越えがたい亜人種の垣根


 貰った木製マスクのいくつも開いた細いスロットから自分を見ないように頭を垂れているゴブリン達を見る。


 ジロを騙そうとしている風にも見えず、かといって、亜人の為表情は読み取りにくくはあったが、強者に媚びへつらっているようにも見えない。


 ただ、本当に命を引き替えとした取引を求めているようにも見えなかった。


「おい、ゴブリン。お前達は、なぜそんなに落ち着いている?」


「あん? なんだって?」

「実力を見た時はおののいていたが、何故、今は怖じ気づかないんだ?」

「ああ、それ。てめえら人間共は同じような事を聞く。分からない。戦士は死ぬ時はただ死ぬだけ。死ぬ時は痛いかもしれないが、痛かった時に考える。今考えるのは生きる事だけ」

「ゴブリンってのは、へんな生き物だな」

「俺達もてめえら人間は、変な生き物だとおもう」

「言われてみれば、牢屋に繋がれてたゴブリンを見学した事があったんだが、そいつも堂々としてたな」


 ドスがピクリと身体を震わせる。


「どうした?」

「……いや、どうする。生かすか、殺すか。早くしろ!」

「それが、立場弱い奴の言いざまかよ」


 ジロはマスクを微調整しながら、興味と無関心のどちらが今勝っているかを自分の心に聞く。

 わずかながら興味が勝っているように感じた。


「まぁいいや、興味を持った。顔を上げてくれ……え~~っと、ゴブリン」

「俺はドス! ドス、呼べ!」

「解った」

「分かったアドルフ! ここの洞窟の品、全部やる。俺達の命の値段だ」

「どの位あるんだ? ああ、ペールの貨幣でな?」

「……そんなに無い。金貨十枚くらい。国に送り出したばっかりだから……あの牢のメスを全部やる。上手く売ればペール金貨三百枚くらい、なる」


「おもしろい提案だが奴隷商人を知らないし却下だ。俺はお前達やお前達が相手にしていたような連中と違って、日の下を堂々と歩かないとならない。第一だ――」


 ジロが話している最中に、ズタ袋を下っ端らしい戦士のゴブリンが持ってきて、慎重にジロの足元に置くと、逃げるように元の位置に戻った。


「――牢の人間はお前にとやかく言われる筋合いはない。ここに来る前、つまりはこの交渉前には制圧済みだから、現時点ではあれはこっちのもんだ」


 ジロは袋の口を縛っていたロープを槍の穂先で切って足で袋を転がす。

 中からありふれた生活品の数々が出てきた。

 値打ち物と言えば言えたが、貴族や金持ちの市民にとってはありふれた芸術品や生活品であった。


「……これは? ガラクタじゃないが……それだけの価値しかなさそうなんだが? なんの為にこれを持ち出そうとしてたんだ? これがお前達の命の値段?」


ジロはドスの考えが分からず不審に思う。


「おめえに珍しくなくても、国じゃ高値で売れる。だから持ち帰ろうとした」


 それを聞いて、なるほどなと思った。

 袋の中身をひとつひとつ取り出し、よくよく観察すると、見慣れてありふれた品々は、確かにペール特有のデザインの物だったり、人間独自の生活圏内の必需品であった。


 土地が変われば興味も変わる。ましてや亜人種族ともなれば――

 ――ジロは自分の被る面の事を思い出し、そして閃いた。


「ドス、聞くがソトは他の国々と交易はあるのか?」

「聞いた事ない。てめえら人間は俺達嫌い。俺達ゴブリンも貧弱な人間達は大嫌い。てめえらの仲いい、ドワーフもエルフも大嫌い。だからいつも殺し合う。オークの方、まだ話、通じる」


(人界と交流が少ない、亜人種域の方に、人界では知られていない工芸品や特産品があるとしたら……こいつに渡りをつけてもらえれば、独占できるって事じゃないのか? 交易……)


「お前達を助ければ、ソトの上層部のゴブリン達と話せないか?」


ジロの一言にゴブリン達がざわつき始めた。だが、ドスは人間が沈思黙考するかのように顎の下に手を当て、何やら考え込んでいる。


「おめえ、馬鹿か? ち、違う! 頭悪い言ってない! そんな事考えるのゴブリンも馬鹿人間も誰もいない! ゴブリンと人間、仲間と違う。だから、おめえは……頭、大丈夫か?」

 っと、ドスの沈黙に耐えられなくなったのか、それまで口を閉じていたもう一体のホブゴブリンのゴブリンシャーマンが口を開いた。


それを聞き、ジロも自分の発言の異常さに今さらながらに気づく。


 ジロは戦闘でゴブリンと戦った事がなかったとはいえ、ペール王都の郊外の大平野には、過去の交戦などで捕らえた亜人達の刑務所があり、そこに任務で赴いた折りに、所長に案内されて、亜人種の囚人を何体も見た。

 その記憶の中に、身なりの良いゴブリンがいた事を思い出す。


 その頃一目見ただけで、軽蔑し、なんの因果関係もない牢内のゴブリンに憎悪の念を抱き、見るだけでも不愉快になった事をおぼろげながら思い出した。

 

 だが今はあの頃と違う。

 あの身なりのよいゴブリンよりも、数倍は薄汚いゴブリン数体を前にしているのにも関わらず、まるで人間と接するかのように、ドスと向かい合っている自分に気づいた。


(今の自分にとって、大事な人達以外は、十把一絡じっぱひとからげであるのは重々承知していたが、それが人類以外にも適用されているとは思ってもいなかったぜ。これは魔人化している最中の利点なのかもしれないな)


 他種族にとっては相変わらずジロは人間であるので、ジロは向こうにとっては未だに種族間的憎悪の対象であったが、今のジロにはそれをねじ伏せる力があった。


 ジロはそれを最大限利用する事にした。


「俺の力を見ろ。俺は相手の暴力を恐れない。暴力を恐れるのはゴブリンの上層部の方だ。そして俺は争いを仕掛けるわけじゃない。ちょっと金儲けの話をソトのゴブリン連中としたいだけだ。向こうが気に食わないなら、腹いせに殺しつくすなんて面倒な事もやる気が起こらないと約束しよう。……お前らにとってのありふれた特産が人間界じゃ貴重な物になる可能性があるからな。本当にただそれだけだ」


「それ、ダメだ。人間、ゴブリンを憎むから絶対に売れない。これも人間の持ち物、言ったら国じゃ売れない。 だから出所は隠す!」


「それと同じ事を多分人間もやっている。だから、それを知られないのであれば、人間の俺が人間相手に売るって言ってるんだよ。そしてその規模を大きくできるのなら……」


「待て……考える」

 ドスは凶相を更に凶悪に歪めながら再び黙考し始めた。



「ダメだ。やっぱり話無理。おめえが間違ってる。ドス、国じゃ力無い。だから出稼ぎする」


 ドスの雰囲気が変わった事にジロは気づいた。何が変わったのかは分からないが、確かに違う。


「だが、できそうな奴、知ってる。おめえ、それ手伝うか?」


「おいおい、お前達の命の値段はどうなったんだ? 対価を支払うどころか、そっちが要求してくるのか?」


「違う。できる奴、助けるのが俺の使命。これ皆にも秘密だった」

 周りのゴブリンがドスの言葉にどよめく。

 演技には見えなかった。


「俺、無理。どうするかも分からなかった。……でもおめえ現れた。神の思し召し」

「……話を聞いてなかったみたいだな。なぜお前が話を進める? 決裂か?」

 ジロは天井に漂う《火球ファイアボール》を見上げる。


「聞け! 人間語難しい。最後まで聞け!」

 ドスが必死になっていた。その必死さが死の恐怖からでないとすると、そのバックボーンがジロには少し気になった。


「この国、ペールにできる奴捕まってるはず。殺されてるかもしれない、殺されてないかもしれない。でも、てめえらの商人誰も知らなかった。捕虜や金目の物だけ欲しがる、バカで無能揃い」

「ふむ」


「でもアドルフ、会ったと言った」

「数年前の話だぞ?」

「大丈夫、捕らえられたのもっともっと前、十年前位」


(……確かあの刑務所であの所長に案内された時、数年前とか言っていたのはあのゴブリンの事だったよな? そうだとすると一応、同時期だな)


「続けろ」

「感謝だ、アドルフ。俺、その同志助けたい。国のみんなも助けたい。助けたら、アドルフの頭悪い、馬鹿話も叶うかもしれない」


「……俺に、そのゴブリンを助ける手伝いをしろと? というか、本当に生きてるのか?」

「知らない。俺は生きてないと思ってた、でもおめえ、てめえらゴブリン捕らえてると言った」


「……ああ」

 答えながら、ジロは刑務所を強襲して刑務に就いている騎士を殺し尽くして、ゴブリンを解放するのを想像するが、微塵の嫌悪も感じていない自分に改めて気づかされる。


「ただ、それは今後の話だろう? 今の代金はどうする?」


「今渡した分以外ない。が、俺役に立つ。ドスは出稼ぎの部隊の中じゃ、かなり力ある。証拠がこの使命に関わってる事。今生かしてくれれば、俺、金いっぱい集めてみせる。受けるか? 受けたらお前、頭がきっとおかしい。俺、逆の立場ならこんな事提案する人間は殺してる。胸くそわりぃ」


「ふむ。とりあえずはドスの提案を受けよう」


 罵倒をもろともせずに即答したジロを見て、ザワッとゴブリン達が色めき立つ。

 交渉を切り出したドスの顔にすら嫌悪感が見えた気がした。


「ただ、手伝いはいいが、俺にも優先順位というのがある。それ次第では、次の瞬間に気が変わっても知らないが、どうする? 逃げてもいいぞ」


「それでもいい。本当は生きてない命。どこでも捨てていい。それにドスは逃げない、裏切らない。お前の覚悟は受け取った」


(覚悟なんてないんだけどなぁ。今の俺は人間を殺すのもゴブリンを救うのもどっちも大差なんてない)


ジロはあくびを堪えながら、ドスの言葉を聞いていた。

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