第90話 テスト明け

「よっしゃー! 終わったー!」

 チャイムが鳴って、教室のそこここから、解放感に満ちた叫び声が聞こえた。


 中間テストが終わった瞬間、校内には、安堵あんど感と謎の熱気が立ちこめる。

 テストが終わった瞬間から、一週間とちょっとの文化祭準備期間が始まるのだ。


「これでしばらく自由だ」

 放課後の教室で、雅史が大きく伸びをして言った。


「そうだな」

 僕も、笑顔で答える。


かおるは部活でなんかやるのか? あの、彼女がなんとかっていう部活」

 雅史が訊いた。


「ううん。うちの部では、文化祭展示も出さないし、ステージの出し物もしないんだ」

 僕は答える。

 嘘をついたから、鼻がピクピク動いてしまったかもしれない。


「へえ、やっぱりあの部活、長続きしなかったんだな。まあ、朝比奈さんが部活に入ってるとか、馨がいつまでも妄想してるとマズかったから良かったけど」

 雅史が好き勝手言った。


 朝比奈さんはちゃんと我が部の部員だし、僕達はその朝比奈さんにそっくりな「彼女」をミスコン送り込んで、全校生徒がひっくり返るようなドッキリを仕掛けることになっている。

 雅史に本当のことを言ってやりたいけど、言えないのがもどかしかった。



「よし、じゃあ帰ろうぜ。テストも終わったし、久しぶりになんか食べてこう」

 雅史が僕を誘う。


「あっ、えっと、僕、先生に呼ばれてるから」

「んっ、そうなのか? 待ってるけど」

「それが、長くかかりそうなんだ」

「そうか」

 なんとか誤魔化して、誘いを断った。



 雅史と別れて部室に行く前に、僕は文化祭前の雰囲気を味わうために少しだけ校内を回る。


 校内には、なんとも言えない浮き足だった感じが漂っていた。


 文化部部室棟の部室の前には、箱買いしたカップラーメンや、エナジードリンクの段ボール、レンタルした布団や枕が積んであって、廊下を塞いでいる。

 耳には、ブラスバンド部や合唱部、軽音部に、文化祭の為に結成された即席バンドの練習の音が届いた。

 真面目に練習しない男子と、それをしかる女子の間で喧嘩けんかが始まる。

 校庭では、謎の構造物の建築が始まった。


 この、ワサワサした感じ、僕は嫌いじゃない。


 去年は、文化祭準備なんて面倒でかったるいとか、冷めた目で見てたけど、実は、うらやましかっただけだって認める。


 今年はそれに自分も参加出来るのが嬉しくて、僕は部室に急いだ。




 部室に行く林の入り口で、千木良に会った。

「千木良、なにしてるんだ?」

 僕が、訊くと、千木良は当然のように僕の懐に飛んで来て、抱っこされた。


「この前、進入者を許したから、警備を厚くしてるの。もう絶対に、部外者はこの林に入れないわ」

 千木良が言う。


 林の中に、工事をしている作業服の人達がいて、電線を張っていた。

「高圧電流が流れる電線の高さは10メートルにしたし、カメラもセンサーも増やしたから、完璧よ」

 抱っこした千木良は、自信たっぷりな顔をしている。


「それから、裏庭に迎撃ミサイルのキャニスターがあるから触らないでね」

 平気な顔で言う千木良。

 ミサイルって、本当だったのか……


 それにしても、あの「シホ」とかいう彼女、一体、なんだったんだろう?

 「彼女」のこと知ってたみたいだけど、どこから情報を手に入れたんだろう?

 謎は謎のままだ。




 千木良を抱っこして林を抜けると、庭で柏原さんがテントを張っていた。

 群青色のテントで、前室と二部屋に別れている本格的なテントだ。


「柏原さん、テントなんか張ってどうしたの?」

 僕は訊いた。

「ああ、西脇か。どうだこれ、いいテントだろう?」

 シャツを腕まくりした柏原さんが、ペグを打っていたハンマー片手に微笑む。

「うん、いいテントだけど……」

「僕が使ってるテントを持ってきた。ほら、中を見て見ろ。ランプとか、コットにシュラフ、一通り生活出来る道具は揃えてあるぞ」

 テントの中は、大人二人が余裕で横になれるくらいの広さがあった。

「はあ」

「なんだ、もう少し感謝してほしいな。西脇がすこやかに暮らせるように、せっかく僕が用意してやったんだから」

 柏原さんが言う。

「僕が? テントで暮らすの?」

 柏原さん、なにわけの分からないこと言ってるんだ。


「あれ? 聞いてなかったのか? 文化祭準備のあいだ、徹夜するにしても、泊まり込むにしても、西脇を女子と一緒の場所で寝起きさせるわけにはいかないから、西脇のために庭にテントを張ってやれって、うらら子先生に頼まれたんだけど」

 柏原さんが言う。


「そんな、僕、部室に泊まらせてもらえないの?」

 まったく聞いてない。

「まあ、そう悲観するな。このテント快適だぞ。シュラフも、僕が普段使ってるやつだから、僕の汗が染み着いてる。眠ると、匂いで僕に包まれてるような感じがするぞ」

 柏原さんが言った。

 柏原さんのココナツオイルみたいな香り。

「西脇、僕に抱かれる夢を見ながら眠ってくれ」

 柏原さんが真顔で言った。


 それはそれで、ちょっと心引かれるけど……



「西脇君、我慢がまんなさい」

 背中から声がして振り向いたら、遅れて部室に来たうらら子先生がいた。

「なにか間違いがあったらいけないからね。泊まる場所は別にするの」

 スーツ姿の先生が言う。


「僕は、こころざしを同じくする女子部員に、手を出したりしません!」

 先生に言ってやった。


 確かに僕は、一緒の場所に泊まったら、女子の着替えをのぞいたり、お風呂を覗いたりはするかもしれないけど、手を出したりはしない。


「そんなことは分かってるわよ。西脇君が、女子を前になにも出来ないのは分かってる。あなたは、半裸の女子が昼寝してても、服を直してタオルケットをかけてあげるような男だわ」

 いや、半裸の女子が寝てたら、僕も我慢できる自信はないけど。


「でも、あなたは大丈夫でも、我が部の肉食系女子達は分からないでしょ? 文化祭の準備で疲れて無防備に寝てる西脇君を前にして、理性が保てるか分からないわ。可愛い西脇君に襲いかかるかもしれない。だから、柏原さんに頼んでテントを立ててもらったの」

 なんだそれ。


「私だって、無防備な西脇君を前にしたら、教職を捨てるような行為に出てしまいそうで、怖いの」

 先生が、本気とも、ふざけてるとも、両方に取れるトーンで言った。


「それとも、テントがいやだったら、他に泊まる? 予備の案として、文化祭準備のあいだ、相撲部の合宿所に西脇君を受け入れてもらう許可は、相撲部顧問の先生にもらってるけど」

「テントでいいです!」

 僕は、光の速さで返事をした。

「テントいいなー。僕、前々からテントに泊まりたかったんです。テント最高! テントは至高しこう! 僕は、テントに泊まるために生まれてきたような男なのです!」

 男だけのむさ苦しい合宿所なんかに入れられたらたまらない。


「そう、よかった。でも大丈夫よ。眠るとき以外、ご飯を食べるのも、お風呂に入るときも、部室にいていいから」

 うらら子先生が言う。


 部室で一緒に泊まれないのは残念だけど、少しでもみんなの近くにいられるなら、それでいいか……



 庭で話をしてたら、台所から味噌みそのいい匂いが漂ってきた。


「はーい、みんな、今夜はお鍋ですよー」

 エプロン姿の朝比奈さんが言う。

 朝比奈さん、夕飯を用意してくれてるらしい。

 朝比奈さんの似合いすぎるピンクのエプロンに、れした。



 文化祭準備は、初日から長い夜になりそうだ。

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