第46話 難民


「わかったか?」


 暗殺者の声は横に立つ邪教徒に聞こえないように小声だったのだけど、その言葉には純粋な感情が読み取れた。

 なぜ、本部に戻った僕みたいな信徒を追い返すのか。


「でも、中に妹がいて……」


 口から出まかせを言う。この、とっさに口をついて出た嘘の癖に良識のある大人の心をつつく言葉選びに我ながら辟易する。


「じゃあ、妹も連れてすぐに出てこい。いいか、中でモタモタするんじゃないぞ!」


「は、はい」


 暗殺者の強い口調に押されて頷いてしまった。


「なあ、なんの話をしているんだ?」


 横に立つ邪教徒がいぶかし気にこっちを見ている。

 暗殺者はようやく、僕を開放して道を開けた。


「お前には関係ない。黙って見張っていろ」


 僕は小さく頭を下げて扉をくぐった。



 暗殺者の口ぶりは気になったものの、どうせ長居する予定もないのでむしろ都合がよかった。適当に中を見て回り、妹が見つからなかったと言って出ていけばいい。

 

 それにしても、ホールの中は存外に広かった。

おおよそ二百名を超える人数がたむろしているのだけど、それでも閑散とした印象を受ける。

 中央に大きな松明が焚かれ、女、子供、老人、けが人などの迷宮を歩けないような人間が点々と身を寄せ合っている。

 皆、一様に表情が暗いのは悪意の迷宮に安心できないからか、単に疲れているからなのか。

 確か、この連中は迷宮の外で政策により弾圧を受けたというので、兵士に追い立てられどうにかこの迷宮に逃げ込んだのだろう。

 酒場の親父は一部残党と表現したので、大部分は外で殺されたか捕らえられたのかもしれない。

 まあ、悪魔を崇拝するという『恵みの果実教会』への攻撃自体は以前からあったというし、それを覚悟して信仰をつづけた大人に対しては覚悟の上の行動だと信じることも出来る。

 でも、ここにいる無数の子供たちはどういうことだ。

 乳飲み子も、幼児も少年もいる。

 大人の都合につき合わされて彼らの命は間もなく尽きるのだ。とどめを刺す栄誉は僕に与えられている。気が狂いそうだ。

 僕たちが殺した邪教徒が彼らの父親か母親であった可能性もある。

 人の世はなんでこんなに難しいのだろう。とっとと迷宮順化を進めて一匹の矮小な魔物になってしまいたかった。そうして、迷宮の端っこを這いずり回って暮らせれば今よりどれほど楽だろうか。


 よくない。

 僕は深呼吸を三度重ねた。

 今考えるべきことはそうじゃないだろう。自分で自分に言って聞かせる。

 ここにいるすべての弱者と比べたって、僕のことを待っているシガーフル隊の皆の方が大事だ。その為には自分の役割に集中しないといけない。できるだけ感情を殺せ。


 僕は周囲を観察した。

 人の塊の合間を戦士や暗殺者、魔法使い風の男たちが巡回している。

 出口には邪教徒が三人控えていて、自由に外には出られないようだ。そのうち一人は上等な僧服を着ているので教団の幹部なのかもしれない。

 僕は人を探すふりをしながらホールの中を歩いた。

 入り口から向かって左手奥に水場があり、その近くに木箱が積まれている。

 おそらくは生活に必要な物資なのだろうけど、中身がすべて食料だとしても数日分しかない。

 右手の奥には薄布で区切られた区域があり、僧服の邪教徒たちが頻繁に出入りしているので、おそらくそこが司令部だ。

 そちらの情報も仕入れるため、戦士や暗殺者の数を数えながら近づいていく。

 戦士が十二人、暗殺者が八人、魔法使いが十九人、僧服を来た邪教徒が三十人ほど。

 意外に少ない。というよりもこれだけしか残っていないのだろう。

 それでも、正面から戦えば僕たちにはどうにもならないことに違いはない。

 突破口を探しながら、薄布の近くに立った。

 ちょうど、後ろから来た邪教徒が中に入って行く為に布を開けたので、中を覗くと、中には十人ほど座れる机が置いてあり、数名の僧侶が祈りを唱えていた。

 少しの間、悩んだものの覚悟を決めて僕も薄布を持ち上げて中に入った。


「なんだ貴様」


 祈りを捧げていた禿頭の老僧がこちらを見て言った。


「一般の信徒は立ち入り禁止だ。出ていけ」

 

「ごめんなさい、ちょっと妹が見当たらなくて。この中にいないかと」


 僕は申し訳なさそうに言って、視線を走らせる。

 暗殺者が一名、魔法使いが一名。そしてこの老僧を含めた邪教徒が四名。

 更に奥にはもう一枚薄膜が垂らされているものの、さすがにそこまでは覗けないだろう。

 僕は諦めて、軽く謝りながら出ていこうとした。


「お待ちなさい」


 その声は奥の薄膜の、その奥から聞こえてきた。

 

「その者をこちらへ」


 女性の声だ。老僧は嫌な顔をしたが、顎をしゃくって奥に進むように命じた。

 リスクを取りすぎただろうか。

 だけど、この状況では断れない。

 僕は言われるままに奥へと進み、薄布を持ち上げた。


 そこにいたのは一人の美しい女性と一頭の大きな魔物だった。

 いや、正直に言おう。僕の目は魔物に釘づけられて女性に気づくまで少し時間を要した。

 そこにいた魔物は、薄い緑色をした分厚い鱗の肌を持ち、四本の太い足と、体に不似合いな小さな翼を備え、その上で燃えるような真っ赤な瞳で周囲を睥睨するドラゴンだった。

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