九章
父さんと合流してから、救出作業は驚くほど早くなった。二人で一人を1、2分で助けだし、高台にいる兵士に預ける。その繰り返しだ。しかし、それでも国民は山のようにいる。俺らだけでは手が足りない。他の騎士や戦士が総出で作業にあたっているが、それでも間に合わない。その時は刻々と迫り、そしてついに、頬に冷たい滴が落ちた。
「……まずいな」
ポツリと呟く父さんは、上を見上げていた。真っ黒い雲に覆われた空は、溜め込んでいた滴を、一気に落とし始めたのだ。水流も量も増し、瓦礫が勢いよく流されていく。踏ん張っていないと足を取られてしまいそうだ。
「……ルアン」
ふと、父さんが俺の肩に手をおいた。
「もしも、俺がこの中に巻き込まれたとしても、助けようと思うな。俺のスキルは、こういうときに役立つ。必ず帰ってこれるから。だから、お前は姫様の元に帰るんだ。姫様を一人にしてはならない。分かったか?」
「…………でも」
「分かったか?」
「……はい」
「よし。……行くぞっ!」
そして、再び濁流の中へ飛び込む。体が持っていかれそうになり、そこをなんとか踏ん張る。と、崩れた屋根の下にうずくまっている女の子を見つけた。すでに腰まで水に浸かっていて、不安から泣き声をあげていた。俺はそのそばに泳いでいき、そっとその子の手をとる。
「っ……? おにぃちゃん、だれ……?」
「大丈夫。今からお城に連れていってあげるから。もう大丈夫だよ」
「……ぅん」
「お兄ちゃんに掴まってくれるかな?」
俺の服をぎゅっと握りしめたその子を大事に抱え、俺は濁流を泳ぐ。絶対に死なせてはいけない。絶対に……!
必死に泳ぎ続けて、なんとか岸にたどり着いた。
「ルアンッ!」
「とうさ――」
振り向いた先に、光はなかった。大きな瓦礫――どこかの家の屋根だったのだろうか――が、俺らに向かって流れてきた。濁流に呑まれながらでは、ここから逃げるどころか防ぐことも出来やしない。……せめて、この子だけでも、
「っ……おい、何している」
ふと見上げたとき、一体どうやっているのか、父さんはその瓦礫をたった一人で受け止めてみせた。ぐっと足を踏ん張り、流れに逆らうその姿は、誰よりも強く見えたのだ。
「早く行け。俺はすぐに追いかける。手遅れになる前に!」
「……はいっ!」
俺は父さんがつくってくれた隙間を抜け、なんとか高台にたどり着いた。そして、女の子を兵士に預けて、その場所に戻った。
「…………父さん?」
そこに、父さんはいなかった。辺りをいくら見てもいなかったので、きっと、次の人を助けに行ったのだと思った。大丈夫。あれだけ強い父さんだ。一人でもたくさんの人を助けられるだろう。そう思って、俺はまた飛び出した。
◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈
……現実は、そう甘いものではなかった。水の流れがおさまったのは次の日の昼だった。ようやく水深が足が浸かるかどうかというところまで下がってきて、流れはほとんどなくなった。しかし、国民約一億人のうち、被害に遭ったのは50万人。うち、助かったのは42万人。……8万人も、まだ見つかっていない。
「…………くそっ……」
思い切り壁を叩きつけ唇を噛む。唇の皮が剥けて血が出てきた。……こんな痛み、なんてことない。いなくなってしまった人に比べれば……。
「……大丈夫?」
「……姫様…………」
「ご飯、食べよ? ちゃんと栄養摂らないと、ルアンも倒れちゃうよ? ……ね?」
「……私は結構ですので、どうか他の方に」
「昨日から何にも食べてないんでしょう? ちゃんと食べて」
「私は! …………何も出来ませんでしたから。……何も」
「…………そんなこと、言わないで。お願いだから……」
あれから、父さんは戻ってきていない。大丈夫だという言葉を信じて、ギリギリまで、一人で出来るところまで頑張ったつもりだ。が、帰ってきたら父さんはいなかった。もしかしたら、もしかしたらと考える度に、期待と、激しい後悔に襲われる。
「姫様。姫様をだって何も食べていないでしょう? 知ってるんですから。ちゃんと食べないと。……あなたが倒れてしまったら私は、もう…………」
「…………うん、分かった」
それで、俺に背を向けた姫様だったが、今度は俺が呼び止めてしまった。
「あの」
「ん?」
「……父さんは、スキルを使えば必ず戻ってこれるから大丈夫だって、言ってました。父さんのスキルって」
「待って」
俺の言葉を、姫様がめずらしく遮った。その瞳には、何か、不安の色がありありと浮かんでいた。……こんな姫様を見るのは、初めてだった。
「……どうか、なさいましたか?」
「そんな……だって……」
「…………姫様?」
「…………ルアン、あのね……」
姫様の次の言葉を聞いたとたん、立っていられなくなって冷たい床に座り込んだ。そんな俺を気遣うでもなく、励ますでもなく、姫様は助けを求めるように俺に抱きついた。
「――レオは、スキルを持っていないんだよ」
◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈
レオ・サナックは、第一勇者という肩書きを持っていた。その肩書きを持っているものは『伝説』とよばれることが多々あった。彼も、その一人。
その伝説の一つが『スキルを持っていないこと』だった。第一勇者は、所謂エリートだ。そのエリートにたどり着くまでの切符のようなものが『スキル』であり、逆にスキルを持っていないことは社会的にかなり不利な立場に立たされる。父さんも、同じだった。……俺と、同じだった。
黒と白だけの空間。あの日から、一週間が経った。レオ・サナックは、幸いにも見つけ出された。……ずっと一人でいるよりは、良かったのではないかと、今では思う。
「……どうして、レオが死ななきゃいけないんだろう」
「姫様……」
「なんで……レオ…………!」
泣きじゃくる姫様に女王陛下が優しく寄り添い、背中を撫で、俺に向かって優しく微笑んだ。
「……レオは、私がここに連れてきたのよ。いつかの、あなたみたいに」
「じゃあ……サナックの名前って……」
「不思議よね……いつからか、第一勇者になる人物は、大体その条件が決まってきたわ。孤児であることや心が優しいこと。そして、スキルを持っていないこと」
「…………」
「レオも、私がかなり振り回していたわ。だから、あなたたち二人を見ていると、なんだか懐かしくて…………ごめんなさい」
俺はそっと首を振る。俺は……今、何が出来るんだろう。姫様も、陛下も精神的に参っている。そんなとき、俺が出来ること……。
……俺はふと、手の中の剣に目をやった。倒木を受け止めてもなお、傷一つつかなかった剣。とても……強い剣。俺を守ってくれた剣。……この剣が無くなったら、俺はどうする? どうしたらいい? 何をどうしたら救われる? どうしたら……。
「……そうだ」
そして俺は、泣きじゃくったままでいる姫様の前に、そっと膝をついた。
「…………ルアン?」
「姫様、お願いがございます。聞いていただけますか?」
一時間後、俺はマイクの前に立った。そして、大きく息を吸い込むと目を開いて静かに告げた。
「……レオ・サナックは……俺の唯一の家族は、いってしまいました。
あまりにも、あっさりといってしまいました。
あまりにも、……幸せそうに、いってしまいました。
誰が、あの人がいくことを止められたでしょうか?
とても強い人でした。とても優しい人でした。見ず知らずの私を、息子と呼んでくれました。
……父さんは、俺に、スキルがなくても関係ないと伝えたかったのかもしれません。だから、最期まで、自分がスキルを持っていないことを言わなかったのかもしれません。
…………今、この国は、第一勇者を失いました。俺は……父さんに助けられてばかりでした。今、俺を助けてくれる人はいません。だから……出来るのであれば、俺が父さんの代わりに誰かを守りたい。姫様をお護りしたい。
父さんと違って頼りなくて、まだ弱い俺だけど、スキルだって持たない俺だけど、護りたいという気持ちだけは本物です。どうか……認めてください」
頭を下げると、ゆっくりと拍手が響き始めた。
◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈
「ルーアン!」
「ゆり様……」
「そろそろ寝よ? あんまり夜更かししてると体に良くないよ?」
「そうですね」
「……あ、分かった。お父さんのこと考えてたんでしょ」
「な、なんで分かったんですか!?」
「えへへ。だってね? ルアンってお姫様のこと考えるときは、すっごく優しい顔をするの。でもね、お父さんのこと考えてるときは、ちょっとカッコいいんだぁ……」
「……この三頭身の顔で表情が分かるのですか?」
「分かるもん! ほーら、寝よ!」
「はい」
……顔を見れば分かる、か。そんなこと、姫様にも言われたかなぁ。
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