第64話 小学校

「ああ、もう、お酒は二度と飲まない……」

 民宿の畳の上で、ドロドロに溶けているうらら子先生が言った。

 さっきから僕は、横になっている先生に水を飲ませては、背中をさすったり、脂汗を拭いたりしている。

 うちの部の女子達は、シャワーを浴びに行ってしまったから、先生の面倒は僕が見るしかなかった。


 昨晩、先生と一緒に飲んでいた美咲さんは、朝早くから漁に出てしまったし、望月先生は新体操部をひきいて、近くの小学校に行ってしまった(そこの体育館が、新体操部の練習場所だ)。


 こうして二日酔いで倒れているのは、うらら子先生だけだ。


「私も、もう歳かな」

 先生が弱音をはいた。

「うらら子先生と望月先生って、二つしか歳が違わないじゃないですか」

 先生の背中を撫でながら僕は言う。


「ここに来ての、その二年間が重要なの」

 遠い目をして言う先生。

 よく分からないけど、そういうものなんだろうか。


「うっ、気持ち悪」

 僕は、つらそうな先生の背中をさすり続けた。

 タンクトップを着ているうらら子先生の肩口から、ブラジャーのひもが垂れ下がっている。

 僕は指でつまんでそれを直した。


「教え子にブラ紐直されてるようじゃ、私も本当に焼きが回ったね」

 そんなこと言って自嘲じちょうするうらら子先生が、可愛く見えてしまう。

 年上の、普段凛としている先生に対して失礼かもしれないけど、先生にも、手がかかる千木良とか、妹の野々みたいなところがあるんだなって、思った。




 十時すぎに、民宿で用意してもらったお弁当を持って、僕達も小学校へ向かった。


 棘学院女子の新体操部は体育館を借りてるけど、僕達は校舎の方を借りて活動することになっている。

 小学校は、満珠荘まんじゅそうから歩いて二十分弱の距離にあるらしい。


「これを道なりに真っ直ぐ行った突き当たりです」

 お母さんの手伝いで、民宿の庭を掃いていた飛鳥さんが教えてくれた。

 朝から家の手伝いとか、どっかの令嬢に爪のあかじて飲ませたい。

 っていうか、ストレートで飲ませたい。



 飛鳥さんが指した道は、ずっと上り坂になっていた。

 日差しが強い中を二十分歩くのは結構きつい。


「もう! 車で行きましょうよ!」

 千木良が不満を言った。

 でも、肝心な運転する人が、まだお酒が抜けていない。


「これくらい、いい運動になるじゃないか」

 柏原さんが言って、千木良の手を引いた。

 二人とも麦わら帽子を被っていて、姉妹みたいだ。

 柏原さんに手を繋がれて、千木良はまんざらでもない感じだった。


 足がおぼつかないうらら子先生は、「彼女」が横について肩を貸す。

 自分で歩けるようになってる「彼女」を、もう荷物として運ばなくていいのはちょっと楽だ。

 でも、この前から、彼女を余計なことに酷使こくししてる気がする。




 坂道を登って、先生の背中を押しながら、なんとか小学校までたどり着いた。


 小学校は小高い山の中腹に、こぢんまりと建っている。

 二階建ての白い木造校舎は、外壁をつたおおっていた。

 蔦は、色あせた赤い屋根まで届いている。

 草ぼうぼうのグランドと合わせて、相当な廃墟はいきょ感があった。


肝試きもだめしするのに、丁度いいんじゃない?」

 綾駒さんがそんなことを言う。


 女子達と、肝試し……

 ありだと思います!

 僕は、「ぜひやろう」っていう視線を、女子達に送っておく。



 向かって左手奥あるかまぼこ型の体育館からは、練習をしている新体操部のかけ声とか、床を踏む音が聞こえた。

 朝からみんな元気に頑張っている。


「ちょっと、新体操部の練習見ていきま」

「さっさと校舎に入るわよ!」

 僕の提案は、女子全員に食い気味で却下された。


 レオタードの妖精達、さようなら。




 外観とは裏腹に、校舎の中は綺麗に保たれている。

 古い板張りの廊下はピカピカだし、教室の机も椅子も、すぐに使えそうに磨いてあった。

 今にも、そこで学ぶ小学生の声が聞こえてきそうだ。


 教室は、二階に四つ、一階に二つあって、他に、職員室と、調理室、シャワールームなんかもある。

 職員室は畳敷きになっていて、布団がたくさん置いてあったから、ここは、宿泊も出来るようになってるらしい。



「二階の教室を使うことにしましょうか」

 うらら子先生が言って、僕達は二階の左端の教室に入った。

 教室には、机と椅子が二十組ずつ並んでいる。

 黒板の脇に時間割とか、クラスの目標とか、九九の表とかが張ってあって、懐かしい気持ちになった。

 窓からは眼下に大海原が望める。

 窓を開けると、山からの涼しい風と、せみの大合唱が室内を満たした。

 こんなリゾート感覚の教室で、ここで勉強していた小学生は、勉強どころじゃなかったんじゃないだろうか。



「はい、じゃあ、みんな席に着きなさい」

 教卓の前に立ったうらら子先生が、先生みたいに言った。


 僕達は、小学生用の小さな机の最前列に着く。

 この小さな机と椅子なら、千木良にはサイズが丁度良かった。

 逆に、背が高い柏原さんは、机の下に足が入らない。


 教壇の上に立つと、うらら子先生はさっきまでの二日酔いが嘘みたいに凜々しい顔を見せた。

 これでこそ、うらら子先生だ。



「こうやって合宿に来た以上、必ず成果を残して帰るわよ」

 先生が僕達を見渡して言った。

 次に、横に立っている「彼女」を一瞥いちべつする先生。

「まず、この、まだ頭も付いていない『彼女』に頭を付けて完全に自立させる為に、AIとセンサー周りのハードを完成させます。この合宿では、その費用を稼ぐわ。千木良さん、搭載するコンピューターを買うのに、いくらかかるんだっけ?」

 うらら子先生が訊く。


「最低でも30万はかかるわね。まあ、上を見ればきりがないけど、50万の予算をもらえれば、この男を凌駕りょうがする頭脳にしてみせるわ。それは、私の天才的な設計でカバーするんだけれど」

 千木良が、僕を指して言った。


 僕の頭脳、50万以下か……


「それじゃあ、朝比奈さんに『ミナモトアイ』を演じてもらって、お盆休みは毎日生放送をしましょう。水着、浴衣、温泉、スイカ割り、花火、肝試し、盆踊り。ネタはいくらでもあるわ」

 先生が黒板に書いていく。

 これだけのことを、朝比奈さんを一緒に経験できるというだけで、武者震いがした。

 僕の半生の夏休みを全部足したって、女子とこんなにいろんな経験をしたことはない。


「資金稼ぎと平行して、『彼女』の運動機能の熟成も行います。そっちは柏原さん、お願いね」


「はい、この学校の校舎が自由に使えるから、廊下とか階段を歩かせて、アクチュエーターとか、重量バランスの調整をしたいと思います」

 学校にいるときと違って、校舎内を自由に歩き回らせることが出来るから、はかどりそうだ。


「重量が完成時と同じになるように、ダミーの頭を付けておいてね。そうしないと、姿勢制御のデータ補正に、余計な手間がかかるから」

 千木良が言った。


「ああ、分かった」

 柏原さんが頷く。


「ちょっと待って、それなら、もう一つ決めないといけない、重要なことがあるんじゃない?」

 綾駒さんが言った。


「体のバランスを取るってことなら、頭だけじゃなくて、もう一つ、重要な部分があるでしょ? それも、つけないと」

 綾駒さんが続ける。


 もう一つって、なんだろう?


「ああそうだな」

 柏原さんは分かったみたいだった。


「ついに、決める時がきたんだね」

 朝比奈さんも言う。


「まあ、そうね」

 千木良も頷く。


「そうね、それは、『彼女』を作る上で、避けては通れないわね」

 腕組みしたうらら子先生も、深く頷く。


 分かってないのは僕だけみたいだ。


 頭と同時に、「彼女」のバランスを取るのに必要な部分って……


「分からない? 『おっぱい』の大きさをどうするか、決めないといけないでしょ?」

 綾駒さんが僕を見て言った。


 そうか!


 それはすごく重要な問題だ。


 それだけで、一週間の論議を要するくらいの、大問題だった。

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