第166話 桜の木の下で

「来ないわね」

「来ないね」


「来ないわね」

「来ないね」


「来ないわねぇ」

「来ないねぇ」


 千木良と僕は、部室の中庭に生えた桜の下で、ぼーっと待ちぼうけを食らっていた。

 女の子座りする千木良の髪や制服に、桜の花びらが舞い落ちる。

 桜の花びらをまぶした千木良のツインテールが、風流に見えた。


 僕達は、立派に枝を伸ばした桜の木の下にレジャーシートを敷いて、飲み物と朝比奈さんのスイーツ、お菓子類(千木良提供のキャベツ太郎も)をそろえている。

 おもてなしの準備は整っていた。


 けれども、肝心の来客は一向に現れない。



「僕も、呼び込みに行ったほうがいいんじゃないかな?」

 あまりにも暇だったから僕は言った。


「部長のあんたがいなくなったら、ここに来た新入生に誰が説明するのよ」

 千木良が言う。


「それもそうだけど……」


 春のぽかぽか陽気で、ここにはいつも以上にゆったりとした時間が流れていた。


「来ないね」

「来ないわね」


 新入生を迎えた今の時期、各部活がその部員の勧誘に一生懸命になっている。

 僕達「卒業までに彼女作る部」もその例に漏れず、入学式翌日から勧誘活動をしていた。


 朝比奈さんと柏原さん、綾駒さんの三人が、新入生に声をかけたり、ビラを配ったり、ポスターを貼ったり、校内で新入生勧誘のために頑張っている。


 僕と千木良は、入部希望者が来たらすぐに話が出来るよう、部室で待機していた。


 入部届は、一応、50部ほどコピーしてある。

 ちょうど桜が満開だし、桜の木の下でお茶をしながら話せたらと思って、こんな席を用意した。


 香は電源を切って、布をかけて八畳間に隠してある。

 朝比奈さんと瓜二つの香のことはまだ内緒だし、正式に部員になってくれた時点で初めて披露するつもりだ。

 香の出来栄えを見たら、新入生もきっと驚くだろう。


 だけど、肝心の入部希望者はまだ一人も現れていなかった。


 僕は千木良と桜の下でぼーっとしている。


 いつもみたいに千木良を抱っこするのは、初見の人に誤解を与えそうだから、今日の千木良はちゃんと一人で座っていた。


 女の子座りして、ちょこんとレジャーシートの上に座っている千木良は、美少女と言えないこともない。

 いや、口が悪くなかったら、完全に美少女なのだ。



「やっぱり、僕も行ったほうがいいんじゃないかな」

 僕はもう一度言った。


「だから、ここにいなさいって。あんた部長なんだから、どっしりと構えてなさいよ。あの三人も、私には及ばないけど、ちょっとは可愛いんだから、釣られて来る奴がいるかもしれないでしょ」

 千木良がそんなふうに言う。


 千木良が生意気を言ったから、脇腹をくすぐっておいた。

 レジャーシートの上を転がり回って「ごめんなさい」という千木良。

 

 千木良は、体中、薄ピンクの花びらまみれになる。



「そういえば、あんたの妹はどうなのよ」

 くすぐられて髪の毛がぼさぼさになった千木良が言った。


「野々は他の部活に入るみたいなこと言ってたから」

 これも、大人になってお兄ちゃん離れするキャンペーンの一環らしい。

 野々はスポーツも得意だし、どこの部活でも活躍出来るだろう。

 他の部活に入るのは、ちょっと寂しくもあるけれど、野々の成長のためなら仕方がない。


「へえ」

 それを聞いた千木良が、口元を緩めて、なんだか嬉しそうな顔をした。


「なんだよ」


「いえ、だって、ここに来て兄妹でいちゃいちゃされたら迷惑だったから、良かったと思って。妹の前で、あんたが私を抱っこするの止めるんじゃないかとか、思ってたし」

 千木良が僕から目をそらして言う。


 なんだ、千木良、そんなことを心配してたのか。


「大丈夫、安心して。僕は千木良を抱っこするの嫌いじゃないし」

 千木良はぷにぷにで、手持ち無沙汰ぶさたのとき抱っこするのに丁度良いし、良い匂いがするし。


「これからも千木良を抱っこし続けるから」

 僕が言うと、千木良が「バカ!」って小声で言った。


 顔を真っ赤にして、おもてなし用のキャベツ太郎をほおばってボリボリかみ砕く千木良。


 なにを照れてるんだろう?

 変な千木良だ。



 僕達が、そんなふうにレジャーマットの上でぼーっとしてると、林の獣道を抜けて、うらら子先生が姿を見せた。



「あらあら、まだ一人もこないのね」

 先生が言って、僕の隣に座った。

 いつも通り、パリッとした紺のスーツ姿のうらら子先生は、パンプスを脱いで、シートの上に足を投げ出して思いっきり伸びをする。

 きっと、今まで退屈な職員会議で閉口してたんだろう。


 くつろいで優しい表情に戻る先生のことが、可愛いとか思ってしまった。

 本人に向けて言ったら調子に乗りそうだから言わないけど。


 でも、考えてみれば、一年前は先生に勧誘のポスターをゴミって言われたり、散々だった。

 その先生が、今や僕達の一番の理解者で、こうして、僕達のことをいつも気にかけてくれてるんだから分からない。



 僕は先生にお茶をいれた。

 先生は、「ありがとう」と言ってお茶を受け取る。


 林の中にウグイスがいるみたいで、その特徴的な声が間欠的に聞こえた。

 僕達はしばらく三人でぼーっとする。



「でもまあ、誰もこなくてもいいじゃない。今まで五人でやってきたんだし、これからも、部員五人と顧問の私で、香ちゃんを完成させましょうよ」

 先生が言った。


 千木良がうんうん頷いている。


「それは、そうですけど……」


「なに? 西脇君、この私を代表とする美女達だけじゃ、不満なの?」

 先生が意地悪く訊いた。


「いえ、そんなことないです!」


 ここに集まってくれてる女子達は、僕にとって最高のメンバーだ。

 もし、こうして部活を作ってなかったら、多分、在学中に会話をすることさえなかったメンバーばかりだし。


 僕にとって、出来すぎくらいの女子達だ。



「よし! このままお花見といこうよ。こうやってシートも敷いたんだし、みんなが帰ってきたら、さっそく宴会に移りましょう」

 先生が言った。


 僕にも千木良にも異存いぞんはなかった。


 結局、いつも宴会してる気がするけど、それが我が部だ。

 この満開の桜の下で宴会をしない手はなかった。



 やがて林の獣道の入り口が騒がしくなって、勧誘に出ていた三人が帰って来る。


 ところが、帰って来たのは三人だけじゃなかった。


「部長、入部してもいいっていう新入生を連れてきたぞ!」

 柏原さんが言う。



 三人の後ろに、真新しい制服を着た新入生がいた。

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