昼の市場


 ジロは二日酔い状態でふらふらとエリカの後を追う事だけで精一杯だった。


「俺の立ち寄り先も知らないのに……なんでおまえがズンズンと進むんだ?」


 そう何度も、エリカの後姿に向かって弱弱しく声をかけたが、エリカは聞く耳を持たなかった。


 エリカは、

 珍しい織物屋では足を止め、

 指輪を欲しがり、

 首飾りを見たがり、

 イヤリングを買わされ、

 数々の魔法道具の論評を始めたり、批評を求められ、時に吐瀉としゃするジロを介抱し、

 変わった布地や小物があれば、その度にジロの服をつかみ引きとめ、

 ジロが豆、ジャガイモ、ほしいい等の保存食を求めようとするとケチをつけ、

 日持ちのしない柔らかいパンを買わされ、


 食費を抑えようとするジロの財布を取りあげた。


「酒はしばらく見たくない」

「あら、なに言ってるの。こういう時は迎え酒が一番いいの!」

「お前、二日酔いになった事ねえじゃねえか……」

「お父様がそう言ってらしたの! 二杯いただけるかしら?」


 結局、旬の果実酒量り売りの屋で、二人分を購入する。


「さっさと買い出しを済ませ、後は街道沿いで一眠りさせてくれ……」


 哀願にも似た頼みをエリカは笑って拒否した。

 変わりにジロは、エリカからエピデム家伝来の二日酔いに効くという、気休め程度のまじないを施される。


 息も絶え絶えのジロは抵抗する力もなく、時々広場の隅で吐いては白い目で見られながら、包帯ぐるぐるで目立つエリカに手を引かれるまま、端から端まで何度も、連れ回された。


 太陽が中天に差し掛かる頃、ジロの頭痛は相変わらずだったが、胃のむかつきはなりを潜めてようやく食欲がわいてきた。


 市場を一望することができる広場の階段に腰掛けて、朝方、店じまい寸前の屋台で買ったライ麦のパンに王国経営の魔法冷蔵所産だという触れ込みの新鮮な牛肉と店主がうたう、野菜を挟んだバケットに恐々とかぶりつく。


 パンは水を吸い、せっかくの冷蔵所産の冷たい牛肉とやらは、すでに温かくなっていた。


「エリカ、この上俺は、食中毒なんて嫌だからな……市場で昼に、昼飯用の生肉買う奴は、世間知らずの貴族くらいなもんだ。店主もいいカモだ! って顔してただろうが……」

「いいじゃない。そんな事になったら、私が看病してあげるから」


 昼に食事をする者は少ないので、朝ならば各店の奉公人の小僧で一杯であろう、大階段は空いていた。

 余計な出費の方が多く出た、買い出しはすべて終わり、話は自然に二号店の事に及んだ。


「ああ、二号店の開店を知ってるのは俺だけだが、それとは別の魔界行の話を詰めてくれたのは爺さまと宰相閣下、それにエピデム団長閣下だ。じゃなきゃ、ペール王国に現存する唯一の『転移門』の使用許可が、一世騎士ごときに下りるわけないだろ?」

 お父様も? とエリカは首をひねった。


 エリカの父の名はマニー爺さまの物語の事後処理時などには時々登場することもあったが、マニー爺さまの冒険中に出ることのなかった名前だ。


 ジロも宰相や神殿騎士団長はマニー・ガルニエの趣味は知らないものと思っていたが、二代目ガルニエを継いだ際に、マニーは二人にできる限りの支援を頼んでいたと聞かされた。


 二人は無届のAFアーティファクトの個人的所有という、国家反逆罪レベルの犯罪には一切関わっていなかったものの、マニーの事情はある程度知っており、なんとかなる範囲内では、昔から色々便宜を図っていたと聞かされた。


 二人は当代のジロの相談である呪物の解呪にあたり、王国に不利益をもたらさないのであればという点と、解呪に成功したら、王家に戻すという夢物語にも似たジロの提案を飲み、迷惑をこうむらない程度の支援をジロに約束してくれた。


 ジロが呪物の管理に失敗して、例えば呪いを周囲に撒き散らすような事があれば、切り捨てると、ジロもはっきり言われている。


「色々ごたごたとしてたし、亡命のほとぼりが冷めた頃合だから、この前いよいよ計画を実行に移したわけだ。今までのあの掘っ立て小屋の本店は、言わば本番前の練習台だな」


 エリカ、ジロの説明を受けながら、黙ってパンにかじり付いている。


 ジロも食べることに集中しながら、市場の様子を眺めていると、


「……次はいつ行く予定なの?」


「そうだなぁ……。こっちの改装と、ちょっとした用事が済んだら、また行こうと思っている。期間は……往復三日、二号店滞在一日で、一週間位だな。協力者の秘者がきちんと二号店管理をできているのか具合を見たい。でもエリカが聞きたいのは長期って事だろう?」


「まぁ、そうかな」


「長くはないだろうな。あっこは物騒だし」


 そう。と言って、エリカは立ち上がった。


「さて、買い物も終わったし、私、帰るね。眠たくなってきた」

「そうしろ、これ以上無駄遣いしたら、商会は破産だ。こうなったら、アーグをしばらくはよろしく頼むぞ、俺の所にいるよりお前が預かった方があいつも良質の飼い葉をもらえそうだしな」


「帰ってきた辺りに、うちに顔を出して」

「神殿か? それともどっかの詰め所か?」

「ううん。屋敷の方。プライベートで、ちょっとしたお願いがあるから」

「なんか、リーブも言ってたが、学院関係のなんかだろ?」

「……リーブにも相談してなかったのに。相変わらずリーブは勘がいいっていうか、なんていうか……まぁいいや。きっとよ? それまでアーグは預かるからね!」


「お願いって、言ってもなぁ……貧乏暇無しって言葉知ってるか?」


 そしてエリカは、ジロは脇に置いたボロ袋を見た。

 その中には買うつもりのなかったチーズまで入っている。

 出費が激しかったお陰で、財布はほぼ空どころか、親衛隊発行の少額の約束手形まで入っていた。


(これはさすがに、この手形は踏み倒せないな。仕方ない。魔界から帰ってきたばっかりだけど、こうなったら荒事を扱うどっかのギルドにでも行って、仕事を紹介してもらうか、奇跡的に商会の麻縄がバカ売れしてくれない限り、大変な事になる)


「仕方ないですね。あの道具袋、家に届けに来てください。もうしばらくは薬作りに協力してあげる」

「……本当か?」

「うん」

「狙いは?」

「お願いを聞いてもらうため」

「よっしゃ、任せとけ」

「今返事しちゃっていいの?」

「……帰ってきたら、絶対顔を出す」

「絶対よ!」

 そういい残して、エリカは跳ねるような足取りで家路についた。



 二日前に生産中止が決定した『聖女の薬』の生産再開が決定した。

 ジロは決して日差しや酒のせいではない目眩がした。


「ああ、死ぬ時は絶対に三人で、一緒にだ」


 その背中へと、なんとなく、エリカが言った、昨日の寝言への返答をした。


 六年前の、三人が『最後の日』と決めつけたあの日の朝か昼の約束。


(この言葉はいつでもリーブとエリカに効く。そして呟けば、俺自身にも効果は抜群だ)


 ジロは本店へと今日中の帰宅をあきらめ、野宿を決意しながらフラフラと歩き出した。

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