第26話:紅茶とコーヒーと将来の夢

 入場の時間までは、なんだかそれぞれ映画の広告を見て過ごした。なんとなくお互いに、どんなことを言えばいいのか困っていたような気がする。


 私が人と話すのに困るのは結構いつものことだけれど、音羽くんがそんななのをこれまで見たことがなかった。

 だから面白そうな映画のお話でもすればいいと思っていたのに、どの映画の話をするべきか悩んでしまって、結局のところ出来なかった。

 音羽くんが困っているなら、助けてあげたかったのに。


 そのうちに入場開始の案内があって、コーラとカフェラテを買った。


「こういうのでコーヒーを頼むのって、大人な気がするな」

「お、おかしいかな?」

「いや? 織紙はコーヒーが好きなんだなって思っただけだよ」


 あるのはほとんど炭酸飲料で、私には選択肢がほとんどなかったというのはある。だから烏龍茶か紅茶かコーヒー系の三択だった。

 烏龍茶は、ペットボトルなんかの金額を思うと、さすがに割高な気がした。

 すると紅茶かコーヒーか、と思ったところで、なぜかお兄ちゃんの顔が浮かんだ。

 そうしたらもう、コーヒー系のメニューしか目に入らなくなって、ミルクたっぷりの写真に惹かれてカフェラテにした。


 よし私はコーヒーを飲むんだ! と決めているわけではないので、そう思われてしまうと、違うんだけどなとは思った。

 でもまあ、強く否定することでもないかな。と思い直して「ありがとう」とだけ返した。

 大人な気がする、というのはたぶん、褒め言葉だろうから。


 指定された映写室――と言ってしまうのは、知識を小説で得ている私が古いらしい。

 スクリーンのあとに一、二、と番号を付けて呼ぶみたいだった。

 部屋じゃなくて、映画を映し出す映写幕そのものが単位になっているのねと、意味もなく感心した。


 階段状に――むしろ階段上に? 設けられた座席。学校の講堂とも似た雰囲気だけれど、やっぱり違う。

 アニメや映画でそういう物だっていうのは見ていても、実際に見ると「へえー」と唸ってしまった。


「そんなに珍しい?」

「あ、ごめんなさい」

「ううん、問題ないよ。でも建物にも興味があるみたいだから、建築家にでもなりたいのかと思って。ああ、インテリアコーディネーターとか?」


 やっと席に着いた私に、音羽くんが微笑む。

 そんなにあちこち見ていたかな……。じっくり見られていたと思うと頬が熱くなる。

 でも私が将来なにになりたいのかなんて、想像してくれるのはなんだか嬉しかった。実際にはあまり明確には考えていないので、なんとも答えられないけれど。

 うーん、建築家って格好いいけど、難しそう。


「そういうのも良さそうだけど、まだちゃんとは考えてないの。字を書くお仕事がいいかなとは思ってるけど」

「字? ええと――小説家?」

「うん。小説家とか脚本家とか、絵を描くのも好きだから絵本作家もいいかな」


 なにげなく言って気付いた。

 自分でもまだぼんやりとした希望だけれど、自分以外の誰かに話したのは初めてだ。

 このことは祥子ちゃんにも純水ちゃんにも、お兄ちゃんにも話していない。


「へえ――そうなんだ」


 表情を失ったというのか、驚いた顔で音羽くんは言った。

 ああ、そうだよね。普通にこんなことを言えば、聞いたら、そういう顔になるよね。夢物語だって思うよね。


「無理だと思うけどね。理想を言えばって感じ。真面目にそんなこと言ったらおかしいよね」

「おかしくなんかないよ」

「え?」


 真面目に顔を引き締めて、音羽くんははっきりと言う。聞き返したのにも、もう一度ゆっくり


「おかしくなんか、ない」


と断言した。

 もしかすると、音羽くんもそういう夢があるんだろうか。そうだとしたら私がこんな中途半端なことを言ってしまえば怒るのも無理はない。

 そうだ。彼は怒っているんだと思ったら、それも違った。


「なんだか嬉しいよ。俺と似たような世界のことを、織紙も考えてるって」

「似たようなこと――?」


 照れた笑いの音羽くんは、それはなにかと聞かれたのだと分かって、首すじをぽりぽり掻いた。


「演出家になりたいんだ。自分で舞台を作りたい」

「舞台……お芝居?」

「そうだけど、ミュージカルかな」


 演出家。舞台だけでなく、テレビ番組とか映画とか、色々なところでその職名を目にすることはある。

 でもそう言われてみると、どうやってなるものなのか見当がつかない。役者さんのように、どこかでオーディションをやっているのでもないだろうし。


「そうなんだ……難しそう。でもすごいね。あと、確かに似た世界だね。私と」

「ありがとう。笑われるかと思った」

「笑わないよ。私のことも笑わなかったでしょう?」


 笑われたことがあるのかな。だとしたら音羽くんは、誰かに宣言してその夢を追いかけているっていうことになる。もう走り始めている。


「笑われるのが怖くてさ。実は誰にも言ってない。爺ちゃんには、ばれてたけどね」

「へえ――お爺さんは、音羽くんにとって特別な人だったんだね」


 誰にも言ってない。つまり私に教えてくれたのが初めてというのは、嬉しかった。

 でもそんなことでさえ見抜いてしまうお爺さんは、音羽くんを大切に思っていたんだなと感じるほうが先に立った。


「あ――だから?」


 入場する時にもらった劇場パンフレットには、これから見る映画の予告がまだ載っている。そのページを開いて音羽くんに見せた。


「うん、そう。これがその勉強になるとは思わないけど、気持ちを盛り上げるっていうか、その気にさせてくれそうでさ」

「そうなんだ……楽しみね」


 映画は夢想家の主人公が仕事を転々として、最後には優れた事業主として成功するお話だった。主人公の演出力が優れていて、それが活きていく様がとても魅力的に描かれていた。

 舞台演出とはちょっと違ったけれど、ミュージカル仕立てで、音羽くんが見たいと思ったのもなるほどと思える内容だった。


 もちろんこれこそ、誰かの作った空想劇。実在の人物を元にしていると言っても、あちこちに過度な演出は加わっているし、フィクションもあるだろう。

 でもこれが音羽くんのやりたい世界なんだろうなと、私の心に強く刻まれる映画だった。

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