番外編 なにかひとつ青いもの

 柔らかな日差しの中、降るように舞う花びらを浴びながら、カズさんと二人で桜並木を歩く。

 桜の下より天を仰げば、そこには空色、桜色、萌黄色の見事なコントラスト。ワタシが好きな色彩調和の一つだ。三年前に作った試作リングにも、このコントラストを用いた。できるだけシンプルにまとめたかったから、桜色をメインに、空色をサイドに添えた。もう少し欲張って、萌黄色も取り入れれば良かっただろうか……マーキスのペリドットを使えば、葉のイメージも加える事ができて良かったかもしれない。次のシリーズで、もう一度挑戦してみるか……。

 仕事は順調。二十代の全てをジュエリークラフトに捧げてきたのだから、巧くいってもらわなくてはワタシが困る。でも、チーフデザイナーに起用だなんて、ちょっと身構えてしまう。ま、今まで通り、できることを精一杯やるしかないんだけどね。


 そしてここへきて、プライベートも充実。昨夜は初めて、カズさんがワタシの部屋に泊まった。チーフに起用されたお祝いをしたいとの申し出に、ワタシから部屋へ招待した。そして互いに同じ想いであることを知り、一夜を共に過ごした。

 カズさんの腕の中で目覚め、夢ではなかった事を確かめ、彼を起こさないようにそっとベッドを抜け出した。珈琲の香で部屋を満たし、恋人の目覚めを待つ……憧れていたシチュエーションも今朝、現実のものとなった。

 カズさんとは、三年前のジュエリーブランド立ち上げから一緒に仕事をしている。当初は制作会社に在籍してウエブでの広報をメインに担当していたけど、最近うちの会社に転職して、ブランドのプロデュース全般を任されるようになった。先日、オーダーメイドジュエリーの新ブランド立ち上げを企画し、そのチーフデザイナーとしてワタシが起用されたのだ。


 それにしても気まずい。

 二人きりで部屋に居るとお互いが変に意識してしまい、居た堪れなくなって散歩に誘い出したのだけれど、二人で桜並木を歩いていてもやはり気まずい。初めての朝ってヤツは、こういうものなのだろうか。恋愛経験が乏しいワタシには、判断のしようがない。

 共通の話題でもあれば良いのだけれど、気まずさに巧く探し当てることができずにいる。やっと思いついたのが仕事の話題なのだから、我ながら嘆かわしい。

「六月まで、また忙しくなりますね」

「あ、あぁ、ジューンブライド?」

「そうですよ。マリッジリングの納品。五月、六月がピークですから」

 六月に結婚すると幸せになれる――ヨーロッパの言い伝えだ。

 欧米の風習は、商魂たくましい企業のアナウンスで日本に広まる。クリスマス然り。バレンタイン然り。

 ジューンブライドに関して言えば、ジュエリー業界もその片棒を担いでいる。六月のヨーロッパは気候もよく結婚式にはもってこいなのだけれど、日本は梅雨の真っ最中。雨の中で式を挙げる羽目になる新郎新婦に対して、一抹の心苦しさを感じずにはいられない。

「六月にかけて、青い石を使ったオーダーも増えますしね」

「え? どうして?」

「サムシングブルーですよ」

「知らないなぁ」

「花嫁が身につけると幸せになると言われている、四つのものがありまして……。何か一つ古いもの。何か一つ新しいもの。何か一つ借りたもの。そして、何か一つ青いもの」

「青いもの?」

「そう。青は聖母マリアのシンボルカラーで、純潔を表すんですって。目立たないところに付けるのが良くって、ガーターに青いリボン付けたりするんですよ」

「縁起かつぐのも、大変だねぇ」

「他人事みたいに言ってますけど、カズさんも無関係じゃないんですよ?」

「え? 結婚するの……ボク!?」

「そうじゃなくて……。こういったジンクスの類は、貪欲に取り入れていくのが、我々ジュエリー業界じゃないですか」

「あー、そっちの話か」

「マリッジリングの内側に、小さな青い宝石を埋め込んだりね。ほら、これだけで、新しいものと青いものを、二つ同時に取り入れる事ができますよ」

「あー、それじゃ、そのリングを友達から借りてくりゃ、一気に三つ取り入れられるな」

「なんでマリッジリングを、借りてくるって発想になるんですか」

「で、そのリングが古ければ、一気に四つだね」

「もう……」

 今日はやけに、ふざける。こういうカズさんは、珍しいな。

「もしかして……遠まわしに結婚を迫っているように聞こえました?」

「え? はは。そ、そんな訳ないじゃん」

 図星だったか。

 三十路も目前にして、結婚を焦っているように思われただろうか。変に気を使わせてしまったかな。カズさん、優しいから……。

「カズさんとなら結婚しても良いですけど、今はまだ考えてませんよ」

「あれ? もしかして、プロポーズされてる?」

「違いますって。そういうの、ゆっくりで良いじゃないですか」

「でもボクも、結理恵となら結婚しても良いって思ってるよ」

「あれ? もしかしてワタシ、プロポーズされてます?」

「違うって」

 桜吹雪の中、カズさんが笑う。

 ワタシたちはまだ、付き合い始めたばかりだ。知り合って三年経つとは言うものの、仕事上の付き合いしか無かった訳だから、お互いの事だってよく知らないのだ。

 今はまだぎこちない二人だけれど、ゆっくりとお互いに理解し合って、ゆっくりと仲を深めていけば良い。そしてなお、人生を共に歩きたいと思えるのならば、その時は結婚でも何でもすれば良いじゃないか。焦る必要はない。


     ◇


 最寄りの駅でカズさんを見送った後、部屋に帰って作業台に向かう。スリ板に乗せた、ゴールドとプラチナの地金を見つめながら思案に暮れる。

 カズさんのために、リングを作りたいと思い、デザインを練っている。メンズだと印台リングが定番なのだろうけど、厳つくて彼には似合いそうにない。クロムハーツみたいなストリート系のデザインも、社会人である彼には似つかわしくないだろう。

 細身の三本のリングが一つに絡まった、トリニティーリング……これならメンズらしいボリュームも出るし、線が細いからカズさんにも似合いそうだ。


 思い返してみれば、幼い頃に絵本や物語に登場する宝石という存在に惹かれ、十代になってジュエリーの美しさに惹かれた。素敵なジュエリーを身に纏いたいという憧れは、いつの頃からか素敵なジュエリーを創りたいという目標に変わり、専門学校でデザインとクラフトを学んだ。今の会社に入って約十年、脇目もふらずにジュエリー製作の腕と、デザインのセンスを磨いてきた。

 ジュエリーの事しか考えられなかったワタシが、男性に気を惹かれるばかりか、結婚まで考えるようになるなんて、自分でも驚きだ。こうして彼の事を想うと、それだけで暖かな気持ちが湧いてくる。

 そんなカズさんに、ワタシが作ったジュエリーを身に着けてもらいたい……そう思うのは当然の事なのだろうけど、もしかすると単なる身勝手なのではないかとも考えてしまう。でもきっとそんな我儘も、彼ならすんなりと受け入れてくれるはずだ。今はその優しさに、甘えてみたいと思う。


 カズさんのためのトリニティーリング、ゴールド二本と、プラチナ一本で仕立てよう。

 ゴールドのリングには、内側に二人の名前を刻む。一本には、彼の愛称 "KAZU" の刻印を。もう一本には、ワタシの愛称 "YURI" の刻印を。

 そしてプラチナのリングには……どうしようか、何を刻もうか。散々考えたけど良い案が浮かばず、けっきょく刻印はしない事にした。代わりにリングの内側へ、小さなサファイアを埋め込むことにする。


 彼の指のサイズに合わせて地金を切り出し、形を整える。二人の愛称と材質を刻み輪を作り、端と端をロウ付けして三本の円環をつなぎ合わせていく。少しづつ番手を上げながら、一本づつ丁寧にヤスリを掛ける。リング表面に刻まれた無数のヤスリ傷は少しづつその深さを失い、ヘラをかける頃には照明を照り返すまでの滑らかな鏡面となる。

 プラチナリングの内側に開けた下穴へ、サファイアをセットする。タガネで穴の端を三箇所つぶして石を留める。

 こっそりと忍ばせたサムシングブルー、彼はどう思うだろうか。またもや「え? 結婚するの……ボク!?」なんて言い出すだろうか。想像したら、可笑しくなってきた。

 三十路を前にして巡ってきた春。少しくらい、浮かれたって良いよね。

 完成したリングを指先に持ち、日の傾き始めた窓の外へとかざす。茜が差し始めた空色を、黄金こがね白金はっきんが映す。うん、巧くできた。これならきっと、喜んでくれる。指先のリングをケースに収め、リボンを掛ける。

 リングを受け取るカズさんを想像すると、そしてリングを身に着けた彼の姿を想像すると、また少し暖かな気持ちが湧き上がってきた。


(了)

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モルガナイトの夜 からした火南 @karashitakanan

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