第142話 無理解

 ハンクはとりあえずマルカを殴りつけた。

 場所はハンクに与えられた執務室である。

 多忙故あまり座ることはないが、上等の椅子と机がおいてあり、壁のキャビネットには高い酒が並んでいる。

 その部屋の中央で殴られて倒れたマルカは口から血を吐いた。

 内蔵を痛めたわけではなくて、口を切ったか鼻が折れたか。ともかくハンクはその手加減に自信がある。

 倒れたマルカを蹴飛ばすときにも、肉の薄い肋や下腹部を避け、ヘソの少し上を蹴り上げる。

 鈍い手応えに不愉快さがハンクの内面を押しつぶしていく。

 面倒に思いながら太股を蹴りつけ、肩を踏みつける。

 殺したいのなら頭を踏みつけて終わりのところ、深刻な怪我はさせないよう気を払いながら、相手に工夫を気取られてはいけない。

 また、マルカの舎弟二人も部屋の隅でふるえているだけで止めようとしない。

 この二人が自分の事を二人掛かりで押さえつければいいのだと、ハンクは思いながら、それが無理であることも理解していた。

 マルカからしてダメだ。

 エランジェスに憧れているといいながらその在りようを理解していない。

 その舎弟は更に輪をかけたボンクラだ。

 

「おいマルカ、オマエは仕事をナメてんのか、それとも俺をナメてんのか!」


 仕方ないので顔を蹴り上げて問いただす。

 本来は、暴行をやめるきっかけをマルカの方から提案するべきだった。

 そうでないとハンクとマルカの対話は一方的なハンクの語りかけに終始し、会話が成立しない。


「……なめてないです」


 歯が折れ、大量に血を流す口からうめくように言葉を発する。

 ハンクは横にしゃがみ、その髪をつかんでマルカの顔を上げさせた。

 

「いいや、ナメてるね。それも仕事と俺の両方をだ」


 決めつけながら、その顔に拳を打ち込む。

 鈍い音がして頬骨が折れたのが感触でわかる。


「……勘弁、して、ください」


 あえぐように哀願を繰り返す。

 合格点にはほど遠い。

 髪の毛を放すとマルカはベチャリと床に崩れた。


「おい、連れて行け」


 ハンクは茫然自失の舎弟二人に声をかける。

 既に立てないほどの負傷を抱えたマルカは二人掛かりで引きずられて部屋から出ていった。

 扉が閉まると、ハンクは久しぶりに自分の椅子に腰掛けた。

 机の引き出しをあけると、中から小さな小瓶を取り出す。

 中には小さく白い球がいくつか入っていた。

 瓶のふたを開け中身を一つ口に運ぶ。

 強烈なしょっぱさに体が吐き出したがるが、無視して舐め続ける。

 どこか遠方で生産されるという果実の塩漬けをさらに天日干ししたものだ。

 ハンクは思考を必要とするとき、これを舐めることにしていた。

 頭の中で事態を整理する。

 件の女奴隷は現在、どこぞの冒険者が所有しているのだという。

 それを調べたマルカはそいつに会いに行ったものの、先に関係者達に話を通せと言われて引き下がったのだ。

 ここで減点一。

 本来であれば相手に考える時間を与えないためにその場で言質を取るのが好ましい。

 マルカは相手がお屋敷から出て来なかったので、と言っていたが、そんなのは当然の話だ。

 相手が厳重な警備の中にいるのなら出てくるまで待ち、できれば人気のないところで交渉を始めるべきだった。

 さらに、その後冒険者組合を訪ねて、ニエレクは不在だと言われて帰ってきている。

 なぜ、居場所を聞いてさらに押し掛けるなり、その場で出てくるまで待つなりしなかったのか。

 それを当たり前の顔でハンクに報告したのだ。

 そんなもの、エランジェスにそのまま報告すると間違いなく殺されてしまう。

 それで仕方なく彼を殴ってみたのだった。

 少なくともこれでしばらくエランジェスに報告はできない。

 その間に、事態の収束をはかる必要がある。

 ただでさえ忙しいのにやることがまた増えた。

 新人娼婦の購入、娼館施設の老朽化、役人との交渉・接待、エランジェスのご機嫌とり、金の統括。

 時間も金もいくらあっても足りない。

 マルカだってもっと成長して金になる仕事をして貰わないといけないのだ。

 

「なにもわかってねえな、ボンクラめ」


 ハンクはうんざりしてマルカが去ったドアを見つめた。

 エランジェスに憧れ、彼のようになりたいのだというならなぜハンクに反抗しなかったのか。

 限定された部屋に四人、うち三人がマルカ側だったのだから、これがエランジェスなら三人掛かりでハンクをなぶり殺しているだろう。

 むしろいい機会だと笑いながら嬉々として金槌を振り下ろしたはずだ。

 頭が切れるとか、喧嘩の腕が立つ、人望が厚い。

 そんなのは全部二の次だ。

 エランジェスが振り回す無意味でこだわりのない暴力と圧倒的な不条理こそが彼を王たらしめているのだ。

 ハンクは深いため息を吐いた。

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