第276話 護衛者たち

 アンドリューは地下三十階に友人の気配を感じていた。

 最近、根城にしているエリアからは遙かに上層だが、それでも無理をすれば行けないこともない。

 顔を見に行こうかと悩んだものの、さらに上層にはかつて相棒だった男の気配もしたのでおとなしく見送った。

 地下三十階といえばもはや順応が極まる一歩手前といってよく、ここまで来ればいずれ落ちてくるのは間違い無い。

 その時までゆっくり待てばいい。

 幸いに、時間を潰す方法には困らなかった。


『氷よ、彼を貫き釘付けにしろ!』


 緑色の猿の群れに容赦なく氷柱を降らせると、そのまま周囲の温度を下げていく。

 地面に釘づけられた猿たちは口から血を吐きながら凍り付き絶息した。

 すぐさま猿を飛び越えて星形の頭部を持つ犬の群れが襲いかかり、これも地面から突き出た氷柱が迎撃した。


 迷宮にあって、リッチは内包する魔力量から多くの魔物に狙われる存在である。

 それゆえ、アンドリューを倒そうと訪れる者は絶えない。

 不眠不休で戦い続けることは、アンデッドにはなんら苦痛ではない。むしろ、存在するだけで正気を消し飛ばすような強烈な苦痛は他者の命を奪うときだけ遠のいてくれるので、来客を常に心待ちにしている。

 しかし、深層の魔物はどれも一筋縄ではいかない曲者であり、訪れた者の中には驚異的な存在も混ざる。

 地面から生えた氷柱に胴体や頭部を貫かれた犬たちはすぐに分裂すると二倍の数に増えてアンドリューに飛びかかった。

 その動きにダメージは見られない。

 星形の頭部が明滅すると、二つに割れて裂け目から無数の触手が伸びてきた。

 しかし常時展開している結界群が愚かな接近者を打ち払……わない。

 先ほどの明滅にいかなる効果があったのか。気づいた時には既に遅く、アンドリューの体に三匹の犬が取り着いた。

 触手は霊体の腕や体をしっかり掴み、ギシギシと締め上げる。同時に体の奥にもさし込まれ、先端からは猛烈な勢いで魔力が吸い出されていった。

 こいつはまずい。

 アンドリューは不死性を獲得していても不滅ではない。他の魔物に喰われればそれで終わりなのだ。

 頭部の器官で魔力を吸引した犬はすぐに分裂し、生まれ出た犬も即座に噛みついてくる。

 放っておけばアンドリューの体は見る間に吸われ尽くしてしまうだろう。

 

『凍れ、凍れ』


 アンドリューは魔界の氷原から冷気を召喚すると一気に周囲の温度を下げた。

 僅か数秒、放電が起きるほどの極低温が出現し、去った時には犬たちに致命傷を与えていた。

 耳が取れ、鼻はもげ、足は折れる。全ての触手も完全に凍り付いて壊死している。

 引きはがすと、犬はゴロンと地面に落ちて首が取れた。

 体の八割方を凍らせながら、それでも数匹の犬たちは生きていたが、アンドリューが吸い取られた魔力を取り返すとそれも絶息した。

 

「失敗したなあ」


 アンドリューはバツが悪そうに頭を掻く。

 ここまでやるつもりではなかった。

 最近、常用している冷気魔法は高度かつ消耗が激しいものの、生物には等しく効果が見込めて便利だった。

 しかし、このようにやり過ぎるとしばらくの間、ほとんどの魔物が近づいてこなくなる。

 冷気を苦にしないアンデッドや魔法生物系の魔物がやってくればいいのだが、それらは生きている魔物に比べれば圧倒的に少なく、都合よく遭遇するのは難しい。

 周囲を静寂が支配し、同時に激烈な苦痛がやってきた。

 魂が炙られ、削られる様な苦しみはそれこそ生物なら一瞬で狂死をもたらすだろう。

 だが、アンドリューは死なない。

 死にながら生き続ける限り、その魂が許されることはなく、ただ他者の命を吸うときにだけ僅かに満たされるのだ。


 敵、敵はいないか。


 周囲を見ると、遙か通路の先で何者かの気配がした。

 相手を見定める時間も惜しく飛んでいくと、それはいた。

 しかし、焦がれた獲物を目の当たりにしてアンドリューは鼻白む。

 輝かしい白銀の鱗を持つ巨竜の事をアンドリューは知っていたのだ。

 かつて、その鱗は緑ではなかったか。しかも、ここまで強大な存在ではなかった。だが、顔に刻まれた傷は見覚えがある。

 

「リ……リフィック?」


 かつて、自分の雇い主だった美女が従えていた守護竜。

 ただし、竜とはいえ地上で飼い慣らされた番犬である。アンドリューの基準では話しにならないほど弱かったはずだ。

 それが今、目の前にたたずんでいる。

 竜とは、悪魔とは別種の神殺しだと聞いたことがある。

 確かに、この竜なら神も殺せそうだ。アンドリューはぼんやりとそんな事を考えた。

 

「俺の名前を知る、オマエは誰だ?」


 地割れの様な恐ろしい声が響き、アンドリューは身をすくめる。

 言葉を用いる事に驚いたのではない。そういう順応もあるだろう。

 ただ、声に、視線に、吐く息にまで聖性が伴うとはどういうことだ。

 近くにいるだけで止まないはずの苦痛が止み、体が浄化され消えていく。

 

「かつて、僕も君の同僚だったのさ。ほんの短い間だったけどね」


 嘘がつけない。

 全てをさらけ出したくて仕方が無い。

 頭では逃げるべきだと理解しながら、心が拒否をしていた。

 この場で浄霊されてしまうのが幸せだ。

 そんな事を思い、思考までが汚染された事に気づく。

 毒づけ、苦痛を取り戻せ。

 幸福を賛美する脳内で残った理性をかき集めるとどうにか言葉をひり出した。


「あのテリオフレフって女、無理矢理にでも組み敷いてやればよかったよ」


 ポ、という音と閃光だけが見えた。

 その瞬間周囲はまばゆく輝き、アンドリューはそれからしばらくの記憶が無い。

 気づいた時にはローブによって再召喚されていた。

 

「ムチャクチャなヤツだな」


 見上げると迷宮の天井に穴が空いている。

 穴から見える先にも穴の空いた天井が並ぶ。

 リフィックのブレスは数階層を貫いてアンドリューを消滅させたのだった。

 

 ありゃ駄目だ。相性が悪い。

 

 アンドリューは決して愚かではない。

 かつて対面した一号も強敵だったが、力及ばずたまたま敗れたに過ぎない。

 戦い方の工夫もできるだろうし、勝ち目だって十分に望める。

 しかし、リフィックは違う。おそらく存在そのものがアンデッドの天敵なのだ。

 勝つ負けるの前に、どうやれば戦いになるかもわからない。


 二度と会いたくないな。


 考えてアンドリューは身を震わせる。

 既に苦痛は帰ってきて、その魂を一層強く苛んでいた。

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