第13話 種族の壁

 フェーデルの戦士団詰所には、地下に牢屋が作られている。戦士団は町の外だけではなく、内側の治安を守る役割もあり、悪人を捕まえる権限が与えられていた。その捕まえた悪人を収容するための施設である。

 故に、牢屋に竜が閉じ込められるのは今回が初めてだった。黒竜は危険なため、捕獲ではなく討伐するのが常識である。そのため、今まで黒竜を捕まえるという選択肢が無かったからだ。


 だからエリザベスがロロを捕まえるという命令も、前代未聞だった。なぜ捕獲することにした理由は知らないが、それはクリフにとって幸運だったと言える。

 クリフは地下室に下り、ロロが入っている牢屋に赴いた。


「遅ーい。もうっ、待ちくたびれたよクリフ」


 ロロが居る牢屋に着くと、鉄格子の向こう側から開口一番で不満を吐かれる。両手は手錠をつけられたままだが、それ以外で変わったところはない。

 元気そうな様子に、クリフは胸を撫で下ろした。


「すまんな。ちょっと混乱しててな……。考えを整理してたら遅れちまった」

「ホント? もう大丈夫?」

「あぁ、心配しなくて良い。それより―――」


 無邪気なロロの顔を見てから、クリフは尋ねる。


「お前、このまま死ぬ気なのか?」


 クリフにとって、それは明らかにしておきたいことだった。

 ロロは人を喰い殺す黒竜である一方で、ロロはか弱き少女でもある。どちらが本当の姿なのか、クリフには分からない。

 だからロロを殺さずに町に下り、一緒に過ごしながらロロの事を知りたかった。ロロが本当に悪しき竜なのか、それを見極めたかった。


 しかし、見定める前にロロは捕まってしまった。それどころか、このままでは殺されることになる。

 クリフはロロの事が知りたい。そのためには、なんとかしてロロには逃げのびて欲しかった。


「ううん、死なないよ。隙を見て逃げるつもり」


 表情を変えずに、ロロは宣言した。

 ロロの顔には、悲哀じみた感情は見られない。彼女の言葉に、クリフは安心していた。


「そうか。じゃあなんで捕まったんだ? お前なら逃げれただろ」

「さっき言ったじゃーん。あんなに人がいたら傷つけちゃうかもしれないでしょ。だからだよ」

「それはそうだが……あいつらはお前を殺そうとしてるんだぞ。そんな奴等の事も気にするのか」

「うん。だってそんなことしたら、皆、ますます竜を嫌いになっちゃうでしょ。ファルゲオンがこの街に帰って来づらくなっちゃうじゃん」


 ロロは自分のことや他の人間だけではなく、竜の事も考えていたようだった。クリフは目を白黒させる。


「お前……ファルゲオンの知り合いなのか?」


 もしかして顔見知りだからか。それなら心配するのも不思議では無いと思ったが、


「ううん。見たことも聞いたこともないよ」


 と完全に否定した。


「けどファルゲオンって、人と仲が良かったんでしょ。もしかしたら戻りたがってるかもしれないじゃん」

「……人を襲った竜がか?」


 ファルゲオンは人を襲った。フェーデルの住人と仲良くしていたはずなのに裏切った。

 そんなことをした竜が、今更戻って来るとは思えない。


「人間と親交を深めるって、けっこう難しいよ。そんなに苦労したのが、人を襲うためだけだったってロロには信じられないんだー。何か事情があったのかも」

「どんな理由があろうと、人を襲ったことには変わらないだろ」

「理由次第では許したいと思う人もいるかもしれないよ。それにロロやファルゲオン以外にも、人と仲良くしたい竜がいるって考えたら、嫌われるようなことはしたくないんだー」


 クリフの頭の温度が、急激に熱くなった。


「理由次第で、だと?」

「うん。誰かに命令されたとか、実は襲った相手が何か企んでいたとか。そういう理由だったらロロは―――」

「ふざけんな」


 クリフは力の入った声で、ロロを詰った。クリフのきつい声に、ロロは目を丸くする。


「どんな理由があろうとなかろうと、人を殺したことに変わりはないだろ。結局、人を襲ったのはファルゲオンが選択したことだ。そこに同情の余地なんかねぇ。人の命を軽く見てねぇか」

「えっ……そんなことないよ。ロロは人間大好きだし、ファルゲオンだってきっと後悔してると思うよ」

「じゃあ死んだ者の家族はどうするんだ!」


 ロロの身体がびくりと跳ね上がる。怯えたように身を縮めて、か細い声で「クリフ……?」と声を出す。

 クリフはハッとして、興奮気味になっていることに気づいた。


「何でもねぇ。ともかく、後は勝手にしろ。逃げるなりなんなり、好きにすればいい」


 クリフは踵を返して、牢屋から離れる。地下室から階段を上り、階段の上にある扉から出たところで、ぼそりと呟いた。


「かっこわる……」


 ロロの発言は他意のない、多くある意見のうちの一つである。おそらく、ロロと同じ考えの者もいるかもしれない。

 にもかかわらず頭に血が上り、ロロに激昂してしまった。


 関係の無い者に八つ当たりしてしまったことに、クリフは恥を知り、後悔した。





 ロロは鉄格子の隙間から顔を出し、クリフの背中を見送った。クリフは荒々しい足取りで廊下を歩き、階段を上って行った。

 地下室には再び静寂が訪れた。ロロは壁に背中を預け、寂しげな目で天井を眺めた。


「やっちゃったかなー……」


 自身の言動がクリフを怒らせた。ロロでもそれくらいのことは分かった。人と親交を深めたいが、ロロはまだ人の事を理解できていない。竜と人では価値観が異なっている。そのずれが、クリフの怒りに触れることになった。


 しかし、少々予想外でもあった。たしかにロロは無神経な発言をしてしまった。それにしても、あれほどまで拒絶されるとは思わなかった。

 もしかして最初から無理をしていたのかと、ロロが考えているときだった。


 階段の方から足音が聞こえる。クリフとは違う音が、一定のペースを保って地下室に響く。ロロは自然と身構えて、足音の主を待った。

 間もなくして、足音がロロの牢屋の前で止まる。その者の顔は、ロロが見たことのあるものだった。


「調子はどうだ?」


 イアンと呼ばれていた青年が、ロロの様子を窺って来た。ロロは一息ついて、質問に答える。


「うん。大丈夫だよ」

「それは残念。弱ってくれていた方が好都合だからな」


 ロロの胸がかすかに痛んだ。竜が人に嫌われているとはいえ、言葉で悪意をぶつけられたのは初めてだった。

 イアンはロロを見下ろしながら、また問いかける。


「クリフが来てたみたいだが、どういう話をしてたんだ?」

「……世間話ってやつだよ」

「ふーん。随分と仲が良いんだな」


 ロロは喉から出そうになった言葉を呑みこみ、肯定も否定もできずに黙ってしまう。

 竜は人から嫌われている。特にこの町ではそれが顕著だった。詰所の一階でロロが受けた憎悪の視線が、それを知らせていた。


 そんな竜とクリフが仲が良いと教えると、クリフの立場が悪くなるのではないかという懸念があり、ロロは頷けない。だけど仲良くなれたことを否定することもしたくない。せっかくできた人間の友人を、自ら拒絶するのは嫌だった。

 何の反応も返さないロロに、イアンはふんと鼻を鳴らす。


「まぁ、いい。お前を庇った時点で、あいつの評価は落ちる。お蔭でスカッとしたぜ」


 イアンは嫌な笑みを浮かべる。


「しっかし、面白い話だ。誰よりも竜狩りになりたかったあいつが、気まぐれで竜を助けて、そのせいで使命を果たせなくなるんだからな」

「使命って、なに?」


 クリフの使命。ロロは気になって、つい聞き返していた。


「あいつは竜狩りの戦士になって、竜を殺すことを望んでんだよ。何故ならあいつは―――」


 イアンの言葉で、ロロは己の無神経さを悔いた。


「竜に親を殺されたからな」

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