
しかし、よほど怖かったのかジャンカは声を押し殺したままさめざめと泣き始めた。
ノラは渋い顔で考え事をしているのだけど、サンサネラとモモックは疲労からへたり込んでいる。
どう見ても壊滅しかけである。
この状況でまた魔物にでも襲われればひとたまりもない。
と、飛んでいった方向とは逆のほうからコルネリがやってきて僕の背に飛びついた。
いつもより重くて、おもわずタタラを踏む。
危険が去ったと僕が判断するまで戻るなと伝えてあったので迷宮内を飛び回っていたのだけど、その過程で悪魔の肉体を喰ったのだろう。
最初から魔物のコルネリは、魔族を倒した分、また順応が進んでいた。
ジャンカもこれくらい頼もしければいいのに。
まあ、それはそれで厄介か。
なんて思いながら、仲間たちへ順に回復魔法をかけて回る。
さて、撤退の準備だ。
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