1-SP5 スヴェトラーナの仕事2


 夕御飯を食べ終わってすぐのことです。

 夕御飯と言うだけあって夕刻です、日が傾いていく頃です。

 ご飯が終わると、ボグダンさんはすぐに外に出てしまいました。

 こんな時間から外に出てしまうと、帰ってくる頃には真っ暗になってしまいますよ?

 昨日もそうでしたけど、どこに行っているのでしょうか……


「温泉に行くにはもう遅いので、お風呂に入りましょう」


 ミレルさんは、気にすることなくそう言います。

 水浴びでもなくサウナでもないのですね?

 温かいお湯に浸かりたいそうです。

 お湯に浸かる魅力というのは恐ろしいものです。

 わたしも温泉に浸かって、気持ち良いと思いましたから仕方のないことです。

 しかし、お湯を沸かして入るなんて……元は普通の村娘だというミレルさんも、貴族の贅沢を知ってしまったのですね。


 あ、分かりました。

 これは仕事です!

 わたしはお湯の温度を調整する役目ですね。

 火を起こして薪をくべるのです。

 初めての仕事です!

 頑張りますよ!!


 と思ったのに、まさか一緒にお風呂に入る側でした。

 ここでも魔法具です。

 水を出すのもお湯にするのも魔法具です。

 なんて便利なんでしょうか。

 水を川から運んでくる必要も無ければ、火を起こして調整する必要も無い。

 時間も人の手が掛からないので、確かにわたしの仕事は無さそうです。

 わたしのすることがないからって、わたしの所有者の奥様と一緒にお湯に浸かるとか、なんかおかしくないですか?

 ボグダンさんと一緒に入るとしたら、その理由が明確なので、それはおかしくないと思うのですが。

 ミレルさんと一緒に入ってしまった以上、わたしはお背中を流せば良いのでしょうか?

 ミレルさんは鼻歌まで歌って、なぜそんなに楽しそうなのでしょう?


 そんなことを考えていると、白いものが視界に入りました。

 泡です!

 ミレルさんがタオルのようなものをもふもふすると、泡がたくさん出てきました!

 これも魔法具ですね!!

 泡の出るタオルでしょうか?


 あれ、ミレルさん?

 なぜ奥様が泡タオルを持って、わたしの方を向いているのですか?

 あぅ!?

 ミレルさんが泡タオルをわたしに擦りつけてきました!?

 ふわふわしていて気持ちが良いです?!

 ひゃぃ!?

 そのふわふわがわたしの背中を這い回ります!

 あ、これは、わたしが背中を流されているのですね!?


 そうじゃないのです、逆なのです!!

 わたしが背中を流さないといけないはずが、なぜ逆に洗われているのでしょうか!?

 ミレルさんは笑顔で、わたしの色々なところに泡タオルを走らせます。

 ちょっと待ってください!

 何でそんなに嬉しそうに、同性の奴隷を隅々まで洗うのですか??

 ミレルさんはそういう趣味なのですか??


「こうしていると妹みたいね」


 ミレルさんは楽しそうにわたしを泡に埋めながら、そんなことを言います。

 妹さんがいるのですね。

 ミレルさんはわたしより2〜3歳くらい年上に見えますし、丁度わたしは妹さんと同じぐらいの歳なのかも知れません。

 胸やお尻の肉付きも、少し大きいだけですし。

 負け惜しみじゃないですよ?


 そんなとき、少しミレルさんの顔が曇りました。

 わたしの首に泡を盛ろうとしたときです。


「首のこれ……洗いにくいわね。外せないのかしら?」


 ミレルさんの言う『これ』とは、きっと首輪のことです。

 簡単に外せたら奴隷の証になりませんから、わたしには外せません。

 それに、外したら死ぬと脅されました。

 外したことが無いから、死ぬのかどうか分かりませんが、死ぬのはイヤですので、外すのが怖いです。

 ミレルさんが外したいみたいで、少し見ていましたが、すぐに諦めました。


「無理に引っ張っても痛いだけよね?」


 そう言ってミレルさんは、もしゃもしゃとわたしの頭に泡を擦りつけます。

 違いました、これは頭を撫でてくれているのです。

 やっぱり、お姉さんは世話を焼きたいのでしょうか?

 少なくともわたしはそうです。

 故郷ではお姉ちゃんとして、弟や妹の面倒をみていました。

 面倒を見ることでミレルさんが満足できるなら、わたしはされるがままでいるのが良いのかも知れません。

 泡が気持ちいいとか、そんなことは思っていませんからね?

 わたしが納得しようとしていると、今度は別の泡で髪の毛まで埋められてしまいました。

 泡で埋めている間に、ミレルさんの顔はまたにこにこ顔に戻ってきました。

 ミレルさんの顔は、曇っているより晴れている方が魅力的です。


 そして、わたしの視界は真っ白になってきました。

 すごいです。

 この部屋には泡しか有りません!


 と感動していると、勢い良く細かなお湯が噴き出る物がわたしに向けられました。

 温かいです、気持ちいいです。

 少しくすぐったいです。

 どんどん泡が流れていきます。

 これは『シャワー』と言うらしいです。

 白かった視界に、また石造りの壁が戻ってきました。

 頭の天辺から足の先まで丁寧に洗われて、今までに感じたことが無いくらいとてもサッパリしましたが、恐れ多くて居たたまれなくてなんだか恥ずかしいです。

 奴隷のわたしなんかを洗うとか、もう止めて欲しいです。申し訳ないです。


 と思ったら、次は髪の毛にねっとりとした物が塗られました。

 こ、これは、な、何ですか?

 油のようなヌルヌルとしたものです。

 何となく怪しげです!

 なんだか、いやらしい雰囲気を感じます!!

 ここからが本番でしょうか?!

 やっぱり、ミレルさんはそういう人なのでしょうか?

 その割には、とても爽やかな匂いがします。

 ミレルさんはわたしの髪の毛に、その怪しげな物を丁寧に塗り込んで、少し待ってから洗い流してしまいました。

 終わりですか?

 終わりなのですか??


 洗い流し終わると、髪の毛がとてもつるつるしっとりとしました。

 ばさばさだったわたしの髪の毛が、ミレルさんの髪の毛みたいにキレイになった気がします。

 いえ、言い過ぎました。

 今のは『コンディショナー』と言うものらしいです。

 これもボグダンさんの魔道具による物らしくて、ミレルさんも詳しくは知らないみたいでした。


 何だかすごい事になってしまいました。

 わたしをキレイにしてしまうなんて、やっぱりミレルさんはボグダンさんの奥さんです。


 そして、いつの間にか、わたしが背中を流す暇もなく、ミレルさんは自身を洗い終えていました。

 わたしだけが洗われてしまったなんて、立場がおかしいです。

 頭がぐるぐるします。


 そして、一緒にお湯に浸かりました。

 あ、汚いわたしが許せなかったんですね。

 そうですね、きっとそうです。

 だから、キレイにしたんです。


「また一緒に入りましょうね」


 ミレルさんが微笑んでいます。

 どうやら違うみたいです。

 やっぱり、お姉さんは世話を焼きたいみたいです。

 わたしの手も必要ないと言ってしまうボグダンさんは、少しも世話を焼かせてくれないでしょうから、世話を焼く相手が欲しかったのかも知れません。

 一緒に入ることが許されるなら、わたしもまた入りたいです。


 お風呂から上がると、次は勢い良く風の出る魔道具が向けられました!

 飛ばされてしまいそうです!!

 嘘です。

 頭にしか風が当たっていないので、飛ぶことはないです。

 でも、全身にこの風を浴びたら、前に進むのが難しくなるぐらい強いです。

 ミレルさんが何をしたいのか分からないので、わたしはどう反応したら良いのも分かりません。

 折角しっとりしている髪の毛が、ばさばさと舞っています。

 作った物を壊す喜びを感じているのでしょうか?

 残念に思います。

 でも、されるがままです。

 しばらくミレルさんが、風を当てながらわたしの髪の毛を弄っていましたが、すぐに終わりました。

 終わってみれば何がしたかったのか分かった気がします。

 わたしの髪の毛がさらさらになっていました。

 すごいです。

 魔法のようです。

 いえ、魔法なんですけど。


 更に更に、しっとりとした水とかこっくりとしたミルクとか、また身体や髪の毛に塗りたくられました。

 さっきは泡だったので、あまり感覚がありませんでしたが、今度はミレルさんの手が直接触れています。

 お風呂に入って気持ちの良い思いをしてましたから、今の状態で色んな所を触られると、わたしも何か込み上げてくるものがあります。

 遂に遂に、今度こそ、本番なのでしょうか??

 このためにわたしをキレイにしていたのでしょうか??

 こういうゆっくりとゆっくりと気持ち良くさせて、相手をその気にさせる行為がスキなのでしょうか?

 デリケートな部分を触らないことを、もどかしく思って来てしまいますよ……わたしはミレルさんの術にハマってしまうのでしょうか?!

 流石は大魔法使いの奥さんです!

 

 ミレルさんは、わたしの全身にくまなく水やミルクを塗り終えると、ピタリと止めてしまいました。


 あれ?

 終わりですか?

 終わってしまうのですか?

 ……名残惜しいとか思ってませんよ?


 そして、わたしに塗った物と同じ物を、ミレルさんは自分に塗っています。

 手伝った方が良いのでしょうか?

 ですが、ミレルさんの足に触れると、くすぐったがってたおやかに押し返されてしまいました。

 酷いです。

 わたしにはあんなに触っていたのに……

 はっ!? 間違えました。

 身分をわきまえないといけません。

 奴隷の身で不公平を嘆くなんておかしな話です。

 危ないです、ミレルさんは色々な意味で魔性です。


「この魔道具もボーグがくれたのよ? 肌がすべすべになるでしょ?」


 言われて自分の肌を触ってみました。

 驚きました!

 ボグダンさんに治療してもらったときに、一度肌がすべすべになったのですが、領主様のお屋敷で仕事をしていたら、また指ががさがさになっていたのです。

 それが、今はしっとりすべすべとしています。

 普段服で隠れているところを触れば、まるで吸い付くかのようです!

 すごいです!

 だから、農作業をしているはずなのに、ミレルさんはこんなにキレイな肌なのですね。


 あっ!?

 ようやく理解しました!

 わたしはバカです……今やっと理解するなんて。

 ミレルさんが自身をキレイにしているのは、ボグダンさんに喜んでもらうためにしているのです!

 ボグダンさんに触れられたときに、ボグダンさんがもっと触りたいと思えるように──満足してもらえるようにしているのですね!

 だから、ミレルさんはわたしもキレイにしたのです!

 ボグダンさんに捧げるために!!


 謎が解けて良かったです。

 そしてとても納得が出来ました。

 わたしの役目として、その時がやって来たときに備えるためだったのですね。

 つまり、もう既に、わたしの仕事は始まっていたのです!

 ミレルさんは、わたしに仕事を教えてくれていたのです。

 自分をキレイにするという仕事を。

 これが仕事なら、わたしはこの仕事をやっていきたいと思います。

 もちろんこれだけじゃ足りませんから、もっとボグダンさんに満足してもらえる仕事を探さねばなりません。

 もっとボグダンさんがスキなことが分かれば、仕事も見つけられる気がします!


 ミレルさんのおかげで、視界が明るくなりました。

 こういう仕事の見方もあるのかと、気付かされました。

 ミレルさんは、「なぜ分からない!」って怒るのじゃなく、なんと優しく教えてくれることでしょうか!

 ミレルさんも天使なんじゃないんですか?


 え? 違います?

 じゃあやっぱり聖女ですね。

 最低でも聖女です、ここは譲れないです。

 だったら尚のこと、ボグダンさんだけじゃなく、ミレルさんの役にも立つ仕事をしないといけないと思います。

 いえ、元からそうでした。

 ボグダンさんの奴隷になったと言うことは、このお屋敷の下女です。

 お二人の役に立ってこそ下女です。

 わたしのやる気は今までになく高いですよ!!

 さあ、仕事を探しましょう。


 そんなわたしを見て、ミレルさんがクスリと楽しそうに笑いました。

 どうやらわたしのやる気が溢れ出て、ミレルさんの処まで届いてしまったようです。

 わたしもえへへと笑って返します。

 笑っていられるなんて、とても優しい空間です。

 幸せなことです。

 二人でにこにこしながら服を着ました。


 そんなとき、わたしの耳が小さな音を捉えました。

 わたしの耳は雪深い故郷の山で鍛えられています。

 地下室なので方向は良く分かりませんけど、確かに遠くから音が聞こえました。

 ミレルさんの方を向いても、わたしが顔を向けたことに可愛く首を傾げただけで、音には気付いてないみたいです。

 何でしょうか……この地下室はボグダンさんの作った物で、ミレルさんとわたし以外には誰も居ないはずです。

 いえ、もう一人、ボグダンさんなら居る可能性があります。


「ボグダンさんはこの地下室に来ていますか?」


「うん? ボーグならたぶん来てるわよ? 毎日夕御飯を食べた後は、ここに籠もって夜遅くまで魔法の研究をしてるみたいだから」


 それならボグダンさんなのでしょう。

 ボグダンさんが、ご飯の後に何処かに出掛けていたのは、ここでしたか。

 あんなに魔法が使えるのに、それでも魔法研究を続けているんですね。

 続けているからこそ、お屋敷や医院にあんなにもたくさんの魔法具が溢れているんでしょう。

 時には失敗して爆発したりするんでしょうか?

 そう言えば、何かを叩くような音だった気がします。

 でも、地下室という狭い空間なのに、やけに遠くから聞こえました。


「この地下室は広いのでしょうか?」


「わたしが見ていたときは、後二部屋ぐらいしか無かったのだけれど……」


 少なくとも、二部屋程度の近い位置で聞こえた音ではありませんでした。


 ミレルさんは、眉尻を下げて困ったような笑顔を浮かべています。


「ここを作ったのはボーグだからね……今がどうなっているのか分からないわ」


 言いたいことは分かりました。

 2日であの温泉を完成させてしまうのですから、もしかしたら温泉と同じぐらい、この地下室が拡がっているかも知れません。

 どんな世界があるのか、少し探検したくなってきました。


「ボグダンさんが遠くで大きな音を立てているみたいです。見に行ってみませんか?」


「そうなの? ボーグが音を漏らすなんて珍しいわ。心配はないと思うけど、何かあったのかも知れないから見に行ってみましょう」


 ミレルさんは落ち着いているものの、急いで服を整えています。

 気になるんですね。

 わたしもすぐに整えて、部屋を出ました。


 来るときには気付かなかったですけど、途中に通ってきた研究部屋にベッドが置いてあります。

 ミレルさんはそのベッドを見て微笑んでから、出口とは別の扉を開けて進みました。

 その先は廊下を少し行くと、すぐに階段に出ました。


 真っ直ぐですけど、長い長い階段でした。

 階段はとても明るかったので、普通に歩けました。

 でも、地底深くにある地獄アーダカの入口なんじゃないかと思うぐらい、とても長かったように思います。

 半分嘘です。

 長かったけど、普通に階段の終わりまで降りれましたから、そこまで長くはないです。

 半分本当なのは、ここが地下とは到底思えない景色が、目の前に拡がっていたからです。

 横に立つミレルさんも唖然としなが、目の前の景色を眺めています。

 わたしもそうです。

 地下深くまで降りてきたはずなのに、外のように明るいです。

 上を見上げれば、夕焼け空が見えます。

 風も吹いています。

 ここはどこなんでしょうか?

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