第226話 投擲

 100メートル走と走り高跳びに続いて、三種目目はトラック競技の1000メートル走だった。

 トラックのスタート地点に参加選手二十人が並ぶ。


 並び順で、香はしーちゃんの隣だった。

 二人は走る前に握手をする。

 ちまちゃんも、相変わらずふるふる震えながらスタート地点に立っていた。

 太陽が容赦なく照りつけていて、走るアンドロイドには過酷かこくな環境になりそうだ。


「香ちゃーん!」

「がんばれー!」

 僕達がコーチエリアから声を掛けるけど、それはスタンドからの大歓声にかき消されて聞こえない。



 まもなく、号砲に合わせて全員が走り出した。


 だけどそれは、僕達が知っている1000メートル走とは明らかに違った。


 みんな、100メートル走と勘違いしてるんじゃないかっていうスピードで走る。

 100メートル走の距離が伸びて、それが延々と続いてる感じ。

 最初から、全力のラストスパートだ。


 スタートして半周はひとかたまりだった集団から、予想通りしーちゃんとちまちゃんが抜け出した。

 二人が第一グループになって併走へいそうする。

 しーちゃんが大きなストライドで跳ぶように走るのに対して、ちまちゃんはちょこちょことピッチ走法で走った。

 速いんだけど、どこか微笑ましい。


 コーナーに差し掛かると、二人は体を思いっきりフィールド側に倒した。

 左腕が地面に着いちゃうんじゃないかってくらいまで倒す。

 なんか、バイクレースのライダーみたいだ。

 それでも倒れずに姿勢制御できてるんだから、やっぱり二人は特別だ。


 香は、第二グループの三番手あたりにつけていた。

 前だけを見て、しーちゃんに負けない大きなストライドで走る。


 振り上げた香の太股に、アクチュエーターの筋肉がくっきりと浮かび上がった。

 腕の筋肉とか、首の筋も浮いている。

 それなのに香は見苦しくなかった。

 力強さが美しさに昇華しょうかされている。


 第一グループに離されないよう、香達は必死で食らいついた。

 だけど、二人との距離はジリジリと開く。

 前の二人は、抜いたり抜き返したりを繰り返して、更に加速していった。


 二週目に入ったところで、香が一人抜いて四位に上がる。

 僕達は声を枯らして応援した。


 ラスト半周になったところで、しーちゃんがラストスパートをする。

 あれほどの速さで走っておきながら、まだ、スパート出来る余力があったのだ。

 それを見て歓声はどよめきに変わった。

 そのスパートについていけずに、しーちゃんとちまちゃんとの距離が開いていく。

 僕達がいるコーチエリアの前を堂々と駆け抜けて、結局、しーちゃんが一位でゴールした。

 少し遅れてちまちゃんがゴールする。


 その頃、ようやく最終コーナーに差し掛かった第二集団の中で、香は三位争いをしていた。

 しーちゃんやちまちゃんほどではなかったけど、体を思いっきり内側に倒して、全力疾走している。

 内側の左足が、不自然な角度で曲がっていた。


「あんな走り方、教えてないのに」

 柏原さんがこぼすように言う。


 確かに、香の走りはしーちゃんにそっくりだった。

 香は、前を走るしーちゃんを見ながら、それが速く走る方法だって一瞬のうちに学んだのかもしれない。


 すると香は、コーナーでも加速をして、コーナーの出口で三位の選手を抜き去った。

 そのままスピードを維持して三位でゴールする。


 喜びのあまり、思わず千木良にほっぺたすりすりしてたら、朝比奈さんと綾駒さんもすりすりしてくる。

「ずるい」

 って言いながら、うらら子先生も加わった。


 1000メートルの記録は、しーちゃんが54秒29で、ちまちゃんが56秒75。

 三位の香は、1分02秒31だった。




 1000メートル走が終わると、すぐに砲丸投げの競技が始まる。


 係員さんが、フォークリフトで砲丸が入ったキャニスターを運んできた。

 キャニスターには、ハンドボールくらいの大きさがある二十個の砲丸が、二列になって入っている。

 なんか、凶悪な兵器みたいだ。

 黒鉄色に鈍く光る砲丸は、僕には持ち上げることはおろか、転がすこともできないと思う。


 選手達はそれを軽々と持ち上げて、準備運動みたいに投げるフォームをしてみせた。

 ちまちゃんは、自分の顔より大きい砲丸を持って涼しい顔をしている。

 香も、片手でもてあそぶようにした。


 競技が始まって一人目の選手が砲丸を投げる。

 空に上がった砲丸は、地面に落ちて三分の一くらいめり込んだ。

 落ちた時の振動が離れたこっちまで伝わってきて、内蔵をなでられるような感触で体内に響く。

 それがくすぐったいのか、千木良が僕の腕の中でもぞもぞした。


 数人が投げた後で、香の順番が回ってくる。


 香は、砲丸を右手でぽっぺたにくっつけて持って、サークルに入った。

 一度前を見据えてうなづいてから、投擲とうてき動作に入る香。

 すると香は、サークルの中でくるくる回った。

 四周、五周回ったところで、砲丸を持った手を空高く突き上げる。


「はい!」

 って、香がんだ声で叫んだ。


 放たれた砲丸は、ゆっくりと回転しながらフィールドにアーチを描く。

 やがて砲丸はドスンと地面に落ちて、視界が揺れた。


 審判員が落下地点に棒を立てる。

 一投目の香の記録は23メートル48。

 観客の歓声に、香は表情をくずして答えた。


 全員終わって、香は二十人中、四位だった。

 しーちゃんが28メートルで一位で、25メートルを投げたちまちゃんが二位。


 香は三位の選手とほぼ互角だから、二本目を頑張れば、この種目でも三位に食い込めそうな予感がした(この砲丸投げは二回の試技を行う)。



 一本目を終えた香が、僕達のところへ走ってくる。


「どう? すごいでしょ」

 香が自信に満ちた顔で言った。

「うん、すごいすごい」

 僕が言って、朝比奈さんが香の頭をなでなでする。


「一本目は、記録を残さないといけないからセーブしたんだよ。二本目は思いっきりいくね」

 香が言った。


 僕達は思わずきょとんとする。


 そのときは僕達も、香が冗談を言ってるんだと思った。

 香も冗談が言えるようになったかと、感心してたんだけど…………



 二本目は、一本目の記録の昇順に投げた。


 香の前までの選手は、一本目の香を越える記録が出せない。

 そこで香の四位以上が確定する。


 いよいよ香が砲丸を右手に持った。

 軽く手を振って歓声に応えたあとで、肩に砲丸を固定して、表情を厳しくする香。

 香がサークルに入ると、競技場が静かになった。

 スタンドの全員の視線が香に集まる。


 香は、一本目のように回転を始めた。

 砲丸を肩に固定したまま、くるくる回る。

 だけど、今度の香の回転は、四周や五周ではすまなかった。

 さらに回転を続けて、残像で香が見えなくなるほど。

 やがて竜巻みたいになった香の影から腕が生えて、砲丸が打ち出された。


 打ち出された砲丸の軌道が今までと違うのは、僕にも分かる。


 砲丸がゆったりと空を泳いで地面に突き刺さった。

 審判員が棒を立てて、僕達は電光掲示板に注目する。


 26メートル35。


「嘘!」

 烏丸さんと滝頭さんが、思わず抱き合って声を上げた。

 僕は、両脇にいた朝比奈さんと綾駒さんのほっぺにキスしちゃったけど、放心状態だった二人は文句を言わなかった。


 香の記録が、一本目のちまちゃんを越えているのだ。


 ちまちゃん陣営のスタッフが、えっ? って感じで動きを止めた。

 いや、ちまちゃん陣営だけじゃなくて、ほかのチームのスタッフとか、近くにいた全員が目をぱちくりさせている。

 僕達だって信じられないんだから、他のチームが驚くのも無理はなかった。


 香の後に投げたちまちゃんの二本目は、一本目とほぼ同じ位置に落ちて、香の記録は越えられなかった。


 結局、この種目で香は二位になる。



「香ちゃん! すごいよ!」

「よくやった!」

「有言実行だね!」

 僕達は口々に言って香を迎えた。

 香は部員のみんなやうらら子先生にもみくちゃにされる。


 少し離れたところから、しーちゃんも拍手を送っていた。

 スタンドを埋めた観客もざわざわしている。

 周囲のアンドロイドやそのスタッフが僕達を見る目が変わった。



 だけど、そんな中で僕は気付いた。


 香の顔がどこかぎこちない。

 笑顔がひきつっていた。

 それに、普段なら僕達とハイタッチしたり手を取り合って喜ぶ香が、手を上げようとしないのだ。

 香の右手が、だらんと下に垂れていた。


「香ちゃん、どうしたの?」

 僕は香の手を取って訊く。

 そこでみんなも異変に気付いた。



「ごめんね。香、無理したから壊れちゃったみたい」

 香がそういって舌を出す。

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