第42話 兄

 み春さんは、人形を包んでいた布を全部がして、自身のアトリエの作業台に乗せた。


 裸の球体関節人形が、アトリエ中央の木製の作業台の上に仰向けで横になる。

 その周りを僕達が囲む様子は、手術室の光景っていうか、検死けんしの光景って感じで、少しゾクッとした。


「ああ、美しい。私は、まだ母の足元にも及ばないのね」

 み春さんが、大きく溜息を吐いた。

 そして、人形の手をいつくしむように撫でる。


 僕が見る限り、このアトリエにある人形達も、今にも動き出しそうなくらいの完成度なんだけど、み春さんにしたらまだまだらしい。



 作業台の上で裸にされた人形は、せて肋骨ろっこつが浮いているから、なんか余計に生々しかった。


 そして、裸にしてみて分かったのは、この艶めかしい人形が、男子だったってことだ。


 その証拠に、体にちゃんとが付いている。


 線が細い綺麗な顔だし、長い髪だったから、てっきり、女子だとばかり思ってた。


「あらまあ」

 それを見て、うらら子先生もびっくりして声を出す。

 女子部員達は、なんか気まずそうにそこから目を逸らした。


「べ、別に、ただの人形の作り物じゃない」

 誰も訊いてないのに、千木良が言う(顔赤いぞ!)。



「中のゴムが伸びて、関節がへたってるみたいだから、ばらしてみましょう」

 手を撫でていたみ春さんが言った。


 み春さんは、人形のカツラをとって、頭の後ろを剥がす感じで、中空になっている中のフックに手をかける。

 フックからゴムを外すと、途端に体のテンションがなくなって、首から胴体、足まで、だらんと垂れた。

 み春さんが首を胴体から引き抜いて、その穴に手を突っ込むと、同じように手を支えているゴムを外す。

 それで、今度は人形の手がバラバラになった。

 体の主要な部分は、この二本の太いゴムで繋がっているらしい。


「ああ、体のパーツ、一つ一つが愛おしい」

 み春さんが感嘆の声を漏らした。

 それに対して、綾駒さんがうんうんと力強く頷く。


 確かに、手も足も、胴体も、それ自体が彫刻として飾ってあってもおかしくない美しさがあった。



「あのう、さっき、汐留さんはこれが父の人形とおっしゃっていましたが、それは、どういうことでしょう?」

 うらら子先生が訊いた。


「ああ、そうでした。あなた達は、この人形について知りたくて、ここにいらしたのですよね。私だけ夢中になってしまって、ごめんなさい。なんのお構いもしていませんでしたね」

 み春さんはそう言うと、バラバラになった人形をそのままにして、リセさんにお茶を出すよう指示を出す。

 リセさんは「かしこまりました」と頷いて、アトリエを出て行った。


「こちらへどうぞ」

 み春さんは、作業台と反対側にある畳の小上がりに僕達を案内した。

 僕達は座卓を囲んで座る。

 み春さんがせっかく座布団を出してくれたのに、千木良は、当然のように僕の膝の上に座った。

 それを見て、み春さんが不思議そうな顔をしている。


 しばらく待っていると、リセさんが、お茶とお茶請けの羊羹ようかんを出してくれた(リセさんって、包丁も使えるし、火を使ってお湯を沸かせるアンドロイドなんだ)。



「それで、この人形が、父の人形という話でしたね。そうです。この人形は、父が母に依頼して作らせた人形です。そして、父の小説の表紙に使われました。それに間違いありません」

 お茶を飲みながら、み春さんが話し出す。


「柿崎重は私の父ですが、父と母は結婚はしていません。お互いに、それを必要としなかったのです」


 なんか、急に話が重くなった。


「ああでも、そんなに複雑な話ではなくて、二人とも芸術家気質で、結婚とか、手続き的なことに無頓着むとんちゃくだっただけです。仲が悪かったわけでもないし、どろどろした問題もありません。ただ単に、面倒だからしなかっただけだと思います」

 み春さんがそう言って笑う。


「あの人形は、みなさんが部室として使うあの家で本の表紙になる写真を撮影したあと、行方不明になっていました。母の作品を網羅もうらしたカタログを作る際も、どこにあるのか分からなくて抜け落ちていたんです。まさか、あの家の屋根裏に隠してあるとは思いませんでした。みなさん、見付けてくれて、本当にありがとう」

 み春さんが頭を下げて、いえいえと僕達も下げ返した。


「母自身が最高傑作としていた人形で、長年私も、この目で見てみたいと思っていたのです。こんなふうに実物を見ることが出来て、本当に感謝しています」


「ただ、雨漏りを直そうとして、屋根裏に上がって見付けただけなんです」

 柏原さんが明かして、みんなで笑う。


「この人形は、父と父の前妻との間に生まれた、男の子がモデルなのだそうです。私の腹違いの兄ってことになりますね。この人形のとおり、相当な美少年だったそうです」

 み春さんはそう言って、バラバラになった人形の顔を眺めた。


「若くして亡くなった兄を想って、父が母に依頼して作らせた人形でした。その時親交を深めた二人が、のちに、事実婚のような関係になって私が生まれたのですから、私にとってこの兄の人形は、そういう意味でも原点なのですね」

 み春さんはそう言うと、湯飲みを手に取ってお茶を飲む。


 この人形には、実在のモデルいたんだ。

 そして、それは、み春さんのお兄さん、そして、我が校の設立者の一人でもある、柿崎重の息子だという。 


「そんな大切な人形なら、このままお返しした方がいいのでしょうか?」

 うらら子先生が訊いた。


「いえ、この子は、父がアトリエに使った、あの部屋にいる方がいいんじゃないかしら。あそこは、本の表紙の撮影でも使われたし、この子が一番輝いていた場所だから」

 み春さん、人形のこと、「この子」って呼んだ。


「私が綺麗に手入れをして、服を着せてお返ししましょう。そして、あなた達が部室に使うあの家に、置いてあげてください。その方がこの子も喜ぶと思います」


 僕達を信頼して預けてくれるのは光栄だけど、責任も感じる。

 間違っても、千木良がキャベツ太郎を食べたあとの手でベタベタ触ったりしないように、注意しなければならない。


「だけど、時々、見せてもらいに行ってもいいですか? あなた達が作るアンドロイドにも興味があるし」

 み春さんが言うと、「ぜひぜひ」って綾駒さんが前のめりになった。

 綾駒さん、あわよくば指導してもらいたいって狙ってるに違いない。


「それにしても、この子と、部長さん、ちょっと似てない?」

 突然、み春さんがそんなことを言い出した。


「全然似てないわ!」

 千木良が力を込めて言うから、当然、僕のくすぐりの刑に処せられる。


「部長と、あの人形さんの、薄い本を希望します!」

 綾駒さん、変なこと言わないでください!


 み春さんに言われて、あらためて作業台の上の人形の顔を見てみた。


 やっぱり、全然似てないと思う。





 

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