第六話 最終話 モルガナイトの夜
子供が欲しいと、結理恵が言った。
いつかは子を持つだろうと漠然と思っていたのだけれど、実際に請われると何だか他人事のように聞こえてしまい、現実感を持って受け入れる事が難しい。でもボクは、結理恵の願いを叶えたいと思う。それは同時に、ボクの願いでもあるはずなのだから。
病室前の廊下に立ち、看護師の退室を待つ。結理恵が体を拭きたいと言い出し、いつもの様にボクが拭くと申し出たけど、今日は嫌だと言って看護師を呼んで体を拭いてもらっている。その間ボクは病室の外に追い出され、廊下で暇を持て余す羽目になった。
日は既に西に傾き、視界の全てを赤く染め上げていく。夕日の眩しさが更に現実感を奪っていくように感じられ日陰を探してみたのだけれど、彷徨っている間に日は沈んでしまい、西の空が昼と夜とのグラデーションに染まった。
病室の扉が開き、看護師が「結理恵さん、今日はご機嫌ね」と微笑んで、ナースステーションへと帰る。病室に戻ると、結理恵が満ち足りた表情で窓の外を眺めていた。窓の外、ソメイヨシノの大木が春風にあおられ、黄昏の空に見事な桜吹雪を披露している。遠方には山々の峰が連なり、丸く大きな月が昇り始めていた。
唐突に「今すぐここで、結婚式を挙げたい」なんて言い出すものだから、ドレスも指輪もないしどうしようかと困っていると、誓いの言葉だけで充分だよと結理恵が笑う。結理恵はベッドに横たわったまま、ボクはベッドサイドに
結理恵の表情は終始穏やかで、死にたいと言ってた結理恵とはまるで別人のようだ。「旦那さん、ちょっと肩を抱いてくれませんかね」とか、「旦那さん、ちょっと頭をなででくれませんかね」などと、冗談めかした小さな
結理恵から抱き上げてほしいとせがまれたのだけれど、白蝋に変わってしまった手脚が崩れるといけないから断った。それでも強く抱き合いたいのだと
ベッドに腰を下ろし、結理恵を膝の上へ座らせる。左脚のことを詫びると、本当に気にしないでと囁いた。そして目をつぶり
結理恵の小さな躰を抱きしめて、ボクは泣いた。カズくんが泣いてどうするのよと笑われたけど、それでも涙が止まらなかった。在って当然と思っていたものが、呆気なく崩れ去ってしまう理不尽に泣いた。そして自ら手足を砕くに至った結理恵の心情を思って泣いた。ボクのせいで……ボクのために……ごめん、本当にごめん。泣きながら、何度も何度も詫びた。結理恵はその間、大丈夫だよと囁きながら、背中に回した二の腕で、優しく背中をさすってくれた。
月光が落とす影が幾分か短くなり、ボク達は再び穏やかな時を過ごした。周囲が寝静まり、不意に会話が途切れた静寂の中、結理恵がボクを見つめる。
「どうしたの?」
何事かを言い淀み、不安を宿した瞳が潤む。
「こんな躰にね……なっちゃった訳だけど……その……」
すがるような目でボクを見つめ、やがて瞳を伏せ
「だ……抱いて……いただけるんでしょうか……ね」
すっかり短くなってしまった結理恵の手脚。手術で切除した左手、ボクが壊してしまった左脚、自らが打ち砕いた右脚と右腕……。痛々しいと感じるべきなのだろうか。ボクはむしろ、美しいと思う。同情でも、哀れみでもなく、純粋に美しいと。
「結理恵は、今でも綺麗だよ……」
開け放った窓から春風が、一魁の花弁を運び込む。風が巡るたびに渦を作り、部屋中に桜吹雪が舞う。
結理恵をベッドに寝かせ、一枚、また一枚と着衣を脱がせていく。月光に照らし出された躰は、まるで自らが発光しているかのように白く
月明かりに照らされ、桜舞い散る幻想の中で、結理恵を抱いた。
舐め合い、
躰を撫で、手脚がまた少し崩れている事に気付いた。このまま白蝋化は止まることなく、結理恵を
「どうか……した?」
結理恵が見つめていた。
「何でもないよ」
腕が崩れてしまったのなら、ボクが結理恵の腕になればいい。脚が崩れてしまったのなら、ボクが結理恵の足になればいい。この先どうなってしまうのかなんて解らないけど、今は二人の時間を大切に過ごそう。
外を見たいとせがまれ、結理恵をかかえて窓際に立つ。
しばし二人して、煌めきの乱舞に見惚れていた。
(了)
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