第6話 563は素数

「やっぱり、こんなところ入れないよ」

 綾駒さんが案内してくれたケーキ屋さんは、テラス席もあるおしゃれな店だった。


 全面の大きな窓ガラス越しに見ると、店内には、女子のグループと、カップルしかいない。

 みんな、楽しそうにケーキを食べたり、お茶を飲んだりしている。


 こんなところ、彼女がいない僕が入れるわけないじゃないか。



「女子3人で親睦会しんぼくかいして。僕は、このまま帰るから」

 僕が店の前を離れようとすると、柏原さんと綾駒さんに両脇を固められた。


「もう! 部長がいなくなってどうするのよ!」

 綾駒さんが、僕の右腕を取る。

「えっ? 僕、部長なの?」

 まだ、部の人事なんて決めてないはずだ。

「当たり前だろ、君がこの部を作ったんだから!」

 柏原さんは僕の左腕を取った。


「さ、入りましょう」

 千木良がドアを開けて、僕は綾駒さんと柏原さんに腕を取られたまま、店内に入る。



 ピンクを基調きちょうにした店内は、生クリームの甘い匂いで満ちていた。

 入ってきた僕を、そこにいた四つの女子グループと、三組のカップルが、いぶかしげな目で見る。


 なんで、彼女もいないような奴がこんな店に入って来るんだって、思ってるに違いなかった。

 みんなきっと、ここはお前のような奴が来るところじゃないって思っている。

 逃げたかったけど、僕は綾駒さんと柏原さんに両側からがっちりと腕を取られていた。

 二人がぎゅっと腕をからめていて、逃げられない。



「いらっしゃいませ」

 って迎えてくれたウエイトレスさんも、一瞬、「えっ」って感じで僕を見た。

 もう、穴があったら入りたい気分だ。



 ウエイトレスさんに案内されて、空いていた店の窓側の席に着く。


「部長が逃げないように、私たちが両脇に座るね」

 ベンチシートの僕の両側に、綾駒さんと柏原さんが座った。

 すると、千木良が柏原さんの前を通って、僕のひざにちょこんと座る。


「なんでここに座るんだ!」

 僕は、千木良に抗議した。

「だって、テーブルが高すぎるんだもの」

 教室の机と同じように、このテーブルも千木良には高かったらしい。


「だったら、子供用の椅子、出してもらえばいいじゃないか」

 こういう店には、ちゃんと子供用の高い椅子が用意してあるだろうし。

「私、子供じゃないもの。レディーだもの」

 千木良が言う。


 いや、レディーは人の膝の上には座らないと思うんだけど……


「ほら、膝から落ちないように、ちゃんと私のお腹に手を回しなさい」

 千木良が、勝手に僕の手を自分のお腹に持っていく。


 結局、僕は綾駒さんと柏原さんを両脇に置いて、千木良を膝に抱いて座ることになった。

 もう、絶対に逃げられない。



 ウエイトレスさんが置いていった一冊のメニューを、僕たちは四人で見た。


 メニューを見るために綾駒さんが僕に体を寄せてきて、僕の右腕に、何か、柔らかいものが当たる。

 柔らかくて張りがある、温かいものが当たっていた。


 駄目だ。


 考えちゃ駄目だ。

 僕の腕に何が当たってるのか分かったら、その時僕は確実に卒倒そっとうする。

 鼻血を出して気を失う。


 他のことを考えよう。

 僕は、一から順番に数を数えて、それが素数かどうか判別することで、意識を右腕かららした。

 2は素数、3も素数、5も素数、7、11、13、17、19…………


 それにしても、綾駒さんはなんて無防備むぼうびなんだ。

 女子が隣に座ったとき、僕達男子高校生の腕の触覚しょっかくが、通常の1000倍敏感びんかんになること、分かってないんだろうか?


 女子達は楽しそうに相談しながらケーキを選んだ。

 それだから、結局僕は563まで素数を数えることになった(その間ずっと、綾駒さんの柔らかいものが僕の腕に当たってた)。


 メニューの中から、綾駒さんはミルクレープを選んで、千木良は苺のタルト、柏原さんは宇治抹茶うじまっちゃのムースを選ぶ。

 僕は、ピスタチオと木苺ジャムのケーキを選んだ。



「いっただきまーす!」

 女子三人は、運ばれてきたケーキを嬉しそうに口に運ぶ。


「ねえ、そっちの食べていい?」

「うん、私のも食べていいよ」

「これも美味しいよ」

 そう言いながら、女子達は楽しそうにそれぞれのケーキを交換した。


 こんなケーキ屋さんには初めて入ったけど、その中では、こんなに平和な光景が繰り広げられていたらしい。

 僕が知らないこの場所に、こんな平安があったのか……

 世の中すべてが、こんな幸せな空間だったらいいのに。


 そんなことを考える。



「西脇君もほら、食べてみて」

 綾駒さんがそう言って、ミルクレープをフォークで一口分すくって、僕に差し出した。


「いいの?」


「うん、もちろん」

 でもそれは、綾駒さんが使ってたフォークで、それを僕の口に運んでいいんだろうか?


「食べて、ほら、あーん」

 綾駒さんが、「あーん」とか、過激かげきな効果音をつけた。

 口の直前まで運ばれてきたから、断るわけにもいかず、僕はそれを、ぱくっと口にする。


「どう? 美味しいでしょ?」

「うん、美味しい」

 そう答えたけど、正直、味なんて分からなかった。

 綾駒さんのフォークで食べたってこと、それだけで他に何も考えられない。


「西脇、僕のも食べてみろよ」

 すると、今度は柏原さんが僕に自分のムースを一口分すくって、スプーンを差し出してきた。


「抹茶のにがみが美味しいぞ」

 柏原さんが勧める。

「うん」

 僕は恐る恐る、ムースを口に含んだ。


 でも、僕の味覚、おかしくなっちゃったんだろうか?

 抹茶が、全然苦くないのだ。


「代わりに、西脇君のも食べていい?」

「僕も、もらうぞ」

 綾駒さんと柏原さんが、両側から僕の食べかけのケーキにフォークを入れた。

 二人とも、僕の食べかけなんて食べなくていいのに。

 なんだったら、もう一つ、頼むのに……


「ちょっとあなた、口の周りにジャムが付いてるじゃない。みっともないわね。じっとしてなさい、拭いてあげるから」

 膝の上の千木良が、紙ナプキンを取って俺の口を拭いてくれた。


「ありがとう」

「もう、世話が焼けるわね」

 年下の千木良に言われてしまう。



 さっきから、こっちをチラチラと見ていたカップルの男の方が、僕のこと、親のかたきみたいな目でにらみ付けた。


 いくら何でもひどい。


 彼女がいないことは犯罪なのか?

 僕がここにいたっていいじゃないか!

 そんな目で見なくてもいいじゃないか!



 そういえば、ここは窓側の席だから、窓の外で通り過ぎる人達が僕をジロジロ見ていく。

 僕の両脇に綾駒さんと柏原さんがいて、膝に千木良が乗ってて動けないのをいいことに、みんな、ジロジロ見た。


 きっと、彼女もいないヤツがこんなところでケーキなんて食べやがってって、馬鹿にしてるに違いない。


 もう二度とこんなことにならないよう、僕は絶対に彼女を作ってやるって、ちかいを新たにした。

 完璧な「彼女」を作って、今度は馬鹿にされないようにここに来てやる!




 そのあと、僕達はゆっくりと一時間かけてケーキを食べた。


 店を出ると、外はもう、真っ暗になっている。



「それじゃ、また明日!」

 柏原さんは、ヘルメットを被って、店の前に停めていたバイク、黄色いクロスカブに乗って帰った。


「また明日。一応、お礼は言っておくわ。あなたの膝の上、座りやすかったわよ」

 千木良はそう言うと、迎えに来た黒塗りのセンチュリーに乗る(迎えのセンチュリーは運転手付きだし、千木良はお嬢様だったらしい)。


 残った僕と綾駒さんは、駅まで歩いて、そこで別れた。



「西脇くーん!」

 どこからか僕を呼ぶ声が聞こえると思ったら、綾駒さんが向かいのホームで手を振っている。


「頑張って、あと一人勧誘かんゆうして、絶対に部に昇格しょうかくしようね!」

 綾駒さんが続けた。


 こんなふうに、向かい合ったホームで遣り取りするって、僕が「彼女」とやってみたかったことの一つだ。


 このシチュエーションって、すごく、青春してるって感じがする。


「うん、頑張ろー!」

 ホームは帰宅する人で混んでいて、他の人の目が気になったけど、僕も大声で返した。


 ホームとホームの間に電車が滑り込んできて、僕達は別れる。



 電車に乗ってもまだ、綾駒さんの柔らかいものが触れていた僕の右腕が熱かった。

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