第277話 首投げⅣ

 ステアを教会に送り、自宅に帰る頃には空の低い部分がうっすらと白みだしていた。

 迷宮を出る前から眠っていたコルネリをリュックにしまい込んでいたのだけど、ゴソゴソと動き出したので取り出すとノビをした後、まだ濃藍色の空へと飛び出していく。

 以前は遊びに行くんだろうと思っていたけど、精神がつながった今ならわかる。彼は順応で狂った身体感覚を調整するために空を飛び回るのだ。

 あっという間に遠くへ飛び去り、小さくなったコルネリを見ながら、日没は物が見づらくなるけれど払暁はそうでもないな、なんてぼんやりと思う。

 朝の匂いを感じながら扉を開けると、年かさの少女が二人で台所に立っていた。火をおこして残り物を暖めるのだろう。


「あ、お帰り」


 竈の前で薪をくべる少女がこちらを振り向いた。


「ただいま。ルガムは?」


「部屋で寝てるよ」


 淡々と応え、淀みなく朝食の準備をしている。

 僕にとっては大冒険からの帰還だけど、彼女たちにとっては日常の早朝に過ぎないのだ。

 パチパチと乾燥した木がはぜ、鍋が煮える。

 やがて他の子供たちも起きてきて朝食をとり、朝の街に出て行くのだろう。

 まったくもって偉大なことに、都市住民の生活は僕のような冒険者じゃなくて彼らのような安価な労働力によって支えられているんだと実感する。

 

「兄ちゃんも食べるの?」


 食器を並べる少女が聞いてきた。

 僕の分を用意するか否かで並べる数が違うのだ。ちなみに、普段は僕の分なんて用意されていない。

 

「いらないよ、ありがとう。さて、僕は少し寝るから起こさないでね」


 本当は小腹もすいていたのだけど、子供たちの分がなくなったら申し訳ない。彼らが出かけた後に残っていればそれを貰おう。

 僕は廊下を歩き、寝室の扉を開けた。

 ベッドではルガムが険しい顔をして眠っている。

 一度死んでから蘇って以来、彼女はひどく夢見が悪いとぼやいていた。

 一体、それが彼女だけの現象なのか死んだ者の多くに訪れる現象なのかは不明だけど、ブラントを捕まえて夢見を聞くなんて気持ちの悪いことは間違ってもしたくない。

 僕はリュックを床に置くと、ローブを壁に掛けた。

 靴も脱いで、汚れた服も着替える。

 自宅に戻ってきて、ようやく落ち着いた気がした。

 傍らの水差しで水を飲むと、ベッドの縁に腰掛けてルガムを眺める。

 首筋は汗に湿っていて、ざっくりと開いた胸元にも汗の玉が浮いていた。

 豊かな胸を通り過ぎれば最近、やや丸みを帯びだした腹がある。

 その中で僕の子供が育っているのだ。

 なんとなく腹を撫でようと思った手は無意識に胸を鷲掴んでいた。

 

「……なに?」


 眼を覚ましたルガムがしかめっ面で僕を見ていた。


「いや、あの……ちょっとお腹をね、触りたかったんだけど」


 嘘じゃない。

 確かにそう思って手を伸ばしたはずだ。結果として違うところを掴んじゃっただけで。


「寝てるときにそういうことするの、ビックリするからやめてくれない?」


 冷たい視線に冷たい言葉。

 

「ごめん」


 他に言いようもない。


「手、離してよ」


「それは嫌」


 苦笑するルガムを見ながら僕は思った。今ではないのか。

 なんとなく雰囲気がいい。今ならステアとの話も快く許してはくれないだろうか。

 と、布団の中から手が伸びてきて僕はルガムに引きずり込まれた。

 抵抗をする前に唇をふさがれる。

 甘い体臭と背中をきつく抱きしめる腕。

 たっぷり一呼吸分をおいて口が解放された。


「お帰り。無事に帰ってきてくれてよかった」


 はにかむような笑顔を見て、僕の心は打ち抜かれ、申し訳ないけれどもステアの話題は一時棚上げになった。

 もともと皆が集まって話すつもりだったんだから初志を貫徹しよう。

 廊下では子供たちが慌ただしく起き出して準備をしている音が聞こえる。

 彼らは手早く朝食を取ると、労働に従事するため飛び出して行くのだ。

 それまではせめて密やかに。

 再び唇を重ね、首筋を鼻先でつつく。

 そうしてハタと思い至った。


「あれ……ねえルガム、大丈夫なのかな?」


 情けないことに、僕は知らないことが多い。

 もしかしたら間抜けかもしれない問いかけを恐る恐る投げかけてみた。

 

「……多分?」


 こちらもボンヤリとした回答をしてルガムが情けなそうに笑う。


「わかんないよ、初めてなんだから」


 照れた表情を浮かべるルガムを、僕はたまらなく愛しいと思った。

 彼女も僕も新米の夫婦で、しばらくすると新米の親になる。

 きっと、これからも一緒に試行錯誤を重ねていくのだ。

 廊下の方から子供たちが出かける音がして家の中が静かになった。

 

「とりあえず、まあ、ね」


 僕たちは見つめ合い、結局は共犯関係を結んだのだった。


 ※


 目が覚めると、すでにルガムはいなかった。

 部屋の外からカンカンと木槌を打つ音が聞こえて来るので食卓で手袋を作っているのだろう。

 心地よい疲労感に心地よいリズムが重なって、僕の意識は再びまどろみの沼に沈みそうだ。

 考えることはたくさんある。

 ステアの事、ルガムへの説明、教会に預けている幼い子供たち、メリアとステアの和解、自由市民になった後の身の振り方。

 他にも、迷宮にいる一号とその子供も気になる。

 僕の仕事はどうなるのだろうか。教授騎士の補佐も、冒険者組合の奴隷向け講師も続くのか。

 とにかく後でその辺の事を聞きに回らなければならない。

 ついでにシグにも相談してみよう。きっと一緒に悩んでくれるはずだ。

 そうして、ワデットの墓を作ろう。

 納めるものはボロボロの編み紐しかないけれど、新人冒険者の死に様と考えれば贅沢な方だ。

 ゼタの墓も必要だろうか。

 その判断は後で本人を喚びだして聞けばいいか。

 考えることは多い。ゆっくり眠っている場合ではない。

 だけどすべてが満たされたような気になって、いつの間にか僕は眠りに落ちていた。

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