十章

 父さんがいなくなってしまってから、俺は第一勇者になった。みんな認めてくれて、支えられて、なんとかやってきていた。……でも、あの日を境に、何もかも変わってしまった。俺は、俺だけは、最後まで生き残って、国の人や姫様を守らなければいけなかったのに。



「……まだ夜中だな」



 ふと目が覚めてしまい、時計を見ると3時。まだゆり様もご両親も寝ている時間……。

 ――背筋が、凍りついた。



「……ゆり、様?」



 この時間、真夜中に、ゆり様がベッドにいなかった。驚いて飛び起きて部屋を見渡した。ドアが開いている。机の上から床にダイブして、ドアの隙間から外に出る。リビングにもいない。キッチンにもいない。しかし、靴はある。どういうことだ? ご両親は……? 寝室の前までは行ったが、ドアノブが高すぎる。これじゃあ開けられない。木製の頑丈な扉は、押しても引いても、俺がやるんじゃびくともしない。



「……っ…………」


(どうすれば……!)


「こんばんは、久しぶりだね」



 ぞっとした。こんな小さな身体では無意味だと分かってはいたが、距離をとらずにはいられないような、冷たい、中性的な声だった。声は、一度聞いたことがあった。



「……悠真、だったな」


「あれ、この間と随分扱いが違うなぁ。ダメだよ並木ゆりの前でだからって演技しちゃ」


「あれは演技じゃない。お前の雰囲気が違いすぎる。それにそもそも、ここはゆり様の家の中だ。そこにお前が勝手に入れているだけで、警戒する理由にはなる」



 『悠真』は、ちっとも面白くなさそうにケタケタと笑い、光の無い目で俺を見下ろした。



「やだなぁ。僕はただ、君がどんな役割を果たしてくれるのか知りたいだけなんだよ」


「……役割、だと?」


「……ルアン、だったかな。君はこの世界の生命体ではない。見て分かる通りだ。そんな見た目の生物は今現在存在していないし、これからの未来、生まれることもない。

 こう見えても僕は優秀な研究者でね。実は未来から来てる。……ま、普通はこんなこと言ったところで信じてれないんだけど、君は信じてくれるよね。なんせ、そんな身体をしているんだからさ」


「ゆり様はどこにいる? お前が連れ去ったのか!?」


「あー、やだやだ。うるさいなぁ……。――六番」



 とたんに身体が宙に浮き……いや、持ち上げられ、鋭い痛みが走る。目をそちらに向けると、硝子のような目をした女が俺を掴み、注射器で、俺の身体に何かを打っていた。



「お前っ! 何す――」



 身体がいうことをきかない。目が霞み、何も見えなくなる。どくん、どくんと鼓動だけが大きく耳に響き、何も聞こえなくなっていく。



「うん、よくやったよ六番」


「ありがとうございます」


「あのね。ルアン君、よく聞いてね。

 並木ゆりは今、僕たちの手の中にいる。生かすも殺すも、僕の声一つさ。助けたいなら、条件を呑んでもらう」


(……条件、だと?)



 ろくに働かない頭で言葉を噛み砕く。身体が、熱い。



「今から君を、とある世界に連れていく。この世界と並列した、別の世界さ。僕らの実験施設として作られたんだが……もう必要ない。

 君に打った薬はね、簡単にいえば怪物を造り出すためのものさ。様々な力を操れるようになり、体力も格段にあがる。だが、その代わりに自制心ってのが全く効かなくなるのさ」



 何を言っているんだ、こいつは。しかし、俺の頭は思ったよりも冷静に動き、その次の言葉を予測していた。



「世界を一つ、滅ぼしてほしい。そうすれば君は……まぁどうなるか分からないけど、並木ゆりは無傷で返してあげるよ」



 ……ゆり様は、今の俺にとって、最も大切で、失いたくないものだ。ここで反発して、その、手にいれた力で、こいつを叩き潰すことも出来るだろう。でも……ゆり様まで亡くしてしまったら、俺は…………。

 眩い光に包まれながら、俺は、小さく頷いていた。光が消え、そこが家の中でなくなっていることに気づくと同時に、身体に再び、鋭い痛みが走る。とたんに、頭が強く揺すぶられ、身体も心も混乱する。


 ゆり様……私は…………。



「っああぁぁああああぁああ!!!」



 もう、ルアン・サナックとして、生きられないかもしれません。



◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈



 …………。


 ――…………世界が、小さい。

 いや、俺がでかくなったのか。


 真っ黒に染まった身体は、動く度に高温の炎を振り撒き、辺りの山々を焼き尽くしていった。

 視界は相変わらずぼんやりとしていてあまり見えないが、住民とおぼしき人間が、俺を見て悲鳴をあげながら逃げていく。それを見て、俺は、そばにあった大剣を掴み、炎と共に、人間を襲い、街を焼いた。



 ――あーあ。



 俺は、今から、ゆり様のために……ゆり様のためだけに、世界を滅ぼす。それが、どういうものなのかを知りもしないで、破滅へと導く。



「……こんな俺でも、正義の味方だったのになぁ」



 苦笑しながら流した、人としての最後の涙は、地面に落ちる前に、炎で蒸発してしまった。

 ――さぁやろう。もう後には退けない。そう思って、一歩踏み出したとたん、街全体が炎で包まれ、焼かれる。自分自身の、自我と共に。


 ただ壊せ。何もかも壊せ。全てを、元から無かったかのように焼やし尽くすのだ。人も、動物も、女も子供も関係ない。体温なんて感じない。血の温度なんて感じない。鼓動一つだって、聞こえやしない!


 …………。

 …………なぜだ。



 ――とても、寒い。



 俺を倒そうと襲ってくる兵を、何人も倒す。攻撃なんて、痛くもない。剣を振り上げ、振り下ろせばそれで終わりだ。人の力なんて、無力にもほどがある。


 ――倒れてもなお、必死に手を伸ばし続ける一人の兵士がいた。

 その男の腕を落とす。悲鳴があがる。

 なぜか、見ているのが不快だと思った。早く殺してしまわなければならない。そうしないと、とてつもなく辛いことが起こる。……そう、本能が訴えかけてきているようだった。燃やしてしまおうと思った。早く、早く焼いてしまおう。殺してしまおう。早く、はや――



「――ルアン?」



 鈴のなるような、声が……。



「ルアン……ルアン! しっかりしなさい!」



 いつの間にか、頭の中を埋めつくし、支配していた言葉を、うるさすぎて聴こえなくなっていた音を、



「ちゃんと……助けてあげるから」



 少しずつ、少しずつ、その声は溶かしていった。



「あなたも、勇者である前に、私の大切な友なのよ」



 間違いない、この声は…………



「大丈夫、大丈夫だか――」



 姫様の――。



 それでも、身体は止まってはくれない。心の中で絶叫する。身体が言うことをきかない。手が……黒く染まった手が、姫様を殺そうと剣を掴む。俺が、守りたかったものを壊そうと、殺意を生み出す。やめてくれ……やめてくれっ! その人だけは……そのひとだけは! たのむ、から……!

 その気持ちを察したように、あの、片腕と片足を失った男が飛び出してくる。顔を見ると、とても、いい顔をしている。必ず守るという、強い表情。あのときの父さんに、似ている顔。

 …………強くなっていたのか、俺も。



(……ごめんな。ルアン・サナック)



 俺の身体が止まることはなく、自分の身体を焼き尽くした。



「ルアン――ッ!」



 姫様が絶叫する。俺の身体は止まらない。止まってなどくれないのだ。剣を振り上げ、姫様を殺そうと、殺意をむき出しにし、姫様に向ける。殺したくない……殺したく、ない……姫様だけは…………!


 ――…………でも、殺さないと、ゆり様が……。姫様……ゆり様……、私は、一体どうしたらいいのでしょうか……? ルアン・サナックは死んだ。もう、誰も止めてくれない。

 嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。




 俺は、剣を振り下ろした。

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