取引条件を探せ
臨機応変に物事は対処すべきで、しかし自らの利益を手放してはならない。
何が言いたいかというと、一寸の社畜だって五分の商人魂は持っているのである。
ある場所で一ヶ月ぐらい泊まりこんで仕事をしていた時のことだ。
毎日遅くまで作業、早くから集合の繰り返しで、結構限界が近づいていた。
しかしどんな仕事でも終わりは来る。金曜日の夕方、私はようやく終わる仕事の甘美を噛み締めながら、病院の廊下に立っていた。
昨日までは死んだフェアリーの如きだった眼差しも、今日は獲物を見つけた鰐のように輝いている。
家に帰ったら、まず爆睡をしよう。惰眠を貪ろう。洗濯機を回すためだけに起きる生活をしよう。ホテルで何度か洗濯したとはいえ、やはり一度綺麗に洗いなおさないと、なんとなく気分が落ち着かない。というより、それをしないと帰ってきた実感が湧かないのである。
洗濯に心躍らせるという意味不明のテンションでいた時に、プロマネが近づいてきた。何やら半笑いを浮かべている。とうとう壊れたのだろうか、可哀想に。
なんて思っていたら、私の傍で立ち止まって言った。
「あのさぁ、明日XXX病院(30kmぐらい離れた場所)に行かない?」
きょとんとしていると、「冗談抜きで」と付け加えられた。そんな冗談があってたまるか。よしんばそれを面白いと思って言ったのなら、貴方の笑いのセンスは死んでいる。
「明日ぁ? ホテル引き払っちゃいましたよ」
「いや、勿論泊まっていいから。どうしてもそこのシステムの調整をしにいかないといけなくて……」
「自分でやってくださいよ」
「あれ構築したの、淡島さんだよね。他の誰も出来ないよ、あれ」
二年前のことなんて覚えてるんじゃねぇよ、と理不尽な罵倒を喉奥に押し込んだ。
そういえば、あの時にこの人いたなぁ、と思い出しながら黙りこむ。
別に暇は暇だから、行っても良い。ホテルなんてどうにかなるし、元から延泊用にアメニティも余分に持っている。作業内容を聞いた限り、すぐに終わる仕事だ。問題はない。
でも、素直に承諾するのも腹が立つ。私は帰って洗濯がしたいのだ。今、私は桃太郎の養母よりも洗濯に熱い情念を燃やしている。
かといって頑なに断るのも少しリスクがある。この地方の仕事を取りまとめているのは、この人なのだ。下手に機嫌を損ねたら、二度と仕事が回ってこないかもしれない。
仕事は要る。この人の機嫌を損ねたくはない。でも家に帰れない恨みは何かで還元したい。まぁあとは工数とか契約の問題とか、色々あるけど、何が言いたいかというと「適度に恩を着せたい」。
あくまで、仕方なく協力してあげました、というポーズが取りたいのである。プロマネだって、多分そのぐらいは汲んでくれるはずだった。
「焼き肉食べたいです」
そう言うと、プロマネは私が何を言いたいか察して明るい表情になった。
いいよいいよ、美味しいところに連れて行ってあげる。と、ウキウキ承諾してくれた。焼き肉と言う、高くも安くもない絶妙なものを取引に出したのがポイントである。
向こうは「安いものを奢って、かつ休日出勤も承諾してくれた」と私に対して思うだろうし、私にしても「焼き肉一つで恩を着せれた」という利点が生じる。バランスは大事だ。片方だけ有利な取引は長続きしない。
しかし、去っていくプロマネの背中を見送りながら、私は一つ重要なことに気がついた。
どうしよう。
ふと思い浮かんだから言ったけど、焼き肉別に好きじゃなかった。
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