第23話 錯乱少女

「無理だよ」

 

 僕は慌てて首を振った。


「あら、どうしてですか。何も問題はないじゃありませんか」


「ダメだって。僕にはルガムがいるんだよ。僕は彼女の事を愛しているし」


 嘘だけど。


「嘘ですね」


 僕の本心はあっさり見破られる。

 

「あの場で、あなたがああしなければ、シグさんとルガムさんは殺し合っていたでしょうし、そうなれば私たちも全滅していたでしょう。神への偽証は重たい罪ですが、あの場合、仕方がなかったとも言えます」


 うう、混乱していたくせによく見ている。

 

「そうやって決めつけないでよ。ステアに僕の心はわからないだろ。僕は本当にルガムが好きなの」


 こういうのは言い切ってしまったものの勝ちだ。大抵の場合は。


「ええ、そうでしょうね。あなたは、彼女を好いています。でもそれは、慣れ親しんだ友人に感じる親愛の情を、無理に言い換えていますよね」


 妙な言葉を突きつけられて、僕は言葉に詰まった。さすがに宣教師だけあって説法が達者だ。

 

「そうであるなら、私やシグさんのことだって、あなたの言葉を借りて表現するのなら同じくらい好きですよね」


 ステアはにっこりとほほえんだ。血と吐瀉物、それに泥で汚れた髪と服に包まれて、汚れを落とした顔だけが美しく輝いている。

 それにしても勘弁して欲しい。僕はそもそも自分の事で手一杯なのだ。

 冒険者特例とか、そのほかの決まりにどういう物があるのかは知らないけど、少なくとも奴隷管理上のルールとして、例え自由恋愛の結果であっても、自由市民との性交を主人は咎める事が出来る。だから、僕がお屋敷の使用人にでも手を出せば、ご主人の腹一つで去勢されようと目を潰されようと文句は言えないのだ。いや、文句は好きなだけ言ってもいいのだろうけど、その暴行で主人側は罪に問われないのだ。

 だから、見目麗しい奴隷青年が主人の不興を買い、冤罪をでっち上げられたあげく、顔面を焼かれたという話も聞く。

 この都市の決まりは、全て自由市民の味方をする。だから僕は、あまり目立ったことはしたくなかった。僕は自分の主人を、極端な悪人とは思っていないが、案外と器が小さいとは思っている。

 ルガムとのことは仕方ないのだとしても、ステアとの結婚は出来ない。ご主人の勘気に触れて顔を焼かれるのはごめんだ。


「だったら、ステアだって。命の恩人だって言うのなら僕よりも断然、シグだよ。あいつが前に立って体を張っているから僕たちは生きていられるんだよ。そこいくと僕なんて、今回初めて、君の手を引っ張っただけで、君のために体を張ったこともないよ」


「私、男の人と手を繋いだのも初めてなんです……」


 ステアは顔を赤らめながら自分の手を見つめた。

 しまった、これは失策だ。

 多分、彼女の中の大きな部分を形作る信仰心が、あまりの恐怖によって一度、壊れてしまったのだ。その時、たまたま彼女を幼子の様に扱った僕が、彼女にとって絶対の庇護者である様に錯覚してしまったのだろうか。

 いずれにせよ、一時的混乱の延長だと思う。

 普通の女の子なら、英雄志向のシグに憧れるのが健全だ。

 体格に恵まれ怪力で性格も快活、顔も悪くない上にパーティを纏める冒険者チームのリーダーでもある。実のところ、英雄の資質たっぷりだ。この街で育つ多くの少年少女が望む未来像でもある。

 対して、僕は華奢で小柄。非力で、性格もいいとは言えない。その上に多額の借金を背負う奴隷だ。僕が女の子なら絶対に僕のことを相手にしない。そして、シグに憧れるだろう。

 

「とにかくね、疲れているときに重大な決断をするもんじゃないって、うちのご主人も言っていたし、そういうのはまた後日、話そうよ」


「あら、時間が経っても私の気持ちは変わりませんよ」


 ステアが心外そうに反論した。時間が立てば正気に戻るだろうという僕の態度をはっきりと否定している。さすがに、カルト教団で育っただけあって根が頑固だ。

 でも、僕はこの話をあまり長くしていたくなかったのだ。言葉通り、酷く疲れていたのもあるし……。


「そろそろルガムが帰ってくるよ」


 僕の婚約者の名前を聞いて、ステアの赤みがかった頬はサッと青くなった。

 僕を庇護者だと認識すると同時に、ルガムを恐怖の対象として認識してしまったのだろうか。


「だから、ほら、そういう気持ちの整理もあるだろうから、結論を出さないでもう一回考え直したら……」


「で、ですから、私の気持ちは変わりませんよ。あなたのことが……」


 ステアには悪いけど、そこから先は聞いていなかった。視界の端に、大股で歩み来るルガムが見えたから。


「ぐえっ」


 情けない声を出して、ステアはつまみ上げられた。


「あんたがアタシの婚約者としてるその面白そうな話、アタシも混ぜてよ」


 言って、自分の顔の高さまで持ち上げたステアの額に、自分の額を擦りつける。

 ステアの返事は、言葉ではなくて嘔吐だった。

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