第四十一話 築城からのメール

影山かげやま、お前はいつ戻ってくるのだ?』

築城ついき航空祭は新田原にゅうたばるの次の週なので、もうちょい先です』

『そういうことじゃない』


「あ? ほな、どういうことやねん……」

達矢たつや君、なにしてるの?」


 スマホとにらめっこをしている俺に、嫁ちゃんが声をかけてきた。


「ん?」

「さっきから、スマホに向かってブツブツ言ってる」

「隊長からメールがくんねん」

「どっちの隊長?」

「築城の隊長」


 それを聞いたチビスケが嬉しそうに飛んでくる。


杉田すぎたのおじちゃーん! どんなお話してるー?」

「みっくん、ちびちびちゃんが寝てるんやから、静かにせんと」

「!! し――っ!!」


 娘が寝ていることを指摘すると、チビスケは口を両手でふさいだ。娘が産まれた直後は、赤ちゃん返りをするのでは?と心配した時期もあったのだが、今ではすっかり「お兄ちゃん」が板についてきた。たまに俺ですら、チビスケに「パパ、し――っ」と言われることがあるほどだ。


「杉田隊長のメール、なんだって?」


 嫁ちゃんが興味深げな顔をした。


「え? いつ築城に戻ってくるんやって。築城の航空祭は新田原の次やん? それを伝えたら、そういうことやないって返事が来たわ」

「あー、達矢君、それ、築城の飛行隊にはいつ戻ってくるんだって質問じゃない?」

「ああ、そういうことか。隊長のメール、ダメ出し以外は超簡潔でかなわんで。ほなら、と」


『予定は未定ですけど、たぶん三月の異動で判明するのでは?』

『そうか。お前が戻ってくるのを、子供達も楽しみにしているとのことだ』


 しばらくして戻ってきた返信で、嫁ちゃんの言ったことが正しかったことが証明された。


「楽しみにしてるんやて。でもその前に、航空祭で会えるやんな」

「ブルーで行くのと、飛行隊に戻ってくるのでは、ぜんぜん違うんだよ、きっと」

「そうなんか」

「でもさ、そろそろだよね、異動」

「せやなあ。次の異動では、間違いなくここを離れることになるやろ。どこに行くかわからんけど」


 ブルーを卒業して異動になった場合、元いた飛行隊に戻るとは限らない。実際、吉池よしいけ班長も、前に所属していた部隊とは別のところへと異動していった。俺だって、築城基地の飛行隊に出戻るとは限らないのだ。


「行くのは築城に決まってるじゃない」


 だが、嫁ちゃんの意見は違うらしい。


「そうかー?」

「だって、こうやって杉田隊長がメールしてくるんだよ? 次の異動先は、築城の飛行隊って決まったも同然じゃない? 私の予想だと来年の築城航空祭では、隊長さんと展示飛行をすることになるんじゃないかな」

「まだ飛ばなあかんのかいなー……もう、飛ばんでもええやん? ブルーにいる間に、一生分は飛んだ思うで?」


 俺がぼやくと、嫁ちゃんが笑いながらチビスケに声をかけた。


「みっくーん、パパ、こんなこと言ってるけど、どう思う?」

「自転車、五番機からパンサーにできる?」

「あ、それもあるね。築城に戻ったら、パンサー仕様にしなきゃね。今度はF-2だね、みっくん」

「俺があそこに戻るんは、決定事項なんかいな」

「パパパンサー!! たのしみー!!」


 どうやら二人の中では決定事項らしい。


「はー、まだ飛ばなあかんのかい」

「あきません」

「あきませーん」

「さよでっかー」


 ま、嫁ちゃんのおにぎりがあるのだ。あのおにぎりがある限り、もうしばらく頑張って飛び続けることができるだろう。


「でも、みっくん、そろそろ一人で乗る自転車も買わなあかんよなあ? お兄ちゃんになったことやし」


 自転車での送り迎えをする時は、まだ俺が後ろか前に乗せている。だがチビスケも、そろそろ一人で自転車に乗ることができるようになる年頃だ。


「!! フクザじゃなくなる?」


 チビスケの目が輝いた。


「せやで。次のみっくんの愛機は、単座でパンサー仕様になるかもなあ? そろそろ、みっくんも単独飛行や」


 今のヘルメットと自転車は、嫁ちゃんが頑張ってデザインをしてくれたブルー仕様だ。築城に戻るとなると、仕様を変更しなければならない。


「どんどんハードルが上がってくるね。私、築城のスペマみたいなかっこいいデザイン、できるかな」

「がんばれ真由美まゆみさん。塗装は俺がやるし、デザインは任せたで」

「ママ、がんばれー、ぼく、たんどくひこー!!」

「なんか引っ越しより、そっちのほうが大変そう」


 俺とチビスケのガンバレコールに、嫁ちゃんが困ったように笑った。



+++++



「影山、これ見てみろよ」


 次の日、昼からの訓練を前に、ハンガー前でおにぎりを食べていると、青井あおいがノートパソコンを持ってやってきた。


「どうしたん、班長。なにか機体に不具合でも?」

「違うよ。築城の飛行訓練の様子が、SNSの動画であがってるんだけどさ」

「んん? あー、そろそろ航空祭の展示飛行の訓練を始めてるんやろ? 最近は情報が早いよなあ。マニアさんらの情報網は恐ろしいで」


 任務と訓練の合間でしか時間がとれないので、防空任務についている飛行隊は、毎年それなりに早い段階から展示飛行の準備を始めている。基地の広報ではそこまで詳しく周知しないのだが、普段と違う機動飛行をすると、すぐに基地の周辺で写真を撮っている人達に気づかれた。


「それそれ。もー、なんなんだよ、これー」

「なにか問題でもあるん?」

「おおありだろ? こんな機動、基地上空でするか?」


 映し出された動画では、黒豹のエンブレムをつけたF-2が、基地上空を急旋回しながら飛んでいる。小回りがきくF-2ならではの機動だ。これは対艦・対地攻撃を想定した機動を展示用にアレンジしたもので、ここのパイロットにとって、特に変わった機動というわけではなかった。


「こんなん、普通の訓練でもやっとることやで? もちろん、基地上空ではなく海上でやけど」

「これ、飛ばしてるの杉田さんだろ? ぜったいアメリカのデモチームやブルーと張り合うつもりだろ、この機動」


 青井が先頭を飛んでいるF-2を指でさす。さすが班長、ようおわかりで。


「そんなことないで。F-2の任務の紹介と、性能をわかりやすく表現する展示飛行を考えた結果が、この機動やねん。まあ、たしかにちょっと荒っぽく見えるけどな」

「ちょっとどころじゃないだろ、めっちゃ荒っぽい!」


 まあ青井の意見ももっともだ。俺がいた時も、少しばかりやりすぎだと言われることがあった。だがこの動画を見ている限り、やりすぎと言われた時から大して変わっていない。それどころか、ますますキレが出てきたような気がする。


「さすが隊長やで。ほんま、こんなん俺にはマネでけへんわ」

「なに言ってるんだよ、どうせ築城に戻ったら、影山もこの飛行展示をする一員になるんだろ?」

「わい、飛ばんと地上でアナウンスしてたいわー……てか、築城に戻るんは絶対なんかい」


 誰も彼もが、俺はブルーを卒業したら築城に戻ると信じて疑わない。まったく、かなわんで。


「あ、それで思い出した。沖田おきたが呼んでたぞ?」

「ちょ、それ、はよう言わなあかんやん。なにチンタラしとんねんて怒られるんは、班長やのうて俺なんやで」

「すまんすまん」


 残っていたおにぎりを口に放りんで立ち上がる。そして隊長が待っている部屋に急いだ。


「影山です。遅うなってすんませーん」


 ノックと同時に部屋に踏み込む。そこには隊長だけではなく、基地司令もいた。


「うお?! 司令まで!!」

「すまないね、私もいるんだ」


 まさか基地司令がいるとは思っていなかったので、適当に声をかけ、適当にノックをして部屋に入ってしまった。


「まったく班長、ちゃんと言いなや……心づもりってもんがあるやんか」


 ブツブツとつぶやきながら敬礼をする。


「失礼しました、司令。沖田隊長がお呼びのようなのでまいりました」

「そうなんだよ。お呼びなんだよな、沖田隊長」

「その通り。遠くから呼ばれているぞ、影山」

「は?」


 隊長と司令がそろってニヤニヤしている。


「影山三佐、少し早いが異動の内示が出たよ」

「は……?」


 司令の言葉にポカンとなる。次の異動は三月で、今はまだ十二月に入ったばかり。少しどころかかなり早くないか?


「いろいろあって夏の異動ではここに残ってもらったが、来年度からは、松島まつしまから築城に戻ってもらうことになりそうだ」

「ああ、はい」

「あまり驚いていないな?」


 隊長が俺の様子を見て、愉快そうに言った。


「いえ、驚いてはいるんですが。ただ昨日の晩に、築城の杉田二佐から、いつ戻ってくるのかとメールがありまして。もしかしたらと思ってました」

「夏の終わりごろから、早く築城うちの影山を戻せと、あっちからの催促が激しくなってね」

「うちの影山……」


 隊長がうなづく。


「まあどこの飛行隊もギリギリの人員で回している。早く戻せと言われるのは、しかたのないことなんだが」

「影山君は老若男女に人気だから、松島こっちとしては、もう少しいてほしかったんだけどね。ま、後藤田ごとうだ君の卒検も無事に終わっていることだし、そろそろ築城に戻してあげようって話になったんだよ」


 司令がニコニコしながら言った。


「えー、内示が出ているのでいまさらですが、飛ばなくてもすむ部署を希望したらあかんのですか?」


 俺の言葉に、司令が目をむく。


「駄目に決まってるだろ。築城航空祭の時に沖田が念押しをされるだろうし、この状態で影山を戻さなかったら、築城から松島に黒豹の群れが襲来するだろ?」

「いや、そこは可愛い部下のためにですね」

「うん。ここには実にたくさんの部下がいるんだ」


 司令が真面目な顔をしてうなづいた。さらに隊長が、追い打ちをかけるように言葉を続ける。


「とは言え、これはまだ内示の段階で、異動するまでは影山はブルーのライダーだ。ラストを迎えるまではブルーの五番機ライダーとして、ちゃんと飛ぶように」

「せやけど、もう通常の飛行訓練は後藤田で……」

「築城の航空祭までは前席で飛べ。お前のラストショーは築城の航空祭だ」


 任期がのびて、いつが最後になるのだろうと思っていたが、どうやら古巣の築城基地航空祭が、俺のブルーとしての最後の展示飛行となりそうだ。


「異動はまだ先で今年度の間はここで飛ぶんだ。もうしばらくは、ここでブルー五番機として、よろしく頼むよ、影山三佐」


 基地司令に言われてしまえば、わかりましたとしか返事のしようがない。派手に溜め息をつきたくなるのをこらえ、敬礼をする。


「心得ました。離任するまで後藤田三佐と共に、五番機の伝統と技に磨きをかけて参ります」

「よろしく頼む」


 二人に見送られて部屋を出た。そこで派手に溜め息をつく。


「……うわ、ほんまに築城に戻ることになったで。てか、あっちの司令と隊長、一体どんなプレッシャーを松島こっちにかけ続けたんや」


 戻ってこいと望まれるのはパイロットとして誇るべきことだ。だから元いた飛行隊に呼ばれることは、実に光栄なことなのだ。だが……。


「飛びたないのに、また飛ばなあかんなんて、なんでやねん」


 一体どんなプレシャーだったのか、それは知らないほうが良さそうだ。

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