第324話 ニックネーム
駐屯地に入ると、無数に並ぶ天幕に木造の小屋が混ざっていた。
土壁や窓のこしらえを見れば、基地建設の時にわざわざ建てたものではなく、もともとここにあったものを接収し利用しているのだろう。
つまり、ここも元は集落があったものと思われる。
見張り兵士の指示によってその集落の中央を通る、踏み固められた道へ馬車を進めると、待機するように言われ、僕たちは荷台に乗ったまま無言の時を過ごした。
太陽はまだ、地平線まで到達していないとはいえいい加減に焦れてきた頃ようやく数人の兵士が駆け寄ってきた。
「先生、お久しぶりです!」
そういったのは、かつて僕が教授騎士として受け持った何組目かの生徒で、大柄の剣士だった。
僕の生徒も数十人はいたので、名前を思い出すのに少し時間を要した。
「やあ、ヒョークマン君。久しぶりだね」
取り立てて特徴のない、普通の教え子は達人の認定を受けたあと、間をおかずに軍へ入隊した筈だ。
ヒョークマンは連れてきた連中に馬車を案内するように命じた。
「僧侶が待機しています。けが人はそちらに。先生は司令官がお会いになるそうですので自分と一緒に来てください」
「アッシも治療して貰えるんだろうかね?」
荷台に座っていたサンサネラが立ち上がると、その大きさと見慣れぬ外見にヒョークマンがのけぞった。
「ええ、もちろん。……いや、先生と一緒に来てもらった方がいいかな?」
ヒョークマンはひきつったような笑みを浮かべて答える。
黒い毛並みで気づきにくいものの片耳がとれたり、無数の傷を負っているサンサネラは不満そうな表情を浮かべたが、軽い身のこなしで地面に降りたった。
「ほら、アンタも降りなよ。それとも寝ているマーロを起こして歩かせるかい?」
僕も慌てて馬車を降りるのだけれど、彼のように華麗にはいかず御者台から低いところを伝って地面に足を着ける。
「マーロって、彼女はあのマーロファムですか?」
ヒョークマンが驚いたような顔で問い、そうだと答えると荷台をのぞき込んで納得していた。
※
司令官庁舎と大層な名前の建物は、戦前は集会所か何かだったのだろう。なかなかの大きさを持っており、入ると数十人の人間が忙しそうに働いていた。
「奥の司令官室でお待ちです」
ヒョークマンはそこまで案内してくれる気の様で、僕の前に立って歩き出す。
前を塞ぐ人々は慣れてしまっているのか、ヒョークマンが押しのけても気にしない。しかし、流石の彼らも僕に次いでサンサネラが入ってくると気づいた者から驚いて動きを止めた。
「んなぁ、あんまり見つめてくれるなよ。照れちゃうじゃないか」
場違いな冗談をいいながらサンサネラの前に空いた道を僕もそそくさと通り過ぎる。
「失礼します。教授騎士殿をお連れいたしました」
「うむ」
ヒョークマンが開けてくれた扉を通ると、その中は存外に狭い部屋で中には机が一つ据えてあるだけだった。人も一人しかいない。
ということは目の前に座る男が司令官なのだろう。
司令官の表情は入ってきた僕を見るなりギョッとした表情を浮かべたものの、すぐに取り繕い軽く頷いた。教授騎士という如何にもな響きと、実物の僕との落差に動揺したのだろう。
次いで入室したサンサネラを見て大きく口を開ける。
「だから照れるって」
おどけるサンサネラを手で制して僕は頭を下げた。
一応、こういうときの対応もブラントから習っている。
貴族と向き合うときは卿、将官と向き合うときには閣下と呼びかければよかったはずだ。
「お初にお目にかかります、閣下。教授騎士のアと申します。突然の訪問にも関わらず拝謁の許しを得ましたこと、光栄に存じます」
確かこんな感じだ。間違えていても礼を尽くしていることは伝わるだろう。
司令官は咳払いをして平静を取り戻すと、視線を動かしヒョークマンを見た。まずは知っている者からの紹介がないと話さないのは戦場でも変わらないらしい。
「司令、こちらが上級冒険者の魔法使いにして教授騎士を勤めるア殿です」
「貴殿が名高い『魔物使い』殿か、お噂はかねがね」
司令官は丁寧にいうのだけど、妙なあだ名をつけられたものだと僕は吹き出しそうになってしまった。
道すがら見かけた者のほとんどは精鋭兵士では無かったものの、司令官庁舎の周りに屯している二十名ほどの連中は一目で冒険者上がりと分かる面々であった。
つまり、精鋭兵士は常に司令官に侍り、彼らの間で迷宮都市の話題が出れば、それぞれ知っている冒険者の名前も出てくるのだろう。
しかし、都市から随分と離れた場所であだ名を付けられたものだ。
およそ最大の原因であるところのコルネリが服の中でモゾリと動く。
「それで、異名まで持つ上級冒険者殿がこんなところで一体なにをしているのか教えてくれるかね?」
「教授騎士ブラントより指令を受けまして、王国軍が攻めあぐねている男爵国へ潜入し、その原因を探って参りました」
僕の答えに司令官は自嘲を込めた笑みを浮かべる。
もしかすると、十分な軍勢を率いながら長く足踏みしてしまっている自分への当てつけに聞こえたのかもしれない。
「原因ははっきりしている。あちらには妙な術を使う連中がいるらしくアーミウスの陣に近づく度、軍兵は混乱しだし、見る間に壊乱する。それを避けるため、目下のところ間道を捜索中だ」
軍としても調査はしているのだろうが、ムーランダーの特性は厄介である。その程度しか情報を得られていないのだろう。
「あの閣下、申し訳ありません。あまり時間がないので手短に説明させていただきますが、私と行く限りその術師は出てきません。とはいえ、それも今日の日没までなのでもし進軍するのであれば急ぎ御準備を……」
僕がイズメに勝てば、恐らくムーランダーは僕に着いてくる。
だけど僕が負ければ彼らは準備をしてあの陣を去るはずだ。それまでどのくらい時間が必要か分かったものではない。下手をすればその間に僕の教え子たちが命を落とすことも考えられる。せっかく命を守って育て上げたのにそんな無意味に死なれたんじゃたまらない。
今のうちに陣を抜き、国境の村まで王国軍で押さえてしまえば彼らは二度とあの陣に戻らないだろう。
もっとも、初対面の者の言葉に、負け続きの司令官がどういう判断を下すのかまでは僕の知ったことではないのだけど。
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