第175話母菜穂子の涙


「光」


母菜穂子の声は、はっきりしている。

光が、その母の顔を見ると、母はうれしそうな顔。


それでも、光は母に頭を下げた。

「母さん、ごめんなさい、あの時は・・・」


光は小学6年生の時、終業式の後、自分でも満足できる成績表を持って、自宅に走って帰った。

それは、少しでも早く、母に見せたかったから。

しかし、折り悪く、自宅の直前の曲がり角に差し掛かった時、突然酒酔い運転のトラックが猛スピードで曲がって来た。

母菜穂子が家から出て、腕を前に伸ばして暴走トラックを止めなければ、光は轢き殺されていた。

何しろ、急停止した暴走トラックと光との距離は、数センチしかなかった。


ただ、元々心臓に持病を抱えていた母菜穂子は、その後、数時間でこの世から去ってしまった。、

光とごほうびのケーキを食べ、光にピアノの指導をしている最中に、突然の心臓発作により絶命したのである。


そして、このことにより、光は長年の間、心を閉ざしてしきた経緯がある。



母菜穂子は、やさしく光の手を握った。


光は、泣き止まない。

「逢いたかった、寂しかった」

を何度も繰り返すだけ。


また、光の後に立つ巫女たちも、全員泣き出している。


「チリン」

突然、鈴の音が聞こえてきた。

いつの間にか、地蔵菩薩の姿が、この不思議な極楽浄土に登場している。


そして、地蔵はしばらく光の様子を見ている。


「光君は、母の胸で、泣いて泣いて、いくらでも泣いても構いません」

「どれほどの辛さ」

「どれほどの苦しみ」

「あの子は、人の世を必死にささえて、どれほど本当は辛かったのか」

「どれほど、苦しかったのか」


母菜穂子が、泣き崩れてしまった光の身体を支えた。

光は、さらに大泣きになった。


菜穂子は、ゆっくりと光に語り掛ける。


「ごめんね、光」

「あんなにあっけなく光の前からいなくなってしまって」

「辛い思いをさせちゃったね」

「それでも懸命に頑張って、阿修羅として人の世をささえて・・・」

「母さん、ずっと見ていた、心配だったけれどね」

「光だったら、やり通すって」


菜穂子は、震える光の背中をなでている。


「いいよ、光」

「せっかく逢ったんだから」

「ずーっと泣いていてもいい」

「誰にも気にしないでいいよ」


菜穂子は光を抱きかかえる力を強めた。


「光は、私の可愛い子供」

「だから、絶対に護る」


菜穂子の目にも、涙が光っている。

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