第147話 十二単衣

「西脇君、おかわり!」

 うらら子先生が、皿を差し出した。


「はいはい」

 僕は寿司桶すしおけから先生のお皿にちらし寿司を盛る。


 もう、これで三皿目だ。


「西脇、僕もおかわり頼む!」

 柏原さんもそう言ってお皿を僕に差し出した(柏原さんは六皿目)。

 大きな寿司桶が、食欲旺盛おうせいな女子達のおかげで、ほとんど空になっている。

 料理を作った僕としては、嬉しいんだけど。


「教え子の男の子に料理作ってもらうなんて、教師になって良かったぁ」

 うらら子先生が言った。


 先生、変なところで感激しないでください……


「エプロン着けた西脇君が可愛いし、もう、先生、昼間っからお酒のんじゃおー」

 うらら子先生はそう言って、台所から焼酎を持ってくる(なぜ、部室にお酒が常備されているのか疑問だし、ひな祭りは焼酎じゃなくて白酒じゃないのか)。


「ダメですよ先生、車でしょ?」

 僕がそれを取り上げようとすると、

「いいのいいの、今日、これを見越して電車で来たから」

 先生が口を大きく開けて豪快に笑った。


 電車で来たって、先生、気合いが入りすぎだ。


「最悪、泊まって明日ここから学校に行けるように、お泊まりセットも持ってきたから」


 先生、気合いが入りすぎだ。




 こうして結局、お昼前にはみんな部室に来て、メンバーが揃っていた。

 さっそく、ひな祭りパーティーを始めている。

 手ぶらでいいって言ったのに、みんなお土産を持ってきてくれて、居間の座卓の上は、僕が作ったちらし寿司の他に、フライドチキンとか、いなり寿司とか、パスタとか、餃子とかサラダとかで一杯になっていた(千木良が提供した段ボール箱一杯のキャベツ太郎もある)。


 日が出て暖かくなってきたから窓を開けたら、庭先で咲いていた梅の花の香りが、ふわっと鼻に運ばれてくる。

 ひな祭りパーティーにはぴったりの日和ひよりになった。



 みんなが来たところで、さっそく香の電源も入れて目覚めさせてある。

 料理を食べられない香は、団子より花って感じで、雛人形の前に座ってそれをずっと眺めていた。

 雛人形が余程気に入ったのか、飽きもせずに熱心に眺めている。

 時々、七段飾りに付いていた「うれしいひなまつり」の曲が流れるオルゴールを流したりして、その前から離れなかった。



「もう、あんたが動くから、ゆっくり座っていられないじゃない」

 千木良が言う。


 いつもは、こういうとき、朝比奈さんが色々と世話を焼いてくれるから、僕は千木良を抱っこしたまま座っていられるけど、今日は僕がホストだから、みんなのお世話をしないといけない。

 それでみんなの間を行ったり来たりしていた。

 だから、千木良を抱っこしたり下ろしたり、忙しい。


「もういいわ、仕方ないから今日は私が自分で座るから、その代わり、あーんして私に食べさせなさい」

 千木良が言った。

 っていうか、自分で座るのは当たり前のことじゃないのか。

 それに、あーんして食べさせなさいって、なんなんだ。


「ほら、あーんをしなさい」

 千木良が言って口を開けた。


「あーん」

 仕方なく僕は、お皿から箸でちらし寿司をつまんで、千木良の口の中に入れる。

 美味しそうなエビのところを選んで入れた。


 なぜか、目をつぶる千木良。


 幼女の口の中に食べ物を入れるという行為だけなのに、なぜか、ドキドキした。

 目を瞑って口を開けている千木良からは、犯罪の臭いしかしない(まあ、僕は常識人だから、なにもしないけど)。


 僕が口に寿司を入れると、千木良は口を閉じてそれを咀嚼そしゃくする。


 控えめに言って、この音を良いヘッドフォンで、ASMRとして聞きたい。



「あー、千木良ちゃんだけズルい! 私もあーんして!」

 綾駒さんが言った。

「わ、私も!」

「僕も!」

 朝比奈さんと柏原さんも続く。


「先生も!」

 うらら子先生が、艶っぽい声で言って口を開けた(先生、前歯に海苔のりついてます)。


 僕は、みんなにあーんして食べさせる。


 くすぐったいとか言って先生が暴れるから、僕は先生のあごを左手で持って、それで食べさせてあげた。


「あん」

 先生があえぐ。


「先生、喘がないでください!」

 僕は注意した。


 あれ? ひな祭りって、こんなお祭りだったっけ?




「ねえ、香も、おひな様になりたい!」

 ずっと雛人形を見ていた香が、こっちを振り返って唐突とうとつに言った。

「おひな様みたいな服着たい!」

 今度は香が駄々っ子になる。


「いや、香ちゃん、さすがに十二単衣じゅうにひとえとか、ないから……」

 僕がなだめるように言うのに、


「いえ、あるわよ」

 ほろ酔いのうらら子先生が事も無げに言った。


 あ、あるのか。


 さすがはベテランコスプレーヤー……



「それじゃあ、香ちゃん、着替えよう」

 女子達が隣の八畳間に集まって、あれこれ言いながら、香を着替えさせた。

 三十分くらいして、十二単衣に身を包んだ香が、襖の後ろから姿を現す。


「馨君、どう?」

 香が恥ずかしそうにうつむき加減で訊いた。


「うん、綺麗だ」

 僕は、馬鹿みたいに当たり前のことしか言えない。


 赤、緑、黄色に、上品な紫。

 色鮮やかな着物の上には、金や銀の文様が浮かんでいて、きらびやかだ。

 檜扇ひおうぎをそっと持った香。

 長い髪は赤や白の元結で結んでいて、いつもより清楚に見える。

 いや、香は朝比奈さんがモデルなんだから、元々清楚なんだけど。


「十二単衣もいいなぁ。私、結婚式でこれ着たいなぁ」

 朝比奈さんが言った。


 朝比奈さんが僕のお嫁さんだったらって、あり得ないことを妄想もうそうして小一時間。



「ねえ、せっかく十二単衣を着たんだから、これで動画一本撮っちゃおうよ」

 綾駒さんが言った。


「うん、そうだね!」

 香はそう言うと、スキップするように歩いて庭の梅の木の脇に立つ。


「さすがは香ちゃん。この衣装、全部合わせて20㎏以上あるのに、全然重そうじゃないし」

 先生が言う。


 庭にカメラを出して、「ミナモトアイ」の動画を撮った。

 本物の十二単衣を着てるんだから、これもきっと人気の動画になると思う。



「へえ、もうすぐオリンピックがあるっていうのに、のんきにひな祭りなんかしてるんだ」

 僕達の後ろから、そんな声が聞こえた。

 どこかで聞いたことがある、女子の声だ。


「あっ、あんたは!」

 振り向いた千木良が、その視線の先をにらんだ。

 千木良にしてみれば、自分が敷いた厳重なセキュリティーをかいくぐって僕達以外の誰かがここに入って来るのは、信じられなかったんだろう。


 そこには、一人の女子が腕組みして立っていた。


 茶髪の長い髪に、大きなウエーブを描くパーマをかけている彼女。

 クリクリッとした目に、ぽてっとした唇。

 透き通った白い肌に、今日も派手なチークを入れている。

 彼女は、自転車競技のジャージみたいな体にぴったりとした服を着ていた(胸は千木良よりも少し大きいくらい)。


「確か、シホとかいう……」

 以前、まだ香に香っていう名前がついてないときに、突然この庭に入ってきた女子だ。

 突然の闖入者ちんにゅうしゃに、僕達は身構えた。


「オリンピックに向けて、訓練でもしてるのかって思って来たんだけど、あなた達、もう、諦めたのね」

 彼女は、半笑いでそんな憎まれ口を言う。


「ふざけないで!」

 千木良がそのまま彼女に噛みついて行きそうだったから、僕が抱っこして押さえた。


「でもまあ、その子、前よりはましになったじゃない」

 前に「シホ」と名乗った彼女は、香を見てそんなふうに言う。



「あんた誰よ! どうやってここに入ってきたの?」

 千木良が声を荒げた。


「こんなざる警備、簡単に抜けられたし。私は、そこの香ちゃんと同じって言えば、分かるでしょ?」

 彼女はそう言うと、次の瞬間、その場から15メートルくらいジャンプして、木の枝を蹴りながら木立の中を飛んで消える。


 その頃になって、ようやく警報音が鳴って、警備のドローンが飛び立った。

 庭のゴミ箱に擬態ぎたいしている垂直発射のミサイルのキャニスターが開いて、ミサイルが彼女を追いかける(っていうか千木良、ホントにミサイル仕掛けてたのか……)。



 しばらくして、遠くで何かが弾けた音がした。



 あの跳躍力。

 香と同じってことは、彼女もやっぱり……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る