第152話 金木犀
「ほら、ネクタイ曲がってるよ」
うらら子先生が言って、僕の制服のネクタイを直してくれた。
「もう、髪ももうちょっと整えないと」
綾駒さんがそう言いながら、
「これ、ユニセックスな香りだから、つけていこうね」
朝比奈さんは僕のうなじの辺りに香水を一吹きした。
「力が入ってるぞ、肩の力抜いていけ」
柏原さんが後ろから僕の両肩を揉んでくれる。
「緊張したって、あんたはあんたでカッコよくなるわけじゃないんだから、そのままで行きなさい」
千木良が生意気を言った。
3月14日。
放課後、棘学院女子新体操部のみんなにホワイトデーのプレゼントを渡しに行く僕を、我が「卒業までに彼女作る部」部員のみんなと、うらら子先生が送り出してくれる。
みんな、僕が棘学院女子で恥をかかないように、気遣ってくれた。
「ねえ、みんなは平気なの? 馨君が棘学院女子の女の子にプレゼント渡しに行くんだよ。止めなくていいの?」
香がそんなことを言う。
僕や僕の世話をする女子達を見て、口を曲げて不満そうな顔をしている香。
そんな香の肩を、うらら子先生がぽんぽんと優しく叩いた。
「香ちゃん、これも、本妻の余裕ってやつだよ。彼女達の所に行くのを止めたり、変に反対したりすると逆効果なの。ここは正妻らしくドンと構えて、堂々と行かせてやるくらいじゃないとね。どうせ、西脇君は向こうで新体操部のみんなに囲まれたら、なにも話せないで縮こまってるだけなんだから、心配しなくていいよ。手を出す勇気なんてないんだから」
うらら子先生が香の耳元で言って、部員のみんながうんうんと頷く。
先生、話が丸聞こえなんですけど……
「だけど……」
香りは納得してないみたいで、不満げだった。
「それじゃあ、西脇君行っておいで。忘れ物ないね?」
先生が僕に訊く。
「はい、行ってきます」
僕は、新体操部のみんなに渡す柔軟剤の小瓶を持って、棘学院女子に向かった。
当たり前のことだけど、棘学院女子の通学路には、グレーの古風なセーラー服の女子達がたくさんいる。
二、三人ずつ、楽しそうにおしゃべりしながら下校していた。
みんな、キラキラ輝いて見える。
そんな中を、僕が一人、学校に向かって歩いているのが恥ずかしかった。
ここは、僕なんかがいたらいけない場所な気がした。
それだから僕は、伏し目がちに歩く。
校門に着いたところで、
新体操部のみんなにホワイトデーのプレゼントを渡したいから、校門の所まで来てもらえたらって頼んだ。
「もちろん! 今から行くね。西脇君が遅いから、もう、バレンタインのお返しはもらえないのかと思って、みんなしょんぼりしてたんだよ」
烏丸さんが言う。
もちろんそれは、僕を持ち上げるために言ってくれてるってことは分かってるけど、分かっていても嬉しかった。
しばらくして、烏丸さん達が校門に来てくれる。
ジャージ姿の新体操部の十数人に囲まれた。
練習の最中だったからか、みんな汗を浮かべて上気している。
運動部っぽい汗の匂いがした。
「あの、これ、みんなに、バレンタインデーのお返し」
僕は、烏丸さんから一人ずつ、確認しながら小瓶が入った包みを渡した。
「なになに?」
って、包みを見ながらみんなが口々に言う。
「開けてもいい?」
烏丸さんが訊いた。
烏丸さんは今日も髪をお団子にしてぴっちりとつめている。
そして、相変わらず立ち姿が綺麗だ。
「うん、開けて」
僕が頷くと、烏丸さん達はリボンを解いて包みを開ける。
「わあ、カワイイ小瓶。なにが入ってるの?」
「それは、柔軟剤」
「柔軟剤?」
みんなが口を揃えて言った。
「みんなのこと、一人一人をイメージして、それぞれに合った香りの柔軟剤を手作りしたから」
僕は説明する。
「柔軟剤って、作れるの?」
烏丸さんがびっくりした顔をした。
「うん、精油とグリセリンとクエン酸で、比較的簡単に作れるんだよ」
霧島さんに説明してもらったことを、僕はそのまま、さも僕の言葉のみたいに言う。
「ふうん」
烏丸さんはあんまり納得してない感じで、小瓶の
「わぁ、良い匂い!」
途端に烏丸さんの表情が弾ける。
ちなみに、烏丸さんの柔軟剤は、彼女をイメージして
烏丸さん以外のみんなも、それぞれ小瓶の蓋を開けた。
「良い香り!」
「香水みたい!」
「スッとする!」
「はぁあ!」
みんながうっとりするのが分かって安心する。
「一人一人に合わせてくれたって、凄いね」
「うん、嬉しい」
「さっそくこれで洗濯しよう」
「タオル洗おう」
「私はレオタード洗う!」
みんなが口々に言うのを聞いて、柔軟剤のプレゼントが成功したのが分かった。
やっぱり、僕の思いつきは正しかった。
「ねえ西脇君、せっかくだから、私達の練習見ていかない?」
烏丸さんが言う。
「そうだよ、見ていって。部活が終わったら、みんなで何か食べて帰ろうよ」
他の一人が言ってくれる。
「そうだよ」
「そうしよう」
僕を囲んだみんなが、その輪を
「うん、でも……」
僕はこれから、部室に帰って我が部の女子達やうらら子先生、そして香にもプレゼントを渡さないといけない。
っていうか、そっちがメインのはずだった。
「いいでしょ?」
烏丸さんがそう言って僕の手を取る。
それだけで、心臓が飛び出しそうになった。
「うーん、だけど……」
断らなくちゃいけないのに、断れる気がしない。
みんなが開けた小瓶からの香りが漂っていて、甘い匂いにクラクラした。
僕に正常な判断力なんて残っていない。
僕はそのまま、棘学院女子の校内に連れ込まれそうになる。
「あっ、でも、やっぱり、やめとこうかな」
ところが、校門を抜ける直前で烏丸さんがそう言って、突然僕の手を放した。
「それじゃあ、私達は部活に戻るね」
「西脇君、じゃあね」
「ば、ばいばい」
「ありがとうね」
「またね」
烏丸さん達、突然、いそいそと帰ってしまう。
あれ? 一体どうしたんだろう?
その時、刺すような視線を背中に感じで後ろを振り向くと、我が部の女子とうらら子先生が、僕のすぐ後ろに立っていた。
全員が仏様のような笑顔なのが、余計に恐ろしい。
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