第10話:下校後、お店の中
「ここは?」
ここまで音羽くんと並んで歩いていた、祥子ちゃんが聞いた。
その二人の後ろに居る純水ちゃんと私にも、それは問題なく見える。
足を止めた目の前にあるのは、太い毛筆のような字体で書かれた、おとは、という文字。
その字は紺色の
「俺の家」
「へー。音羽の家って、お店やってるんだ」
学校を出てここまで、歩いていてもバスに乗っても、口を開くのは音羽くんと祥子ちゃんだけだった。
純水ちゃんは怒りに任せて言い過ぎたと少し後悔していて、でも許せないのは変わらないと複雑な心境らしい。
では私はなぜ黙っているかというと、一言で表せば恥ずかしかった。
もうしばらくの間、音羽くんの顔を見ると赤面してしまいそうで、話すのも全然言葉が出てこなかった。
とっさのことでなにも考えなかったけれど、あのお茶を飲んだのはつまり──。
「まあ入ってよ」
四人で黙って立ち尽くすような格好になってしまって、音羽くんはそう言った。
その手で開けられた木製の戸は、ガラガラと古臭い音を立てる。
最近の家の扉に比べれば、かなり大きな音だとは思う。
でも私には懐かしいような気持ちが芽生えて、親しみやすい音だった。
「お邪魔します──」
音羽くんが中に入って、祥子ちゃんと純水ちゃんが続いた。
最後に私が入ると、なぜだか三人は横に並んで立っていた。
その理由はすぐに分かった。
三人の正面にはお店のカウンターがあって、その奥に音羽くんのお父さんとお母さんが並んで立っている。
いかにも和食の料理人というような白衣のお父さんと、黒い甚平を着たお母さん。
どう見たって私たちを待っていた状況と、その格好に驚いた。
祥子ちゃんの隣に来るよう、音羽くんが促してくれて、私も並んだ列に加わった。
おもむろにお父さんは調理帽を取る。
すると二人は横目でなにか確認しあって、一緒に頭を下げた。
「織紙さん、野々宮さん、天海さん、病院では本当に申しわけなかった」
お父さんが言って、下げていた頭をもっと下げる。
それほど高くないカウンター越しに、丸まった背中が悲しく見えた。
「え……あの、これ……」
なにが起きているのか分からなくて、一緒に並んでいる三人の顔を順に見た。
最後に音羽くんの顔を見ると、彼も一歩離れてから頭を下げた。
「迷惑をかけて悪かった」
いよいよどうしていいのか分からない。
助けを求めて、祥子ちゃんと純水ちゃんをもう一度見ても、彼女たちも困った顔をしている。
「とりあえず、頭を上げてもらおうよ」
「あっ、そ、そうだね」
純水ちゃんが言ってくれて、まずはそう言わないと、ずっとこのままだと気付いた。
「あの──頭を上げてください。そんなことをされたら困ってしまうので。それから、どういうことだか教えていただけますか──」
私が言ってそれからも、三十秒以上はそのままだった。
それでやっと頭を上げてくれて、お父さんとお母さんはカウンターを回って、こちら側にやって来た。
「言乃ちゃん、本当にごめんなさいね。ゆうべ、私たちは優人に叱られたの。責任のない相手を何ヶ月も悩ませて、それで平気なのかって。そのお友だちにも酷いことを言って、どう思ってるんだって」
「──俺も悪いなって思いながら、結局なにも考えてなかったのに気付いたんだ。織紙はあんなに泣くほど心配してくれてたのに、俺はどうしてたんだって」
お母さんが説明してくれたのを引き継いで、音羽くんも教えてくれた。
お母さんは震えかけた声で、音羽くんは両手を拳に握って。
それを黙って聞いているお父さんは、目を固くつむって俯いていた。
「あたしたちは別に──ねえ」
「うん。コトちゃんしだいだよね」
祥子ちゃんと純水ちゃんは、照れたようななんとも言えない表情でそう言い合った。
音羽くんの家に呼ばれたからと、さすがにこの状況は予想していなかったと思う。
立派な大人が自分たちの仕事場で、仕事着を着て、私たちみたいな子どもに頭を下げる。
それがどれほどのことか、ちゃんとは分かっていないと思うけれど、きっと最大級の誠意を見せてくれているんだとは想像がついた。
きっと二人もそんなことを感じていたんだろう。言葉のとおり、表情にわだかまりは見えなかった。
自然と、お母さんと音羽くんの視線は私に向いた。
謝ったのだから、許すか許さないか言ってほしいと考えるのは、当たり前だろうと分かりはする。
でもなんだか言葉を急かされているように思えて、すごく焦った。
私はそもそも、今の今だって、音羽くんの件は私が悪いと思っている。
音羽くんのお父さんの言葉だって、きつい言葉だとは思っても、お門違いだとは思っていない。
その私に謝られても、許すとかそうでないとか言えるはずがないのに。
「ええと……」
なにかは言わないとと考えていると、どんどん混乱していった。
そのせいか、まとまる前に私の口から言葉が漏れた。
「音羽くんは、退院してからどうしてたんですか──?」
ええ? 私はなにを言ってるの?
それは確かに気になっていたけれど、このタイミングで聞くようなことじゃない。
口が滑るっていうのは、こういうことなのかな。
私は私のせいで、また混乱を深めることになった。
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