2-2 リンという男
「佐藤君の知り合い?」
小宮先輩が黒い男と彰を見比べながら口を開いた。半信半疑といった口調なのは、男と彰の共通点が見つからなかったためだろう。
彰は見た目だけなら文句なしの美少年。小宮先輩の中では悩みを解決してくれた人間ということで、好感度も高い。一方、リンと呼ばれた男はあきらかに不審者。全身真っ黒だし、チャラそうだし。とにかく怪しい。
「実はこいつ、僕のストーカーなんだよね」
「待て、待て! それ冗談ですまない! ほんとに通報されて、捕まるやつだ!」
彰の発言に間を置かずにリンさんが否定した。男の否定がなければ私も信じてしまっただろう。ストーカーと言われても全く違和感がない。彰はストーカー被害にあったことがあると言っていたし、リアリティとしても満点だ。
それが分かっていたからリンさんも慌てて否定したのだろう。自分が怪しいという自覚はあるようだ。
「捕まればいいのに……そのまま終身刑になって刑務所で生涯を終えればいいのに……」
「彰、俺に対してだけ扱いひどくね? 真顔で呪詛はくのやめて。笑顔、笑顔」
ニコリとリンさんは彰に笑いかけるが、彰は道端に落ちているゴミでも見るかのような顔をした。彰の容姿が整っているせいで、嫌悪の表情だけでもダメージが大きい。見ているだけでも胸に突き刺さるものがある。
直視したリンさんは顔をおおって「彰が今日も冷たい!」と叫んだ。
今日も。ということは、彰とリンさんは知り合いだ。そして意外とリンさん余裕だ。言動は軽いが、精神力は強めなのか。それとも冷たい視線を浴びせられ慣れているのか。
「この方は、佐藤さんの知り合い。ということでいいんですね?」
日下先輩が確認を込めて彰に問いかける。小宮先輩のようにあからさまに顔に出しはしないが、警戒しているのは視線と空気で分かった。生徒会長という立場と責任もあるので、余計に気にしているようだ。
香奈に至ってはいつのまにか私の後ろに隠れていた。危機回避能力がドンドン上がっている。
「認めたくないけど知り合いですね……」
彰は心底嫌そうな顔で認めた。ここまで嫌そうな顔をするのも珍しい。
彰は自分が可愛く見える表情を、日頃から意識している。素の態度を出さないのはもちろん、顔をゆがめるといった少しでも顔立ちが悪く見える表情はしない。
そんな彰が周囲の目を気にせず、思いっきり顔をゆがめて嫌悪をあらわにしているのだから相当だ。
そんなにこの男が嫌いなのかと改めて観察していると、黙り込んでいた子狐様が震える声を出した。
「何で、リン様がこんなところに……。魔女と一緒にいたのでは……」
リン様というかしこまった呼び方。魔女という聞き慣れない単語に、私は子狐様へと視線を向けた。子狐様は未だに青い顔でリンさんを凝視している。いつのまにか現れた耳としっぽは垂れ下がり、怯えていると一目でわかる。
その姿に私は驚いた。
彰といい子狐様といい、リンさんを前にすると態度がいつもと違いすぎる。
彰はまだ百合先生への態度に近いものがあるが、子狐様は異常だ。半分とはいえ神という立場である子狐様が様付けで呼んだり、怯えたり。それほどこの男は恐ろしい存在なのか。
「好きで俺が一緒にいたみたいな言い方すんのやめてくんねえ? 利害の一致ってやつだし、今はどこいるか知らねえし」
少しではあるが不機嫌さが含まれた声に、子狐様は過剰に体を震わす。あまりの怯えように私の後ろに隠れていた香奈や、不思議そうな顔をしていた小宮先輩までもが慰めようと子狐様に近づいた。
そんな様子をリンはじっと見つめて、愉快気に口の端を上げる。
「半分とはいえ神って呼ばれている存在が、ガキに慰められてるって笑えるよな」
隠しようもない悪意の言葉に、子狐様の顔から血の気が失せる。小宮先輩が非難を込めた視線をリンさんに向けるが、リンさんは全く気にしていないようだ。
「全盛期の半分以下ってとこか。山に結界張るくらいの力は残ってるみてえだけど、そんなんに力使わないで今後のために温存しといた方がいいんじゃねえ。彰だっていつまでもお前の面倒見るほど暇じゃねえぞ」
結界という言葉に香奈がピクリと反応する。さすがに今は聞けないと思ったから黙っているが、聞きたいというオーラをひしひしと感じた。
未だに香奈のスイッチの入りどころが分からない。
「母親の方は未だに熟睡中か……ってか、起きねえように二重に結界張ってんの? ってことは、山の結界も外部刺激で起こさねえようにっていう保険か……。あいつ相変わらず信用ねえなあ……。まあ、間違いなく現状みたらキレるだろうけど。短気だし」
祠の方をじっとみながらリンがブツブツつぶやく。
日下先輩はいっていることの半分も理解できていないためか、どんどん眉間の皺を深くしている。どのタイミングで通報しようかと、機会をうかがっているのかもしれない。
私から見ても不審者だが、私以上に事情が分からない日下先輩からすれば完全にアウトだ。
それにしてもと、私はリンさんをじっと観察した。
この人は今の状況をだいたい理解しているらしい。この山の本来の主であるお狐様――子狐様の母親は子狐様が二重に張った結界の中で寝ている。
私たちが通う学校は山の上という不憫な場所にあるが、これはお狐様という神様との契約によるものだ。なんでもお狐様は子供が大好きで、とある一族への守護を約束する代わりに祠の近くに子供が集まるようにしてもらうという契約をしたらしい。
その契約通りに山の上に私たちが通う高校はあるのだが、子狐様によると不十分。
お狐様への信仰心も衰えているし、今のままでお狐様が起きた場合、間違いなく暴れる。最悪、死人がでる。その事態を何とかしようと、私たちは祠の信仰を取り戻す活動を始めた。
日下先輩からすれば怪しいカルト集団だが、理由はあるのだ。
だが、この話を知っているのは私と彰、香奈、百合先生。彰と(強制的に)契約した子狐様だけである。彰の性格からいってべらべら話すとは思えないし、そもそも簡単に信じてもらえるような話でもない。
リンさんの発言は彰に聞いたというよりは元々そういった方面に詳しいように感じる。下手をすると彰よりも詳しい。
勘違いであってほしいのだが、お狐様自身を知っているような発言まで含まれている。
「わざわざ、子狐ちゃんをいじめに来たの? 暇なの?」
黙って状況を見ていた彰が心底軽蔑しきった様子でリンさんを見つめた。
今までニヤニヤ笑いを浮かべていたリンが、彰の言葉でまずいという顔をした。よくわからないが、彰の方が力関係が上……というかリンさんが彰に嫌われたくないのだろうか。
「そもそも何で山に入れたの? 子狐ちゃんが悪いものが入らないように結果張ってるのは、お前みたいなのが入らないようになんだけど。せっかくお前が来なくて、快適学園ライフだったのに。どこまでついてくるんだよ。ストーカー。訴えるぞ」
ノンブレスで言い切った彰は、見た目以上に苛立っているらしかった。最初のストーカーという話は、あながち間違いでもなかったようだ。彰といい、小宮先輩といい、容姿に恵まれると変なのに付きまとわれる定めなのだろうか。
「結界はちゃんと許可貰って入ってきたから、結界ぶっ壊したり、穴探したりしてねえから! 入ったのばれないように薄い所探して登っては来たけど!」
「立派に抜け道探してんじゃねえか! 子狐ちゃんに後で事細かに説明しろよ!」
彰らしからぬ荒い口調で怒鳴ると、リンさんはその場にすぐさま正座して「さーせんした!」と頭を下げた。土下座というやつである。
先ほどまでニヤニヤしていた人間とは思えない俊敏な動きに、彰以外の全員が目を丸くした。子狐様ですら目を見開いて硬直している。先ほどまで本気で怖がっていた相手の情けない姿に、どう反応していいか分からないようだ。
「許可ってどうやってもらったんだよ。子狐ちゃんとは起きてからは初めて会っただろ」
「子狐に許可もらえたら楽だったけどよぉ、そいつビビりなわりには強情だから許可はくれねえし」
ちらりとリンさんが子狐様に視線を向けると、ぶわっと耳としっぽを逆立てる。
そのまま香奈と小宮先輩の後ろに隠れる姿は神ではなく、ただの子供だ。普段の威厳ある姿を見ていると違和感があるが、これはこれで可愛いのであり。
香奈も小宮先輩も心の底から心配して慰めている。そこに呆れや幻滅といった空気はないので、守ってあげたい系神様という新ジャンルの開拓に成功したようだ。
その様子を見て顔をしかめたのはリンさんと、状況が全く分かっていない日下先輩だった。日下先輩からすれば、香奈と小宮先輩が空中をなでているようにしか見えないので仕方ないだろう。
「しょうがねーから、そこの姉ちゃんに許可貰った。守護印貰ってるから入れたってわけ」
子狐様たちの様子をほほえましく見守っていたら、突然流れ弾が飛んできた。
リンはハッキリと私を見ている。私!? と驚愕を示してみたところで、「そう、お前」と笑顔で返された。
「ナナちゃん……」
彰からの視線が痛い。何してんだお前。よりにもよって、こいつに。と無言だというのに言葉がグサグサ刺さる。
「いや、私何もしてないから! 許可なんてしてないし! そもそも守護印って何!?」
「知らなかったのか? お前と、そこの姉ちゃん魔よけの印、子狐からもらってんだぞ。普通の人には見えねえから、言われなかったら気付かねえのも無理ねえけど」
リンさんはそういって私と、香奈へと視線を向けた。香奈が驚いて子狐様と、私、そして何故か自分の額を触りだした。
印ってなったら額ってイメージがあったんだろう。なんとなくわかるけど。
「半分とはいえ神様の印だからなあ、そこら辺の低級だったら見ただけでも逃げ出す代物だ。逆にいえば神様の庇護下。身内っていう認定だからな。身内が山に入っていいですよって言えば子狐にまで確認とんなくてもいいってわけだ」
そういって笑顔だけはさわやかなリンさんの説明に、私は山のふもとでのやりとりを思い出した。
山に入っていいかという意味の分からない説明をしたリンさんに向かって私は「いいんじゃないですか」と答えた。あいまいな返事ではあったが、たしかに許可する言葉には違いない。
「……変な気遣いさせないために言わなかったのが、あだになったってわけ……」
はあと深いため息をつく彰に私は顔を向けられなかった。知らなかったとはいえ私が原因だ。いつもだったら容赦なく罵ってくる彰も、リンさん相手なら仕方ないと思っているのか私を責めない。それが余計に申し訳ない気持ちになって、私は体と小さくした。
こういうとき、やけにでかい自分の体が恨めしい。私も香奈くらい小さかったら、もうちょっと存在を消せたのに!
「よくわかりませんが、そこの方は佐藤さんの知り合いで、呼ばれてもないのに無理やり来たと」
「姉ちゃん、大人しそうな顔して結構ハッキリいうねえ……」
日下先輩の総まとめにリンさんは引きつった顔をした。
悪気が一切ないために文句も言えないうえに、間違ってもないので言い返せないのだろう。そういうことを気にするタイプとも思えないが、一応初対面だし。
「それで、目に見えないものしか信じないなら見せればいい。とはどういうことですか?」
日下先輩の静かな問いかけに、私はもともとはそういう話だったと思い出した。
リンさんの乱入に、子狐様のこともあってすっかり忘れていた。
「あなたには、見えないものを見せる力がある。と言っているように受け取れるんですが」
リンさんは日下先輩の言葉に、楽し気に笑う。笑いながら胸を張って肯定した。
「ああ、見せられるぞ。お前みたいなゼロ感の、まったく見る才能がない、ある意味では希少な人間でもな!」
明るい口調で聞き逃しそういなるけど、堂々と罵ってるよねと私は思ったが口には出さない。日下先輩も何か言いたげな顔をしていたが、ここで話の腰を折ったら進まないと黙っている。大人だ。
「そんな方法、本当にあるわけ?」
疑いの眼差しをむけたのは彰、無言だが子狐様もだ。
彰たちがリンさんのいう方法を知っていたのなら、すぐに提案していたはず。となるとリンさんの方法は彰たちが知らないものだ。
私よりもはるかにオカルト方面に詳しい彰と、子狐様が知らない方法……。
何だか聞く前から嫌な予感がする。
「世の中にはな、お前らが思うよりもいろんなモノが存在してる」
モノと評したそれが、妙に意味深で背筋がぞわぞわする。
今まで知らなかった。知らずにいた方が幸せだった事が、また一つ目の前にさらけ出されてしまいそう恐ろしい。
不安になって香奈を見ると、香奈は目を輝かせていた。
それを見て、私はさらに不安になった。
香奈が目を輝かせているときは、ろくなことにならない。
彰と子狐様はあいかわらず難しい顔をしているし、小宮先輩と日下先輩は状況についていけていない。
一人だけ妙に楽しそうなリンさんを見ると、今後への不安で胃がキリキリと痛み出した。
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