第143話 正妻

 僕は、柏原さんとうらら子先生に両脇をがっちりと固められたまま、部室に連行された。


 そこで、居間の畳の上に座らされる。


 なんとなくそうしないといけないんじゃないかって気がして、僕は正座をした。

 僕の前には、いばら学院女子新体操部の烏丸からすまるさん達からもらったチョコレートの包みの山がある。


 僕と、そのチョコレートの包みを囲むように、部員とうらら子先生が立っていた。

 僕は女子達に見下ろされている。

 みんな笑顔なのだけれど、笑顔ゆえに、なおさら怖かった。



「ごめんなさい!」

 僕は、先に謝った。

 なにか言われる前に、謝った方がいいと思ったのだ。


「ごめんなさい。でも、烏丸さん達と会ったのは、偶然なんです。烏丸さん達が来てるなんて知らなかったんです。みんながわざわざ部活の時間を割いて、僕にチョコレートを持ってきてくれたのを断ったら、すごく失礼だと思ったから受け取りました。ホントに、待ち合わせてたとかじゃありません。まさか、新体操部のみんなからチョコもらえるなんて、夢にも思ってなかったし」

 僕は、みんなを見上げて説明した。


 これは、紛れもない事実だ。


「ごめんなさい! それに、ここから逃げたのは、みんなからもらえるチョコレートが嬉しくて、誰のを最初に受け取るかなんて、選べなかったんです。僕なんかが選ぶのもおこがましいって思ったんです。みんなのチョコレート全部が大切だったんです」

 僕は素直に言ってしまった。

 逃げずに、最初からこうしてれば良かったんだと思う。


 僕が言ったら、

「うん、良かったじゃない」

 笑顔のままのうらら子先生がそう言った。


「西脇君、初めて家族以外からバレンタインのチョコもらえて、良かったね」

 朝比奈さんも言う。


 それは、皮肉めいた感じじゃなかった。


「西脇、棘学院女子の生徒からチョコレートもらえるなんて、すごいことだぞ」

 柏原さんが親指を立てる。


「まあ、あんたの割にはよくやったわ」

 腕組みしてツンとした顔の千木良も言った。


「あとで、棘学院女子のみんなが作ったチョコ見せてね」

 綾駒さんが言う。



 あれ、急にどうしたんだろう?


 怒られると思ったんだけど、なんだかみんな優しい。



 すると、みんなが僕に背を向けて、ひそひそ話を始めた。


「これでいいんですよね、先生」

「ええ、そうよ。ここで怒ったりしてはダメ。正妻せいさいとしては、余裕よゆうがあるところを見せておかないといけないわ」

「正妻としての包容力ほうようりょくを見せるんですね」

「その通り。逆に褒めてあげるくらいのほうがいいわ。向こうは滅多に会えないし、こっちは毎日会えるんだもの」

「スキンシップとかも出来ますしね」

「そう」

「それに、自宅も抑えてますしね」

「そうよ」

「あいつ、幼女好きだものね」

「そうそう」


 女子達のひそひそ話が聞こえる。

 なんか、声が大きくて、内容がダダ漏れなんですけど…………



 ともかく、誤解が解けて良かった。



「西脇君、誰のチョコを最初に受け取るか選んで、とか訊いて、困らせてゴメンね」

 朝比奈さんが言って頭を下げる。


「だから、改めてこれ、私達からのチョコ、受け取って」

 綾駒さんが言って、女子達が僕に一斉にチョコレートを渡した。


「ありがとう」

 僕は、全員の分を同時にまとめて受け取る。

 クラクラするくらいのチョコレートの甘い香りに包まれた。



「さあ、いつまで正座なんかしてるの? コタツに入って温まりなさい」

 うらら子先生が言う。


 僕は、コタツに入った。

 当然、千木良が抱っこされにくるし、右隣には朝比奈さん、左隣には綾駒さんで、正面から柏原さんとうらら子先生が足を絡めてくる。


「寒かったでしょ? はい、ホットチョコレート」

 朝比奈さんが、カップを差し出した。


 みんなに囲まれていて、ただでさえ体温が上がってるのに、熱々のホットチョコレートで汗かくくらい熱くなる。


 朝比奈さんが入れてくれたホットチョコレートは、とろけるくらいに甘かった。


 バレンタインデーがいいものだって初めて分かった。

 それは、憎むべき存在ではなかったのだ。


 来年こそは、こんなふうに幸せなバレンタインデーをと過ごせるように、彼女作りに邁進まいしんしなきゃって、僕はちかいを新たにする。





「お兄ちゃんの馬鹿!」

 家に帰るなり、玄関で野々が怒って僕をにらんだ。


「もう! こんなにチョコレートを買うのに、いくら使ったの?」

 野々が、血相けっそうを変えて言った。


 僕は、部員やうらら子先生からもらったチョコレートの他に、棘学院女子のみんなからもらったチョコレートもあって、紙袋二つにいっぱいのチョコを抱えている。


「部活の女子からもらった義理チョコだけだって、今までのお兄ちゃんからしたら十分にすごいことなんだよ。だから、そんなふうに見栄を張らなくてもいいの。部活の女子からの義理チョコ以外もらえないお兄ちゃんだって、お兄ちゃんはお兄ちゃんだし、野々はお兄ちゃんのこと大好きなんだから」

 野々が続けた。


「いや、あの…………」


 僕は、そんな野々に、合宿で一緒になった棘学院女子のみんなからもチョコレートをもらったと説明した。

 野々が全然信じないから、それを納得させるまでに小一時間かかる。

 チョコを見せて、それが市販品じゃなかったり、手紙が入ってたり、マフラーとか、プレゼントが入ってることで、どうにか信じてもらえた。


「それじゃあ、このチョコ、ホントにお兄ちゃんが買ってきたんじゃないんだね?」

 野々が、目をまん丸に見開いて訊く。


「うん、そうだよ」

 僕は答えた。


「お兄ちゃんが、自力でこんなにいっぱいのチョコをもらったってこと?」

「ああ、その通り」


「お母さん! 大変!」

 野々が、リビングに走っていった。


 靴を脱いでリビングを見に行くと、そこで妹と母が抱き合って涙を流しながら喜んでいる。


 野々……

 こんなふうに、心配させるお兄ちゃんでゴメン。




「はい、これ、野々からのバレンタインチョコレートだよ」

 野々からもチョコレートをもらう。


 それは、野々が母の手を借りて作った、トリュフチョコだった。

 色とりどりのトリュフチョコが十二粒、ピンクの箱に入っている。


「ほら、お兄ちゃん、あーんして」

 野々が、その中の一つにフォークに刺して、僕に差し出した。


「こうやって、食べさせてあげられるのが、妹の特権だもの。はい、あーん」

 僕は、野々からチョコレートを食べさせてもらう。

 野々のチョコは、見た目の愛らしさのわりに、ビターだった。


「お兄ちゃん、ホワイトデーのお返しとかは、必要ないからね」

 なにげなく野々が言う。



 あっ。



 今までバレンタインのチョコレートとかもらったことがなくて、ホワイトデーのお返しからも無縁だったから、そんなこと考えたこともなかった。



 紙袋にぎっりち二袋分もらったチョコのお返し、どうしよう……


 嬉しいバレンタインだけど、重い宿題を背負った気がする。

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