2-6 呪詛

 私は焦ってあたりを見渡す。市街地から外れた場所だ。野犬でもいるのだろうか慌てて耳をすます。心霊的な危険がある中で、物理的な危険まで襲ってきたらやってられない。

 しかし周囲には何の気配もない。小野先輩、千鳥屋先輩、香奈も何の反応もしない。彰だけがピクリと反応したのを見て、私は遅れて気づく。

 この唸り声は、香奈を守っている守護霊ブラートの声だ。気づいた私は一瞬安堵したが、すぐに気持ちを引き締める。今度は物理的な恐怖とは違う焦りを覚えた。

 ブラートが反応したということは、何か危ない存在が近くにいるという事に違いない。


 やっぱり帰ろう。そう私が彰に声をかけようとしたとき、ギギギと鈍い音が響いた。見れば何かを引きずるような重たい音を立てて、門がゆっくりと開いている。

 動き出した門に香奈が悲鳴を上げた。小野先輩が千鳥屋先輩を守るように前に出て、門の前で話していた彰とリンさんが固まっている。

 全員の視線を集めながらも門はゆっくりと開き、きづけば洋館の庭に一人の女性が立っていた。


 着物姿の女性だ。荒れ果てた洋館には不釣り合いな美しさと上品さがある。結い上げた艶のある黒髪に、着物の裾からみえる白く長い指。街ですれ違ったならば、綺麗な女性だと見とれてしまうに違いない妖艶さ。

 だからこそ、恐ろしさに私は息をのんだ。


「お待ちしておりました」


 女性はにこやかにほほ笑んだ。その声も表情も喜びに満ちていた。

 朽ち果てた洋館、草が生い茂った庭には不釣り合いな澄んだ声が響く。その声が響き、空気を震わすと同時にさびれた洋館が命を吹き返したような錯覚を覚える。得体の知れない何かが足元から這い上がってくるような不快感に、私は息が詰まる。


「当主様をずっと、お待ちしていました。来てくださると信じていました。最後には私を選ぶはずだと」


 女性はそういうと蕩け切った表情を浮かべる。熱に浮かされてるとも感じる、恍惚の表情。清らかすぎて逆に不気味さを感じる声音で、女性は真っすぐに――トキアを見ていた。

 それに気づいた時、私は肌が粟立つのを感じた。思わず近くにいた香奈の手を取るが、香奈は事態に思考が追いついていないらしく、私と女性の顔を交互に見ている。


「なにコイツ……」


 彰が不快を隠し見せずに女性をにらみつける。しかし女性は彰など一切目に入っていないかのように、彰の頭上にうかぶトキアをじっと見ていた。それに対してトキアは顔をしかめて女性を見下ろしていた。不可解なものでも見たような反応を見るに、トキアには覚えがなさそうだ。

 女性の言いがかりなのか? それにしては確信を持った様子はただ不気味だ。

 女性の姿はハッキリと私に見えている。ということは生身の人間のはずだ。それなのに吐き気を催すほど気持ち悪いのは何故なんだろう。


「あの人……」

「綺麗な人だけど、何でこんなところにいるんだろう?」


 私のつぶやきを拾った香奈が首をかしげる。驚くことに香奈は女性に対して不自然さを一切感じていないらしい。吐きそうになるほどの不快さと拒絶反応を香奈は感じていない。

 私には見えないが、香奈の足元にいるらしいブラートが先ほどからずっと唸り声をあげているというのに。

 恐怖を覚えているのは私だけなのかと、慌てて千鳥屋先輩や小野先輩を見る。2人とも「なぜ?」という顔をしてはいるものの、それ以上の感情は持っていないように見える。


 それに比べて警戒をあらわにしているのは、リンさん、彰だった。リンさんは女性の視界から彰を隠すように移動し、女性を睨みつけている。いつもふざけた態度をとるリンさんとは思えないほど警戒しきった表情を見れば、ただ事じゃないと一目でわかった。


「せっかく来ていただいたのに、お茶の用意もできないことをお許しくださいませ当主様。でも問題ありませんよね。来てくださったということは、私を迎えに来てくださったのでしょう」


 女性は恍惚とした表情を浮かべながら、ひたすらトキアへ向かって話しかけている。他の連中など一切視界に入っていないように見える様子はハッキリいって異常だ。

 それに対してトキアは無表情に女性を見下ろしている。その静けさが逆に不気味であり、トキアが動かない故に事態は膠着状態へと陥っていた。


「なに、言ってんのお前」


 状況を動かしたのは不快さを隠しもしない彰だった。庇うように前に出ていたリンさんの背後から出て、女性をにらみつける。リンさんは慌てて彰を連れ戻そうとしたが、彰が振り払って門の中へと、女性へと近づいた。


「さっきから気持ち悪いんだけど。一人で勝手に妄想じみた事しゃべりだして。誰だよ当主様って。というか、この子たちをこんな風にしたのお前なわけ?」


 彰はいつになく怒った様子で彰へと近づいた。普段の彰だったらもう少し冷静だと思うが、彰の視界にうつっている子供たちの様子が相当にひどいあり様なのだろう。我慢ならないといった様子で近づく彰に、慌ててリンさんが駆け寄ろうとするが、それよりも先に女性が彰へと視線を向けた。

 今この瞬間、やっと彰がいることに気づいた。そういった驚きの表情を浮かべた女性は、彰を認識した途端に、憎悪に顔をゆがめた。


「何でお前までいるんだ。異形児が」


 女性から向けられた憎悪のこもった言葉に彰は固まった。聞いている私でも耳が腐り落ちると思うほど、憎しみがこもった言葉だった。それを直接、しかも全くいわれのない言葉を投げつけられた彰は思考が停止したのか、目を見開いて女性を見ている。

 彰の体は普通の高校生とかわらない。高校生にしては小柄で、やけに容姿は整っているが「異形」なんて言われるほどのものではない。それなにに女性は、彰をねめつけると言葉を吐き捨てる。


「まだ当主様の周りをうろついていたのか。ただ当主様と同じ血をわけ腹から生まれただけで思い上がるな。お前みたいな不出来で呪われた存在など、当主様の足かせでしかない」

「なにいって……」


 全く意味の分からない言葉の羅列に、彰は戸惑ったような声を出した。その声がやけにかすれていて彰らしくなかった。

 この状況はまずいのではないかと私は思い始める。リンさんが彰の名前を呼んで、トキアも慌てた様子で彰に近づいた。しかし、女性の方が早かった。


「さっさと死んでしまえばいいんだ。お前なんて」


 それはまさに呪詛だった。

 呪詛と共に伸びた手が彰の細い首を締め上げた。かと思えば、するりと最初からそこに何も存在していなかったかのように、女性の体がかき消えた。いや、彰の中へと溶けるように消えたように、私には見えた。


「彰……?」


 あまりのことに私は彰を凝視する。彰は女性が消えた空間、己の体を戸惑った様子で見つめたかと思うと、体が傾いた。糸でも切れたかのように倒れる彰を、リンさんが慌てて受け止める。

 リンさんらしからぬ必死さで彰の名を呼び、揺さぶるが彰は何の反応もしない。


 私は彰の元へと駆け寄った。門を超えた瞬間、嫌な空気が増した気がしたが、そんなことを気にしている余裕はなかった。

 リンさんの腕の中、彰は青い顔して浅い呼吸を繰り返している。顔は青白いのに高熱を出したかのように汗が浮かぶ様子はただ事じゃない。


「救急車……!」

「病院でどうにかなるようなもんじゃない」


 香奈の悲鳴にトキアが冷静な声を出した。

 彰の元へとふわりと近づくと、その頬を撫で、人一人殺しそうな恐ろしい顔をする。


「混ざってる……」

「どういうこと?」

「あのクソ女は彰に憑りついて呪い殺そうとしたみたいだけど、性質が近すぎて混ざっちゃったんだ……」

「どういうことなの!! 彰は大丈夫なの!」


 私が声を張り上げるとトキアはイラついた様子でこちらを見た。切羽詰まった様子から見て、ただ事じゃないことは分かる。だからこそ私だって引けない。

 トキアをにらみつけると、トキアは皮肉気に口の端を上げた。やはり子供の体に似合わない、年を重ねた大人の表情だ。


「あれだけ僕に怯えてたのに、妙に強気だね?」

「今は、そんな場合じゃないでしょうが! 病院がダメならどうすんの! こんな気持ち悪いとこ、ずっといたら余計にまずいんじゃないの」


 私はそういいながら周囲を見渡した。追いかけてきた香奈たちはきょとんとしているが、ブラートの唸り声は一層大きくなっている。それに交じって、子どものすすり泣き声やか細い悲鳴が耳に届く。

 声が聞こえるだけで不快さに吐き気がする。彰はもっとはっきり聞こえ、見えていたはずだ。そう考えれば、いつになく怒った様子も冷静さを欠いた言動も分かる。


「リンさん、邪魔!」


 私は彰を抱えたまま、狼狽えているリンさんから彰を奪い返す。いくら細身でも同い年の高校生。思ったよりも重かったが文句を言っている場合じゃない。呆けている人外に任せられるような状況じゃないのだ。


「……商店街の方に……」

 見上げれば眉を寄せたトキアがつぶやいた。


「こいつらの根城がある。そこなら都合がいいはず」

 トキアはそういいながら呆けているリンさんを顎でしめした。


「こいつらの根城ってことは……クティさんたちの?」


 トキアは私の質問に答える前に、固まっているリンさんの顔を張り手した。正気に戻すにしてはやけに力の入った音を聞くと、日頃の憂さ晴らしも兼ねているように思える。今は触れないでおこう。


「かわる。俺の方がいいだろう」


 状況に思考が追いついたのか、小野先輩が私に提案する。さすがにこのまま商店街の方までは持つ自信がなかったので、有り難く好意に甘えることにした。


「急ぎましょう!」


 私は小野先輩をせかして来た道を戻る。先導するためか前に出たトキアの後姿を睨みつけるように、私はただ足を進めた。

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