第96話 慰めはいらない

「西脇は、この中で一番、誰が好きだ?」

 香が訊いた。


 真っ直ぐな視線で、無垢むくを絵に描いたような顔で訊かれると、誤魔化したり、冗談で返せない雰囲気があった。

 真摯しんしに答えてあげないといけない気がしてくる。


 部員の女子達とうらら子先生が、僕を囲んで顔を近付けて、にらむ勢いで注目していた。

 ってゆうか、みんな顔が近い。

 みんなの香りが混ざった濃厚な匂いで酔いそうになる。


「誰が好きだ?」

 香が重ねて訊いた。


 もうこれは、絶対に答えないといけないんだろう。


 僕は、覚悟を決めた。



「僕は、香が好きだ!」

 金色の髪をなびかせた香に向けて、僕は言う。



 僕が言ったら、チッって、うらら子先生のあからさまな舌打ちが聞こえた。

「はあ」

 柏原さんが、はっきりと聞こえる溜息を吐く。

「そこに逃げるか」

 綾駒さんがひじで僕を突っついた。

「…………」

 千木良が肩をすくめる。


 朝比奈さんだけが、ニコニコ笑っていた。



 でも、僕はそう答えるしかなかったのだ。


 この女子達の中で誰が好きって訊かれて、○○とか、言えるわけがない。

 ここにいる女子達はみんな、僕にとっては雲の上の人達で、好きとか嫌いとか、そんなこと言えるような次元の存在じゃない。

 そんな対象にエントリーすることもおこがましい。

 こうして、一緒に部活動ができるだけでも、僕は相当な幸せ者なのだ。

 だから、この中で誰が好きかって訊かれて、僕が「香」って答えたのは当然だった。


 元々香は、僕の彼女になってもらうために、作ったんだし。




 僕が告白した相手、香は、きょとんとした顔をしていた。


 そして、僕の言葉を何度も反芻はんすうするように考え込んだ。

 生まれたばかりの香には、難しい問題だったのかもしれない。

 香の長考は、5分にも及んだ。

 そのあいだ香は、棋士きしみたいな顔で考え込んでいた。

 みんなも、香の答えを黙って待った。



 そして5分後、ついに答えを見付けた香が、口を開く。


「香、西脇、嫌い」

 香が言って口をとがらせた。


 そんなぁ……



 僕が、この半生で初めてした告白は、見事に撃沈する。

 端微塵ぱみじんに砕け散った。


 高校生活を充実したものにするため、絶対に彼女作るってここまでやってきたのに、せっかく作ったその「彼女」から拒否されるなんて……



 柏原さんと綾駒さんが目を伏せた。

 大笑いして僕を馬鹿にするかと思った千木良が、(まあ、頑張りなさい)みたいな目で僕を見て、肩に手を置く。

 うらら子先生は腕組みして目をつぶった。

 朝比奈さんは、困った子ね、って感じで、母親みたいに僕と香を見ている。



「香は西脇嫌い、香は花圃かほが好き!」

 香がそう言って、朝比奈さんに抱きついた。

「あらあら」

 香が突然抱きついたのにびっくりして、朝比奈さんと二人、後ろに倒れそうになった。

 髪の色が違うだけで、瓜二つの二人が抱き合っている。


「西脇君、香ちゃんも、きっと、まだあなたのことが分かってないんだと思うよ。それに、まだ生まれたばっかりで、小さいから」

 香と抱き合っている朝比奈さんがかばってくれた。


「香、ちゃんと分かってる。西脇、嫌い」

 香が僕の傷口に握りこぶし大の岩塩のかたまりを塗り込める。



 せっかく作った「彼女」に嫌われて、僕はいったいどうすればいいんだ……




「もう、しょうがないわね。西脇君、失恋のショックで打ちのめされてるなら、今日は先生が一緒にい寝してあげようか?」

 うらら子先生がそんなことを言い出す。


「先生、本当はそんなことしたくはないのだけれど、ショックのあまり西脇君が落ち込むといけないし、失恋の痛みは相当なものだから、顧問として、仕方なく添い寝してあげるわ。先生はホントにそんなことしたくないんだけど、まあ、これも、教育者という仕事を選んだしまった私の宿命だし、一晩中、添い寝してあげるしかないわね。ホント、そんなことしたくはなんだけど。ああ、困ったことだわ」

 先生が言葉を重ねた。


「いえ、先生、それはマズいですよ。西脇君とうらら子先生は教え子と教師という関係なんだし、一晩中添い寝ってそれがあとで知れたら、大問題になります。だからここは、同級生である私が、一晩、テントの中で西脇君を慰めてあげるしかないと思います」

 綾駒さんが言った。


「私なら先生にない大きなものを持ってるし、私の胸の中で、失恋の傷を負った西脇君を慰められると思うし。それにほら、先生はお仕事で疲れてらっしゃるし、もうお年なんだから、夜はしっかりと眠って疲れを取らないと、明日からの授業にも差し支えますよ」

 綾駒さんが続ける。


「まあ、綾駒さん、お気遣いありがとう。本当にあなた、優しいわねぇ」


 言葉とは裏腹に、なんか、二人の間で、バチバチ火花が散ってるんですけど。



「ちょっと待て、外のテント生活なら、僕に一日いちじつの長があるから、慰め役なら、僕が適任てきにんじゃないかな?」

 柏原さんが参戦してくる。


「僕なら、き火をたいて、一晩中、西脇と語り合って寄り添うぞ。焚き火の扱いにも慣れてるし、アウトドアで飲む美味いコーヒーの入れ方も知ってる。それに、外で野獣が出てきても、いのししまでだったら、僕は戦ったことがあるから西脇を守れるし」

 柏原さんが腕まくりしながら言った。


 柏原さん、この林に野獣は出ないから。

 それに、柏原さん猪と戦ったことあるのか……


「いいえ、私が慰めるわ」

「いえ、私が」

「いや、僕が」

 三人が言い合っている。


 でも、なんで僕が、一晩、この中の誰かに慰められることになってるんだろう?

 それは、すごく嬉しいんだけど。



「わわわ、私は!」

 それまでずっと黙っていた千木良が割って入った。


「私だって、こいつを慰められるわ!」

 千木良が腰に手をやって言う。


「あれ? いつも西脇君のこと『こいつ』とか言ってる千木良ちゃんが、どうやって慰めるの?」

 綾駒さんが訊いた。


「私は……」


「私は一緒にお風呂に入ってあげるわ!」

 千木良が顔を真っ赤にして言った。

 千木良の小さな肩が、ぷるぷる震えている。


 一瞬、その場が静まり返った。


 林の鳥の声が止まって、木々の枝葉さえ、動きを止めた。

 あまりに静かすぎて、しん、って音が聞こえそうだ。



「いや、それは完全にアウトだろ!」

 全員で千木良に突っ込んだ。



「なによ! この幼女好きには、たまらないでしょ? 一緒にお風呂に入って、背中を流してあげるわ」

 千木良が言う。


 だから、僕は断じて幼女好きではない。

 どこかのの主人公みたいに、幼女とお風呂に入る趣味もない。


「もう! せっかく、私が慰めてあげようとしたのにぃ」

 千木良が、ぷにぷにのほっぺたをふくらませた。



 みんな、失恋した僕をはげまそうって、わざとこんな馬鹿なことを言ってくれたんだろう。

 千木良まで、その馬鹿に付き合ってくれた。



「僕なら大丈夫ですから。みんなありがとう」

 僕は、みんなに向けて頭を下げる。


 失恋したけど、こんなふうに慰めてくれる仲間がいて嬉しかった。

 それだけで救われる気がする。



「それじゃ、そろそろ夕ご飯にしましょうか」

 朝比奈さんが言って笑顔を見せた。

 朝比奈さんに抱きついている香は、僕を振ったのに、けろっとした顔をしている。

「香、手伝う!」

 二人連れ立って台所に行った。


 我に返ると、林を吹き抜ける秋風が冷たいことに気付く。

 今晩、一人のテントは寒そうだ。



 そのあと、僕達は庭の七輪で秋刀魚さんまを焼いて、みんなで食べた。


 炭で焼きすぎたせいもあるかもしれないけど、今日食べた秋刀魚は、すごくにがかった。

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