第23話 部屋という名の地下牢


 食事を終えてから、僕はジェリーとトーズが紹介してくれるという安い宿へと拠点を変えるため、たった一泊だけした高い宿を大きな荷物を背負って後にした。

 本がずっしり詰まったトランクは重く、とてもひとりでは持てないのでトーズに手伝ってもらい、ふたりして肉体強化の魔法を使いなんとか運ぶ。


「にしてもクソ重ぇなぁ、何入ってんだよこの箱」

「僕にとっての金銀財宝さ」

「え、まじかよ。盗むんならシケた財布じゃなくこっち盗むんだったなー」

「ほんと懲りないねトーズ……次は椅子になるだけじゃすまないよ。それにこれは僕以外には価値のないものだよ」


 トランクを持ってよたよた歩きの僕とトーズ。そして軽い荷物を持ってくれてるジェリーとで、お勧めの安宿へと向かう。

 途中、ジェリーは何度かトランク運びを手伝おうとしたが、トーズはジェリーにはかたくなに手伝わせなかった。乱暴だしめちゃくちゃなヤツだけど、女の子には優しい所もあるんだなぁと少しだけ関心した。



 細い路地を何度か抜け、すれ違いざまに暴言を吐く汚れた服を着た大人や冒険者たちを無視し、たどり着いたのは、2階建ての宿屋というにはいささか小さな家だった。

 そう言っても僕の知っている宿屋は一泊だけした、窓ガラスがあり部屋ごとに使用人がいる宿だけだ、これでも立派な方かもしれない。


 たてつけの悪そうな窓は風に揺られてキーキーと音を立てているけれど、その隙間の空いた窓からは何やら楽しそうな会話声が漏れ聞こえていた。

 看板を見れば「宿 尾っぽ亭」と書かれていて、何かの尻尾のようなイラストが添えられていた。



 宿の扉を開けば、受付のようなカウンターの奥で会話している中年の夫婦がいた。

 ふたりは白髪交じりの短めの髭を蓄えた男性と、優しそうなふくよかな女性で、仲睦まじそうに見えた。


「ランディのおっちゃん、ジーナさん、昨日言ってた子を連れてきたよ」


 ジェリーがカウンターにいた二人に声をかけると、僕らに気づいたのか、奥から二人がやってきた。


「あんたが怪我を治したって子だね、やっすい空室があるといえばあるよ」


 褐色の肌をした背の小さいふくよかな女性がにこやかに笑いながら近づいてくる。その隣には鼻の下と顎に少し髭を生やした夫が、うんうんと頷いていた。


「急なお話にもかかわらず、お部屋を用意してくださったことに感謝致します」


 頭をさげ、以前家庭教師に習ったように敬意を払う。

 僕の様子に夫婦は固まると、何故か二人で顔を見合わせた後に、驚いたような顔でトーズを見ながら言った。


「家出だとしたらうちに置くわけには行かないんだけどねぇ、どこでこんな上品な子とあったんだい?」

「こう、あれだよおばちゃん。路地裏でグーーゼン出会ったんだよ。よくあるだろ、な?

 んで家族もういねーんだって、身一つで来たとかなんとか……だよなレオ?」

「あーそうだねぇ」


 トーズは素直に言っては怒られるとでも思ったのだろう。濁しに濁しまくって僕に同意を求めてきたので、僕も苦笑いしながら頷いた。

 僕もありのまま昨日の出来事を説明しようとは思わなかった。出会い頭の出来事はもう水に流すつもりだったのだ。


 この宿の経営をしている夫婦。ランディさんとジーナさんは元は共に冒険者家業をしていたが、ランディさんの怪我を期に引退し宿屋の経営を始めたらしい。

 奥まった立地にあるせいで特別繁盛してはいないが、宿泊料は安く、駆け出しの冒険者たちの穴場になっているそうだ。


「客を泊めるには向かない、使い道のない部屋があるのよ」

「夫婦の寝室用にって俺が作ったんだが、使い心地が悪くてな。食糧庫にしようかと思ったんだが、今の食糧庫でも十分余裕があるし、料金を割り引いて客を入れてもそれは不評の不評でなぁ」


 安い宿泊料をさらに安くしても、客に不評が出るほど使い心地が悪いって、どれほどのものだと嫌な想像がたくさん頭をめぐる。

 吹きさらしなのだろうか、冬は雪にでも埋もれる部屋なのだろうか、それとも蒸し風呂のように熱いのだろうか。


「とりあえず見てみるかい? あたしが案内するよ」

「お願いします」


 先のことを考えると宿代はなるべく安く抑えたい。見るだけは見てみよう。格安でも客が入りたがらない部屋というものにも少し興味がある。

 ジーナさんの後をついてゆく、客室のある二階へと向かうのぼり階段の陰に隠れている扉を開けば、地下へとおりる真っ暗な階段があった。

 真っ暗で先に何があるかは一切見えない。まだ昼間だというのに、光の一切入らない冷たい真っ暗な階段だった。

 何があるわけでもない。ただの地下へと続く真っ暗な階段だけなのに、僕は本能的になんだか怖くなった。


 くらい階段を前にごくり、と生唾を飲み込んだのは僕だけではなく、ジェリーも同じだったようだ。怖いのか、僕の後ろに隠れて服の裾を掴んでいる。どうやら盾にされているみたいだ。

 背筋が寒くなっている僕らの横でトーズの顔も青い、案外こういうの怖いんだと何となく安心した。自分より暗闇を怖がっている人間が近くに居ると、しっかりしなきゃと安心するのだろう。


「不気味だろ? ランプがあるから大丈夫よ」


 そう言ってジーナさんはロウソクを立てたランプを手に持つが、橙色の弱い光が揺れて、僕らの影を歪めながら階段を照らすのだが、それが更に不気味に感じさせられた。


 ジェリーに盾にされながら、ジーナさんの後に続きながら地下室へと降りる。このおどろおどろしい地下への道に僕の背中には冷や汗が伝う。


 しばらく階段を降りると、短く暗い廊下が待ち構えていた。廊下の両脇にはそれぞれ木製の扉があり、一つは食糧庫、もう一つは雑な文字で「客室」と書かれていた。


 客室と書かれた扉を開けばそこは――


 まさに地下牢と呼ぶにふさわしい場所だった。




「わお」


 思わず声が出る。横のトーズも僕と同じく地下牢だと思ったのか、頬を引きつらせている。

 天井近くのとても小さな小窓から、かろうじて明かりが差し込むだけで、照明器具は見当たらない。小窓の下の明かりが届く範囲に、黄ばんだシーツを掛けられた、ワラを詰めたベッドとその下にペラペラの一枚布のような絨毯があるだけだった。

 テーブルも椅子もない。トイレさえつけ足せば立派な地下牢がそこにはあった。



「……うちの人は、ドワーフとのいの子でね。古来のドワーフたちが住む洞窟王国に憧れてたのよ、私たちの寝室はドワーフ王国の王家の寝室にしよう! ってね。

 作りたてはそれはもう、魔石を使った明かりに照らされて、幻想的で素敵だったのよ」


「それが、どうしてこんな地下ろ…じゃなかったステキな客室に?」


 きっと何かとんでもない事件があったのだろう。きっとおばけが出るとかおばけが出るとか、おばけが出るとかだ。

 僕の質問にジーナさんは神妙な顔をして、小さくため息をついて言った。


「光熱費がバカにならなかったの」

「ええ?」


「ただ部屋を明るくするだけなのに、宿の儲けは海の水のように使われ、消えていったわ……

 それで、寝室を元の一階に戻したから、この地下室があいたのよ。魔石は高いし、ロウソクも日に何本も使うから費用がかさむ。とてもじゃないけど明かりは付けられなくてね。

 真っ暗な地下室は罪人みたいだって、お客も嫌がってずっと空き部屋なのよ」

「なるほどー」


 いわれてみれば確かに地下牢にしてはかなり広い。僕の昨日まで泊まっていた宿や、実家の元僕の部屋よりも広いんじゃないだろうか、内装さえきちんとしていれば快適な部屋として使えるだろう。

 幸い僕には机用だか聖女様から頂いた照明器具はあるおかげで、ロウソクにお金を使いすぎることもない。


 格安で長期的に借りれて、内装をある程度好きにできるとしたら、かなりの良物件じゃないだろうか。


「ここって借りる場合って好きに机とか持ち込んでもいいんですか?」

「あぁ今は何もないからね、好きにしてもらっても……って、あれまぁ。この部屋を借りるのかい?」

「レオ、お前そんなに金に困ってたのか? 別に地下牢に住むこたぁねえよ、俺らの基地に入れてやんよ?」

「こら、ジーナさんに失礼だよトーズ。内装を好きに出来るならお得じゃないかなぁって思ってさ。地下牢は実家にもあったから割と平気だしね」

「あんたも失礼だよ」


 苦笑いしながらジーナさんが言う。

 ジェリーはまだ怖いのか、僕の服の裾を掴みながら聞いてきた。


「地下牢があるなんて、レオの家はすごいお金持ち家だったんだね」

「兄がよく使ってたからあまり中は見てないけど、あるにはあったよ」

「兄ちゃんがよく入れられてたなんて、厳しいお父さんだったんだね」

「……まぁね」


 ジェリーはどうやら勘違いしているっぽいがあえて訂正することもないだろう。

 実家の地下牢は、ほぼ兄専用であった。

 よく悪いことをするらしい兄専属の使用人を入れるのだ。夜中に近くを通ると、「あ、ああ……」と唸るオバケの声が聞こえような怖い部屋に、使用人を入れて反省させていたのだろう。


 姉に地下室のオバケの事を聞くと、凛々しい姉も怖さのあまり青い顔で「吐きそう」と言うほどだ。オバケの住む家に育ったと思われるより、兄の反省室として地下牢を使っていたと思われたほうがまだマシなので、ジェリーの勘違いは放っておくことにした。


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