第231話「この世に一人しか知らない」

 ニューオリンズに在る超高層ビルの一つ、プラザタワー。

 2002年、アスベストの問題が発覚して以降、幾人も所有者が代わり、その中で改修工事も行われたのだが、使用されることの無いまま、時だけが過ぎていた。

 そんなセキュリティの甘くなったプラザタワーの屋上にヨハンが立っていたのは、20時15分。

 ヨハンは、その上で小型のドローンを飛ばし、スマートフォンに映るニューオリンズの夜景を眺めていた。

 遠くの方で微かに点滅する青と赤の光がニューオリンズを囲んでいるのを確認すると「なかなか優秀じゃないか」と呟き、ドローンを回収してプラザタワーを降りた。


 プラザタワーの下で待つこと、3分。

 別行動をしていたフレデリカがタクシーで現れ、ヨハンはその中へと乗り込んだ。

 フレデリカが「次は、シカゴね」と言ってシカゴ行き寝台列車のチケットを手渡すと、ヨハンは微笑んでそれを受け取り、運転手に行き先を告げ、タクシーはゆっくりと動き出した。


 それと同じ時刻、ローガン・スミスにチケット購入の情報が入る。


「チケットカウンターのカメラの映像に、フレデリカらしき女がシティ・オブ・ニューオーリンズ(寝台列車)のチケットを二枚購入したのを確認しました」


「らしき?」


 スマートフォンでもチケットが購入できる時代であるものの、そうなると購入者が判明してしまうため、必ず現金で購入するだろうと考えたローガンは、チケットカウンターにカメラを備え付け、それをサンフランシスコの本部で監視できるようにしていた。

 仕掛けたカメラの解像度が高いことから、トニーの「らしき」という発言に引っ掛かったのである。


「ウイッグかもしれませんが、髪が肩までの金髪になっています」


「変装ですか……ということは、ヨハンも変えている可能性がありますね」


「そうですね。しかし、カメラにヨハンの姿は確認できませんでした」


 別行動?


「そのヨハンなんですが、20時15分にスマートフォンの電源を入れています。GPSが切られていたため、正確な位置は把握できませんでしたが、基地局から判断するに、あまり離れていない場所だと思われます」


「誰に掛けたんですか?」


「通常の電話回線を使用した記録はありませんでした。アプリでの通話やメッセージは、インベイド社の情報になりますので、一応問い合わせはしましたが拒否されました」


 でしょうね。

 もしくは、検索でもしましたか?


「解りました。トニー、また何かありましたら、報告お願いします」


 その後、目立った動きが確認されないままに時は過ぎ、間もなくシティ・オブ・ニューオーリンズが動き出す22時37分、再び、トニーからの電話が鳴る。


 報告内容があまりにも予想外であったため、ローガンは呆然としてしまう。

 その姿に『ヨハンが射殺されたのではないか』と思ったハンナ・コレットが、ローガンに声を掛けた。


「どうしました?」


「逃げられました……」


「えッ! 逃げられた!? 検問を強行突破されたんですか?」


「それだったら、(指名手配が出来て)良かったんですけどね」


 海上には高速艇が7艇、地上ではニューオリンズを囲むように、市外へ出る全ての道路が封鎖されており、列車でないのなら、強行突破しかないと思われたのだが、ヨハンが取った逃亡の手段は――。



 今を遡ること、2時間半。

 ヨハンは、誰にも予測できないような場所をタクシー運転手に告げていた。

 その行き先に、フレデリカさえも耳を疑い、


「え!? 寝台列車に乗るんじゃないの?」


「元々、そのつもりはない」


「元々? じゃ、なんでチケットを……」


「そいつは、相手が優秀だった場合の保険だ」


「保険? で、優秀なの?」


 ヨハンがプラザタワーで確認したのは、どの程度、自分の棋譜(逃亡計画)を相手が読んでいるのか知りたかったからだ。


「あぁ、予想した以上に、指揮をしてるヤツは優秀なようだ。すでに、ニューオリンズは地上も海上も囲まれている。恐らく、お前がチケットを買うより先に、寝台列車という選択肢にも気づいている筈だ」


「だったら、買わなくても良かったんじゃないの?」


「逆だ。相手にしてみれば、買った情報を得たことで確信する。だから、保険なんだ」


「あぁ、なるほど。でも、本当に大丈夫なの?」


 一緒に暮らし始めてから、ゲームでも私生活でも、その大胆さに驚かさることは何度もあったし、ヨハンを信用していない訳でもないのだが、流石に今回ばかりはレベルが違い過ぎた。


「心配するな。ヤツらが気づく頃には、俺たちはアトランタに降りてる」


 911同時多発テロ以降、リアルID法が強化されて行ったアメリカでは、2018年1月22日より、まずは9つの州から国内外を問わず、飛行機への搭乗の際にはパスポートの提示が必要となり、2036年の現在では、それがアメリカ全土にまで至っている。

 その中で、インベイド社製の網膜認証が政府公認となり、リアルIDがスマートフォンに搭載されるようになると、全ての身分証明書がスマートフォン一台でまかなえるようになった。

 技術が進めばシステムも変わり、それまで人の仕事であったパスポートなどの本人確認も、機械が行うようになり、チケットの購入なども含め、高速化が進んでいった。


 ただゲートを通過しただけで、その網膜を確認し、本人が特定され、搭乗者として記録される。


 もし、ヨハンたちが指名手配されていたならば、自動的に警察へ通報されていただろうし、また、本人確認が人であったなら、飛行機に乗るという手段は考えなかっただろう。


 IDの偽造が不可能となったこの時代で、犯罪者が身分を明かさなければならない乗り物を選ぶ訳が無い。

 そんな非常識とも呼べるヨハンの行動は、誰にもその選択肢に『飛行機』という文字すら浮かばせなかったのである。

 もちろん、意識してなかったとはいえ、その情報は何れ警察に入るのだが、ニューオリンズからアトランタには直行便があり、その所要時間は1時間20分で、まず間に合わない。


 ヨハンの説明を聞き終わり、理解も出来るし、信用もしているのだが、不安を拭えなかったフレデリカは、ずっと気を張り続けていた。


「そう気を張るな」


「貴方の計画を信用してない訳じゃないのよ、でも、でもね……」


「大丈夫。こんな非常識な手が浮かぶヤツなんて……俺はもう、この世に一人しか知らない」


 言葉を詰まらせ、少し悲しい表情を見せながら、ヨハンは話を続ける。


「それに、もしこれで捕まるようなことがあれば、テロの犯人を特定できる。できれば、そうあって欲しくはないがな」



 ヨハンがアトランタに着いたとの報告を受けたローガンは、大きな溜息を吐き、自分の予測の甘さを嘆いた。


「貴女に『ヨハンは重要参考人であって、犯人と決まった訳ではない』と言っておきながら、私の方こそ、頭の中でヨハンを犯人扱いしてたんですね。全く、情けない……」


「本当に、そう思ってます?」


「え? どういうことですか?」


「だって、笑ってますよ」


「笑ってる? 私がですか?」


「はい」


「そうですか、私は笑っていますか」


 そうか、私は負けたのに楽しんでいるのか。

 この感情こそが、貴方たちが夢中になるゲームの一要素なのかもしれませんね。

 何もかも終わったら、私もゲームをしてみましょうかね。

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