二章 理想の彼女
一話 優しい神様と信仰
1-1 侵食する非日常
彼女にするならこんな子がいいという理想があった。髪は長い方がいいし、綺麗な方がいい。痛んでいない黒髪だったら直の事良い。
体系は小柄で守ってあげたくなるような子がいい。
性格はおとなしくて、笑うと可愛い子がいい。
執着しているというわけでもないけれど、好きなタイプは? と聞かれたら浮かぶ理想の彼女像。
脳裏に浮かぶ理想の姿はいつだって俺にやさしく微笑んでくれる。
だから、違う。お前は違う。
背後からまとわりつくような視線を感じて俺は歩みを止めた。嫌になるほど感じた視線の正体を俺はとっくに知っている。
知っているからこそ拒絶したくて仕方ないのに、恐怖を感じた喉はからからに乾いて声が出ない。
違う。お前じゃない。
俺が理想としているのはお前みたいなやつとは正反対だ。
恐る恐る振り返ると曲がり角からこちらを覗く目が見えた。
手入れしていないぼさぼさの髪はとりあえず流行にのってみた程度のおざなりな茶色。そんな適当なら染めない方がいいのにと思うが、そんなことを気軽に指摘できる関係ではない。
こちらの視線に気づいて嬉しそうに笑う姿に鳥肌が立つ。
女なのは確かだが、自分の何倍も大きな体は女の子というより丸太といった方がいい。よくもまあそれでバランスよく立っていられるものだと感心してしまうほど歪な形に何度見ても顔が引きつる。
「小宮君」
いびつな声が自分の名を呼ぶ。
悲鳴を上げたかったが乾いた喉からは相変わらず声が出ない。じりじりと後ずさって距離をとると俺は走り出した。
違うんだ。違う。
お前は俺の理想とはまるで違う。
だからもう付きまとわないでくれ。
悲痛な叫びはやっぱり声には出なくて、漏れるのは荒い呼吸音だけ。
引きつる喉に痛みを感じながら俺は走り、ただひたすらに誰か助けてくれと祈っていた。
***
教室の空気はここ最近浮かれきっていた。
四時間目の授業が終わって昼休みに突入し、ざわつき始めた教室内で私――香月七海は背伸びをする。
首を動かして肩を回して授業中に固まった体を動かし適度に体がほぐれたところで一段と騒がしい集団へと視線を向けた。
授業が終わったと同時に何人もの女子が立ち上がり一斉に向かった席には最近このクラスにやってきた男子生徒が座っている。
転校生というわけではなく春から書類上は在籍していたのだが家庭の事情で登校できずにいたという特殊な境遇の持ち主だ。
そんな彼が初登校した日クラスどころか学校中に衝撃が走った。なにしろ外見が目立つ。
高校生とは思えない小柄な体系に遠くからでも目を引く整った容姿。男子にしては長い髪は一つに結われ歩くたびに軽やかに揺れ多くの人がその容姿をみて、とんでもない美少女だと唖然とする。
けれど身にまとっているのはあくまで男子生徒の制服であり、まず容姿に見とれて動きを止めたものはそこに気づいて再度硬直する。
そして「あいつは誰だ」と誰ともなしに口にし、あっという間に学校中に名が広まった。
少年の名は佐藤彰。
ここ数日の浮足立った空気を作った原因である。
「彰君、お昼一緒に食べない」
「ずるい。私も食べたい」
「抜け駆け禁止だって昨日話したでしょ」
彰本人の意思は無視して女子たちが一斉に話始める。
1人だけでも騒がしいというのに集団になった女子は恐ろしい。口をはさむ隙も与えず一方的にしゃべり続ける女子たちに彰は笑みを浮かべた。
表面上は穏やかな笑みだが彰の本性を知っている私には「面倒くさい」という感情が透けて見える。
「今日もすごいな佐藤は……」
「何であんな女だか男だかわかんないのがいいんだか」
女子生徒に囲まれるという男子の憧れを体現中の彰に羨望と嫉妬の視線が集まる。中には同情的なものもあるがごく一部だ。
彰自身が何かしたわけではないのに女子にまとわりつかれ、男子には疎まれとなかなか可哀想な状況。
それでも私は彰を助ける気にはなれない。
彰はこんなことでショックを受けるような精細な人間でもないし、いざとなったら力づくで現状を変える。それをしないということは様子見か、今の状況を問題ないと判断しているということだ。
「今日も彰君すごいね」
お弁当を持って声をかけてきたのは幼馴染の坂下香奈。
彰が来てから毎日繰り広げられている光景だというのに未だに慣れないのか落ち着かない様子だ。
彰を助けたいけど、どうやって助ければいいのかと悩んでいるらしい。悪いことは言わないから関わらない方がいい。
彰に声をかけているのは肉食系女子といわれるタイプの人間だ。
人見知りで人の輪に入るのが苦手な香奈がかなうはずがないし、間違って敵対勢力だと認識されたら厄介だ。
女同士のの人間関係というのはなかなかに複雑で一度こじれると徹底的にこじれる。
触らぬ神に祟りなし。極力関わらないのが一番。
ただでさえ私と香奈はクラスでも微妙な立場にいるのだから。
「ごめんね。僕今日はナナちゃんとカナちゃんと食べる約束してたんだ」
両手を合わせて眉をさげ上目遣いの彰が小さく首をかしげる。
男子とは思えない女子力あふれたしぐさに間近でみた女子が硬直し、うっかり流れ弾を食らったほかのクラスメイトも固まった。
若干顔を赤くした男子がいるのが可哀想だ。彰の見た目が整いすぎているせいで同性にときめいてしまった彼が未知の扉を開けないことを祈りたい。
だが、その可愛いアピールが完璧に計算された作り物だと知っている私に効果はない。むしろ何気持ち悪い事してるんだと嫌悪するレベルだ。
なぜか同じく本性を知っている香奈もかすかに頬を赤らめていたが香奈は純粋培養の天然なので仕方ない。
将来悪いやつに騙されないか不安にはなるがそれは後で注意しよう。
問題は、彰が私と香奈の名を口にしたことにある。
約束したと彰はいっているが私は彰と約束した記憶なんて微塵もない。忘れている可能性もゼロだ。
なにしろ今日は挨拶以外彰と一言もしゃべっていない。どこで約束する時間があったのか問いただしたい。
「彰なにい……」
「約束したよね?」
彰は小首をかしげてこちらを見た。とてもよい笑顔だ。だが目が笑っていない。
話合わせねえと後でどうなるか分かってんだろうな。という脅し文句が私の脳内に聞こえた気がした。
恐ろしいことにその声は勘違いではなく実際に彰が思っていることとそれほど変わらない確信がある。
「皆と食べるの楽しんだけど、僕まだいっぱい人がいるところだと緊張しちゃって……。カナちゃんとナナちゃんは幼馴染だから大丈夫なんだけど……ほんとごめんね」
そういうと目を潤ませて彰は下を向く。泣くのをこらえる演出のために口元を隠す手は成長を見越して大きめに作られた制服のせいで萌え袖と言われるものになっている。
あざとい。思わずうんざりしてしまうくらいにあざとい。
女子の何人かが真っ赤になってプルプルと震えていた。かわいいという口に出さない絶叫が聞こえてくるようだ。
確かに可愛い。客観的に見たら腹が立つが可愛い。
彰の容姿は自分で「僕可愛いからね」と断言するだけあって整っている。私だって本性を知らなければ可愛い子として認識していただろう。
けれど悲しいことに私は彰の本性を知っている。
全部計算だということも知っているし、隠した口元が弧をえがいているのも察せられた。一瞬だけ細められた目が「ちょろい」と語っていたのも気付いてしまった。
「こっちこそごめんね。まだ学校慣れないもんね」
「私たちはいつでもいいから、彰君がいいなって思ったらお昼一緒に食べよう」
女子たちは慌てて口々にしゃべりだす。それに対して彰は一瞬きょとんとした顔をして(演技)そのあと花が咲くように笑った(演技)。
「ありがとう」
満面の笑みを浮かべた彰に今度こそ女子たち、ついでにうっかり見てしまったクラスメイト達が陥落した。
香奈まで赤くなっていた事実には呆れるほかなかった。
今度香奈には世間の恐ろしさについて語らねばならない。
「カナちゃん、ナナちゃん行こう」
お弁当を持った彰が私たちに近づいてくる。
ハリウッド女優にも負けない演技を終えた彰は達成感と面倒事から解放された喜びで輝いていた。
さっきの作り笑いと全然違うのに何で皆気付かないんだろうと思いつつお弁当を鞄から取り出す。
教室を出るまでの間もチラチラとクラスメイトからの視線が集まってきた。
興味本位のものから羨ましいという羨望のもの、何であいつらばっかりという嫉妬じみたものすら交じって落ち着かない。
彰は全部わかって無視しているだろうが(図太い)、香奈が気付いていないのはホッとする。
大人しい香奈はこんな負の感情耐えられないだろうし、このまま気付かないでいてくれた方がいい。
「よくもまあ私たちとあんたが幼馴染だなんて平然と嘘つけるよね」
クラスメイトに聞こえないように小声でいうと彰は人差し指を唇に押し当ててニヤリと口の端を上げた。
意地の悪い顔を見てやっぱり素の表情の方が似合っていると思う。
私と香奈は正真正銘の幼馴染である。
家は近所で親同士も仲が良く小さいころから姉妹同然に育った。
そのまま小学校、中学校、高校と一緒にいる時間を更新し続けているが私たちに「佐藤彰」なんて幼馴染はいない。
これは彰が私と香奈と自然と一緒にいるために作り上げた嘘だ。
家庭の事情で学校に来られなかった彰は普通であれば私と香奈との接点はなかった。
そんな私たちが出会うきっかけになる事件が起こったのが数週間ほど前。
その後なんだかんだかんだで事件は解決し、家庭の事情をなんとかした彰は学校に通い始めることになるのだが、正直に一連の流れを説明するわけにはいかない。
最初は適当にごまかしていたものの彰の外見のインパクトが強すぎてなかかか周囲の興味がうつらず、しつこく事情を知りたがるものが続出した。
接点が全くないように見える私と香奈が話題の人物と仲がいいのも納得いかなかったのだろう。
どうにかきっかけを見つけて自分たちも彰と仲良くなりたい。と妙に気合の入った人たちに質問攻めにあい、どうしようかと悩んでいたところで彰が行ったのが自分も幼馴染だと嘘をつくことだった。
初めてその設定を聞いたときは、こいつ何言ってんだ。と思ったし彰に文句も言った。
だが、彰にいかにこの設定が便利であり有効かを無駄に回る口でプレゼンされた結果言い負かされたのである。
実際悪い事だけではない。
8割は彰の逃げ場や隠れ蓑として有効活用されているが、幼馴染設定のおかげで「何でお前らが」という視線も質問攻めも減った。
おかげで日常生活は前に比べて騒がしいものの苦痛レベルからは脱し、穏やかなものに戻りつつある。
そもそも彰がいなければこうはならなかったという気持ちが消えず、素直に感謝する気にはなれないのだがそこは許してほしい。
私にとってはいろんな意味で厄介な佐藤彰という人物との出会いは衝撃だった。私の今までの人生観、世界を木っ端みじんに吹き飛ばすほどの。
私はその出会いを声を大にして言いたくなる衝動を定期的に患っている。
可愛いとちやほやされる彰や、普通の高校生のように生活している彰を見るとお前は可愛いより極悪だし普通とはかけ離れてるだろ! と叫びたくなる。
だが、言うわけにはにはいかない。
非現実的すぎて真面目に語った私の方が「頭大丈夫?」と精神病院を紹介される内容だからだ。
私だって実際に体験しなければ信じない。
狐耳としっぽを付けた少女(年齢は老婆)とか、地面から湧き出てくる不気味な影とか、それを素手でぶん殴って消滅させた彰とか。未だに夢だったのではと思うことしかない。
現実だったと確信が持てるのは事件後も狐に祀られた神様、子狐様と会っているからだ。
「子狐ちゃん、今日は何入れてくれるかな」
「いい茶葉が入ったっていってたよね」
すっかり打ち解けた彰と香奈が楽し気に話しながら祠へ向かって歩いていく。
数歩離れた場所をついていく私は日常そのものである幼馴染と私の日常を覆した破壊者を見る。
何でこんなことになったのかと彰に出会ってから何度も考えていることをまた考えた。
入学当初考えもしなかった生活に私は未だに慣れずにいる。
それでも確実に、少しずつではあるがこれが普通になっていることに身震いしてそれが前ほど嫌じゃない事実に顔をしかめた。
このままでは本当に彰が幼馴染の香奈と変わらない日常の一部になってしまいそうで私は大きく頭を振った。
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