第235話「復讐するは我にあり」
ヨハンを兄と呼んだ男は、連れて来た老女をその場に押し倒すと、その腰を踏みつけ動けなくし、銃口を後頭部へと向ける。
老女は、後ろ手に縛られていたことから、胸を強く打ち、口を塞いでいる猿ぐつわの隙間から苦しそうな呻き声を漏らしていた。
母への暴行を見ても、ヨハンはそれを
それは、この男が何者なのか判らなかったからだ。
いや、正確に言えば、自分のことを兄と呼ぶ限り、どちらかの弟なのだろうということは判る。
だが、それでも目の前の男の姿からは、遠い記憶にある面影と重ならなかった。
それほどまでに、その顔は成長というよりも、別人と疑いたくなるほどの変貌を遂げており、そして、その表情には、悪意が満ち溢れていた。
「遅かったじゃねーか、マルコ」
エリックが名を呼んだことで、下の弟だと判ったのだが、それでも信じられなかった。
「マルコ!? 本当にマルコなのか?」
「随分な言い草だな。醜く太っていても、テメーを売った母親は覚えちゃいるが、捨てた弟の顔は忘れたか?」
捨てたつもりは……。
喉まで出かけた言葉を、ヨハンは飲み込んだ。
弟たちを捨てたつもりはなかったのだが、当時の精神状態は、ノイマンの家から逃げたかった思いが強く、自分が売られて、心の中でホッとしていたからだ。
「自分だけが逃げた、捨てられたと言われても仕方がない……だが、その代わり、金が残っただろ? 裕福とは行かないまでも、母さんの収入と合わせれば、5年は普通の生活が送れるし、母さんが給与の良い仕事を見つかるまでの繋ぎとしても使えただろ?」
すると、マルコは高笑いして、母の猿ぐつわを外す。
「教えてやれよ、母さん。兄さんを売った金、どうした?」
母は怯え震えるばかりで、口を硬く閉ざし、一言も発しない。
その姿をマルコは、鼻で笑い。
「知らねーんだよ、俺たちは。その使い道をな!」
すると突然、母はマルコの言葉を遮るように叫びだした。
「ヨハン、助けてーッ!」
マルコは、母の髪を鷲掴みにして引き上げると、そのこめかみに銃を突きつける。
「ババァ! そんな言葉が聞きたいんじゃねんだよ! どうした? 言えよ! 金をどうしたーッ!」
だが、母は泣き叫ぶばかりで、何も言おうとしない。
「言えねーか? 言える訳ねーよな? 代わりに言ってやるよ。このクソババァはな、テメーを売った金持って逃げたんだよ、俺たちを置いてな!」
その衝撃的な告白に、ヨハンは眩暈すら覚えた。
幸せとまでは言わないが、きっと、自分が居た頃より良くなっている。
そう思っていた。
いや、そう思いたかったんじゃないのか、俺は?
そうなるかもしれないと思っていたから、
その後も、ノイマンと関わらないように……見ないようにして来たんじゃないのか?
「ゲームで遊んで暮らしてきたお前に、解るか? 3歳と5歳のガキが、二人でどうやって生きてきたかを!」
なぜ、お前らが突然居なくなったのか、ガキの俺たちには解らなかった。
いつか帰ってくると信じて、待ち続けた。
毎日、不安で二人で抱き合って泣いたのを今でも覚えている。
家にあった食料は5日でなくなり、飢えた俺たちは、お前がくれた肉を思い出して、お前を探し求め、街を
飢えと疲れでフラフラにながらも、ようやく見つけてみれば、テメーが店に来なくなったと怒鳴られ、殴られた挙句、オスカーの兄貴は、テメーの代わりに働かされたんだ。
5つのガキをだぞ!
毎日、兄貴は顔を腫らして帰って来た。
それでも、兄貴は食いモンが貰えるからと我慢し続けたんだ。
2ヵ月後、家賃が払えてないと、大家に追い出され、その時、初めて知ったんだ。
――可哀想に、この子たち捨てられたのね。
可哀想とか言いながら大家のババァは、払えてない家賃分だと家財を全て取り上げやがった。
俺たちに残ったのは、着ていた服と、穴の開いた靴だけだった。
行くところのない俺たちは、マフィアの店で厄介になるしかなかった。
毎日毎日、邪魔だの、臭いだの、
何も変わらない空間で、何日経ったかも判らないまま、怯えながら時間だけが過ぎた。
そして、オスカーの兄貴は動かなくなった。
過労死なのか、栄養失調なのか、暴行によるものなのかは判らなかった。
だが、原因が何かなんて、俺にはどうでもよかった。
俺は警察に「兄貴が殺された」と泣いて訴えたよ。
なのにヤツらは、マフィアのオヤジから金を受け取ると、黙りやがったんだ!
当然のように、その後リンチを受けたよ、今でも生きてるのが不思議なくらいにな。
このまま、此処に居れば殺されると、俺は店から逃げた。
何処に行けばいいかなんて判らないまま、ただただ走った。
そんな時、十字架が見えたんだ。
此処なら、神様なら救ってくれるに違いないと、俺は教会に飛び込んだ。
そこは、飢える心配も、寒さに凍えることも、殴られ怯えなくてもいい天国だった。
もっと早く知っていれば、兄貴が死ぬこともなかったと泣く俺に、
神父は「きっと、君のお兄さんが此処へ導いてくれたんだよ」と、一緒に泣いてくれたんだ。
食べられる喜びと、安心して眠れる幸せを感じながら、毎日、兄貴と神様に感謝したよ。
だがな、やっぱり、神様なんて居なかったんだ。
尊敬していた神父は、行き場を失った孤児に性的欲求を満たすトンだ下衆野郎だった。
自分に逆らえないと知った上で、好き放題やってやがった。
悪戯する現場を俺に見られても尚、止めようとしなかった挙句、
呆然とする俺に、何て言ったと思う?
「主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん。解るか? これは罪ではないのだ。もしも、これが罪であるのなら、神が私を罰するからな」
そう言って、厭らしく
だから、俺が、
神の代わりに、罰を与えてやった。
俺は恨んだ。
生まれてきたことに、
兄貴を殺したマフィアに、
金を貰って罪を揉み消した警官に、
神父を咎めなかった神に、
そして、
俺たちを捨てた、お前らにな!
「解った。だが、待ってくれないか? 俺にも復讐したいヤツが居るんだ。それが終われば、お前に殺されても構わない」
「何を言ってるだ、兄さん。俺が兄さんを殺す訳ないだろ。たった二人っきりの兄弟じゃないか」
「なら、母さんを人質に取って、何がしたいんだ?」
「エリックから色々聞いたぜ、兄さんも地獄を見て来たんだろ? 当然、恨んでるよな? だからさ、兄さんに、母さんを殺してもらいたいんだよ」
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