1-022 似たような条件が揃えば、似たような結果が得られるようで
『
ほぼ下着姿の彼女が、小さい何かをネブンに突き刺している。
「ぐがああぁぁぁ! 痛いぃ痛いぃぃぃ!!」
痛みに呻くネブンは、スヴェトラーナを蹴って引き剥がす。
蹴られたスヴェトラーナは、反対側の『
彼女の手元で光るのは、肉料理を食べるときに使うテーブルナイフのようだ。
周りで怪我を負ってる人たちも、そのナイフでネブンに刺されたのかな……?
って、悠長に見てる場合じゃない!
僕は今、『
二人同時に治療が
テーブルナイフだから、あまり傷は深くないのだけど、まずはネブンに『
すると回復したことで痛みがなくなったのか、ネブンが転げ回るのをやめ、起き上がってスヴェトラーナを油断なく睨みつけた。
「ボグダンさん! なんで回復させたんですか!? あのままいけば殺せたかも知れないのに!!」
悲痛な叫び声を上げながら、スヴェトラーナが僕を責めてくる。
そりゃそうだ。
折角のチャンスを止めたんだから。
この子はネブンに恨みがあるから、殺したいという気持ちも本物だろう。
止めたことで僕を恨むかもしれない。
でも、彼女にこのまま殺させるわけにはいかない。
彼女がより危険だからだ。
「君がネブンを殺したら、間違いなく死罪になるんじゃないかな?」
奴隷の身分で主人を殺したなんて、僕のファンタジー知識では確実に死罪だ。
折角、嫌な環境から抜け出すために奮闘したのに、その結果自分が裁かれて死ぬなんて、バカバカしいにも程がある。
それなら逃げる方が良い。
「でも、ここで止めないとみんな死んでしまいます!」
そう、スヴェトラーナの言うことも確か。
今ここでみんなを回復させても、またネブンが同じことを起こす可能性があって、その時は誰かが死ぬかもしれない。
最悪、全員死ぬかもしれない。
それは絶対に阻止すべきことだし、ネブンを殺すしか手段がないっていうなら、そうする必要があるけど……
理解し合えないなら力尽くで排除する。
それはネブンの考え方と、どう違うのだろうか……?
結局、自分が相手を受け入れることが出来ないから──言うなれば自分が嫌だから相手を攻撃してるだけ。
結果だけ見れば、それはネブンと同じことをしているように感じてしまう。
僕が躊躇い続けている原因はそこにあると思う。
「力で言うことを聞かせる。やっぱり人間なんてそんなものかな……?」
確かに、正義の名の下に、悪を罰するのは、後ろめたさが全くないし、むしろ良いことをしているという思いがあるから、気持ち良く実行できて、やった後はスッキリするだろう。
でもこれを、自分が正しいと思っていることを、自分より弱い立場の者にまで適用してしまえば、それはネブンと同じになるんじゃないかな?
彼にとっては自分が正義で、理解しない人たちが悪なんだから。
彼の
そこが重要なのかも知れないけど……
僕は魔法という強い力を持ってしまった。
使い方によっては、ネブンを殺すことも簡単だと思う。
例え、安全装置と言えるような仕組みが、ひとつの魔法に組み込まれていたとしても、『
だから、僕が魔法で殺してしまうのは間違っている気がする。
簡単に人の命を奪えるようになってしまったからこそ、慎重に考えないといけないように思う。
生物は死ねばそこで終わりだ。
転生した僕が言うのも変だけど、本来その先に希望はない。
だから、やっぱり簡単に死を選ぶのは間違いだ。
他の可能性にも目を向けるべきだろう。
そう、可能性だ。
色んな人に聞いてみて、彼の性格を変えることが、難しいことは分かってるけど……
でもまだ試していない。
可能性は考えてるだけじゃダメだ。
試さずに可能性を否定するのも間違ってると思う。
「ネブンが変わる可能性があるとしたら、どんな方法があると思う?」
だから、二人にも可能性を聞いてみた。
「お前! 何を言ってやがる! オレが変わる必要なんて無いだろうが!!」
ネブンが何か騒いでるけど、その意見は求めていない。
というか、そう言ってる時点で変わらないといけないと思う。
煩いので、ネブンの回りに
ミレルは驚いた顔で口を押さえて僕を見ている。
とりあえず、すぐに案は出て来ないようだ。
スヴェトラーナはすぐに口を開いた。
「自分のしたことを理解させないと、人間は変われないですよ! 勝手に変わるのを待ってて、被害者が増えるのはダメだと思います!」
スヴェトラーナが必死に訴えてくる。
確かにそうだ。
この件に関して、スヴェトラーナは正しい意見を言えてると思う。
今回の事件は、僕が可能性を探すだけして、ネブンを眠らせる以外何もしなかったから起こったことだ。
「ボグダンさんが悪いわけじゃないんです。眠らせる
スヴェトラーナが僕を擁護してくれる。
僕だけの所為ではないと言ってくれてるんだね。
でも、ネブンが暴走する切っ掛けを与えたのは僕だ。
だから、これ以上は問題を起こさない。
可能性を感じたら、すぐに実行する。
まずは、彼女の案からだ。
結局、シシイの案と同じになるのだけど……
確かに、痛みを与えるだけで、その痛みがどんなものか知らないから、簡単に人へ苦痛を与えることが出来るのかも知れない。
その痛みを知れば、人の苦しみも理解できるかもしれないね。
「分かった。まずは、スヴェトラーナの案を試してみようと思う。僕が殴ってみれば良いかな?」
「ボーグはそんなことしちゃダメだと思う!」
「ボグダンさんがしちゃダメだよ!」
なぜかステレオで否定された……
え? なんで? 僕が弱そうだから?
ミレルとスヴェトラーナが顔を見合わせている。
「ボーグには、わたしたちが上手く出来るか、見守ってて欲しいと思うの」
そう言いながら次のカボチャに手を伸ばすミレル。
いや、ミレルにさせる気も無いんだけど?
「あの……なんというか……ボグダンさんには似合わないです」
そう言いながら目を伏せるスヴェトラーナ。
なんか本気で弱そうと思われてる気がする……
そう言われても、女の子たちに任せるのはどうなの?
「こいつは、見下してる相手から仕返しされてこそ、理解すると思います。それに丁度、わたしはボグダンさんの張った結界の中に居ますから、わたしがやります! ボグダンさんは、わたしが対応できなくなったらフォローをお願いします」
スヴェトラーナさん、男前!
ミレルやスヴェトラーナに渡した魔石だと、持ち主しか回復魔法の対象に出来ないようにしてあるから、ネブンに回復魔法を掛けられるのは僕だけだ。
それに、問題が起きたときに、ネブンを隔離することが出来るのも僕だけだし、僕は外から冷静に観察している方が良いのかも知れない。
でも──
「スヴェトラーナは痛いのがイヤなんじゃなかったの? ネブンが大人しく刺されてるとは思わないよ?」
「一方的にやられるだけの、何も生み出さない痛みがイヤなだけです。何か変わるかもしれないなら大丈夫です! それに、ボグダンさんが回復してくれるんでしょう?」
疑いのない笑顔で、僕に確認してくるスヴェトラーナ。
「回復するのは、ネブンもスヴェトラーナもどっちもね。分かった。じゃあ、僕は観察と回復に専念するから、お願いするよ」
だから、ミレルはカボチャを置いておこうね?
カボチャを投げて、スヴェトラーナに当たっても困るし。
方針も決まったので、僕は『
「な、何を勝手に決めてやがる!」
すぐにネブンの怒声が聞こえてくる。
怒りがちょっと弱まって、動揺してる感じがするけど、気のせいかな?
とりあえず、ネブンにも分かるようにしっかり説明しておこう。
「ネブン。お前のしでかしたことは、人として許されないことだと思う。今のままだと、お前はまた同じことを繰り返すよね?」
「オレが領主になって全てを決めるんだ! 何が悪いってんだ!」
本当に呆れるしかない物言いだな。
やっぱり理解できないのかな?
「何が悪いかを理解する必要があるんだよ。とりあえず、まずは人の痛みを知ってみるところから始めようか」
「そんなもの知る必要がない!!」
「それを知らなければ、決して良い統治者にはなれないよ。世界の歴史を見ても、そんな統治者は領民を苦しめて、いずれ打倒されるだけだ」
話は終わったと、僕はスヴェトラーナに視線で合図を送る。
彼女は手に持ったナイフを構え直し、ネブンを睨む。
彼女だけナイフを持ってるのも卑怯かな?
と一瞬思ったけど、元々ネブンは権力を
「奴隷の分際で、オレに歯向かうなど! 絶対に許さんからな! お前は苦しめて殺してやる!!」
ネブンはまだ懲りずに、スヴェトラーナへ怒鳴り散らし続けている。
まともに戦闘はしたことがないのか、怒鳴るだけで前に出ようとはしない。
本当に抵抗できない相手にしか、攻撃出来ないのだろうか……
スヴェトラーナは、そんなネブンの叫びに耳を貸すことなく、ネブンの腹をナイフで突く。
慌てて右半身を後退させて避けるネブン。
しかし、すぐに『
止まったネブンへ、もう一度スヴェトラーナのナイフが迫る。
「ぎぃぃやああぁぁぁぁ!」
ネブンが大袈裟に悲鳴を上げる。
ちゃんと刃のついた、裂くためのナイフじゃなくて、鋸刃のテーブルナイフだからね……あんなの刺さったら痛いのは確かだ。
でも、それと似たようなことを、ネブンがしてきたのも確かだ。
そして、スヴェトラーナはすぐにナイフを引き抜き、次は足を狙う。
「調子に乗るな!」
ネブンが怒声を上げながら、スヴェトラーナの露出した腹部へ右手を突き出す。
ネブンの右手はスヴェトラーナの左脇を捉え、スヴェトラーナのナイフはネブンの足から逸れてしまった。
「ぐぅぅっ!」
スヴェトラーナは歯を食いしばって悲鳴を抑える。
殴られて下がるかと思ったけど……後退することなくもう一度ナイフを構えて、ネブンの腕を狙う。
ネブンとは気迫が違う。
ネブンの右腕をナイフが走り、長く浅い傷を作っていく。
「があぁぁ!」
ネブンが腕を逃がすために後ろに振った。
赤い線を空中に書きながら、ネブンの右手は『
血の線……?
ネブンはそこまで血を出していないはずだ。
血はネブンの右手の先から床へと落ちた。
いや、良く見ると、ネブンが右手にフォークを持っている。
いつの間に拾ったんだ?
ネブンが自分から動かなかったのは、確実に突き刺すためだったのか……
スヴェトラーナの脇腹には、抉れたような傷が出来ており、血が流れ出していた。
それでもナイフを構え、ネブンをしっかり見据えている。
回復は……
スヴェトラーナがネブンを睨んだまま、僕に掌を見せた。
まだ大丈夫だと。
ネブンと対等な状態で、戦ってやろうという意思を感じられる。
スヴェトラーナは意外に負けず嫌いなのかな?
こんな根性無しに負けてたまるか、っていう気概が見える。
一方、ネブンは驚愕の表情を浮かべて、『
完全に気後れしている。
スヴェトラーナへ暴行した経験から、さっきの反撃で彼女が攻撃を止める、と予測していたのだろう。
これは勝敗は決まった。
後は、ネブンが僕の言葉を聞いてくれれば良いんだけど……
「ネブン。痛みや恐怖を理解したか?」
「ウルサイウルサイ! オレにこんなことして、ただで済むと思うなよ!」
やっぱり聞かないか……
「ボグダンさん……ネブンは、わたしが悲鳴を上げても、どれだけ嫌がっても止めませんでした! 気絶するまで続ける男です。理解させるなら、そこまでするべきです!」
スヴェトラーナから力強い意見が提案された。
そうだね、同じだけの痛みや恐怖を感じずに、真に理解することは不可能だろう。
人間、同じ環境に立たされないと、本当の意味で相手を理解できないものだ。
ここには、スヴェトラーナしかその体験をした人が居ないのだから、その痛みを伝えることが出来るのは彼女しかないだろう。
多少は、恨み辛みが上乗せされた攻撃になるだろうけど、それは殺さない範囲で
「分かった。もう少し続けよう。身体の状態は魔法で監視してるから、どちらも危険になったらすぐに回復する。だから、安心して続けてくれたら良いよ」
スヴェトラーナが笑顔で力強く頷き、ネブンが引き攣った顔で首を左右に振る。
だからといって、スヴェトラーナは止まることなく、次の一刺しをネブンに叩き込む。
腕でナイフをガードするネブン。
ナイフはその腕に浅く突き刺さる。
「があぁぁぁ!」
ネブンの悲鳴が上がる。
ネブンは反対の手でスヴェトラーナを押し退ける。
スヴェトラーナは押されるままに一旦退いて、また次の攻撃を繰り出す。
刺される度にネブンの悲鳴が上がる。
「だから、調子に乗るなと言ってるだろぉ!!」
ネブンがまだ持っていたフォークを繰り出す。
スヴェトラーナは何とかぎりぎり、ネブンの腕の内側を左手で叩き、彼の攻撃を逸らす。
フォークがスヴェトラーナの喉を掠める。
スヴェトラーナはこのチャンスを逃さず、フォークを持ったネブンの右腕を狙う。
ネブンが慌てて腕を引き戻す。
だが、間に合わず、ネブンの腕に赤い線が引かれる。
「ぐぁぁ!!」
またネブンの悲鳴が上がり、彼は反射的に腕を伸ばした。
その先端のフォークがスヴェトラーナへ迫る。
予想外の軌道を描くフォークを、スヴェトラーナは回避できず……
「ああぁぁぁ!!」
スヴェトラーナが叫び声を上げて、後ろに下がりながら、左手で顔を覆った。
フォークはネブンの手にはない。
顔を覆ったスヴェトラーナの手の隙間から、フォークが飛び出ている。
位置的に、恐らく左目の瞼に刺さったようだ。
ネブンが、苦しそうな声を上げるスヴェトラーナを見て、口の端を上げた。
決定的なダメージを与えて、ネブンに余裕が戻って来つつある。
これはさすがにヤバいか……
スヴェトラーナを見れば、怪我をしていない反対の目で、まだネブンを睨みつけている。
やる気は失っていないようだ。
その証拠に、スヴェトラーナは瞼に刺さったフォークを反対の手で掴んだ。
「ぐうぅぅ……っ!」
スヴェトラーナは呻き声を上げながら、フォークを一気に抜き去り、自分の後ろに投げ捨てた。
そして、左目を覆っていた手を下げる。
彼女は、左の目から血と涙を流しながら、それでもネブンを真っ直ぐ睨み、口角を上げた。
背中がぞわりとした。
スヴェトラーナの執念がひしひしと伝わってくる。
その気迫をネブンは直接当てられている。
「ひっ!?」
ネブンは、取り戻しはじめていた余裕が微塵もなくなり、代わりに恐怖が顔に貼り付いていた。
鬼気迫る表情で、ゆっくりとまた距離を詰めるスヴェトラーナ。
恐怖に駆られながらも、逃げることが出来ないネブン。
さっきよりも鋭さを増したスヴェトラーナの攻撃が──
ネブンを切り裂く。
ネブンに突き刺さる。
ネブンを抉る。
スヴェトラーナは目に攻撃を受けたことで、攻撃する箇所に躊躇いがなくなったようだ。
もちろんネブンも抵抗し、スヴェトラーナを突き飛ばし、殴り、蹴り、叫んでいる。
それでも、スヴェトラーナは手を止めない。
ネブンの静止に聞く耳を持たない。
ネブンにされたことを返すように。
顔をガードをすれば腹にナイフが。
腹をガードすれば顔にナイフが。
ネブンの絶叫が何度も響く。
そろそろさすがに、ネブンもスヴェトラーナと同じ体験をして、人のツラさというものを理解してくれただろう。
二人とも見た目はぼろぼろだ。
『
「ネブ〜ン。そろそろ分かったか〜?」
キツく言ったところで意味が無いので、小学生の教師が子供に諭すように、ゆっくりと確認する。
「止めろ止めろヤメロヤメロ!! 早く回復を!! 死んでしまう!!」
……これは分かってくれたのかな……?
僕は、固唾を呑んで成り行きを見守っていたミレルに視線を送る。
すると、すぐに彼女は僕の視線に気付き、首を左右に振った。
ダメか?
「スヴェトラーナはどう思う?」
「続けるべきだと思う」
冷徹に返事をするスヴェトラーナ。
彼女の意見はさっきと変わっていない。
正直、こんなお互い痛めつけるだけの戦いなんて、見てる僕の方が苦痛で、もう止めても良いんじゃ……って思ってしまったけど。
スヴェトラーナの方が、冷静にネブンを見ているってことだと思う。
ネブンに僕の回復魔法という頼る先がある内は、まだ理解をしないってことだろう。
「そのナイフだと、急所以外ならまだ100回ぐらい刺しても死なないから、安全マージンを見て50回ぐらいで止めてくれるかな?」
「分かりました」
僕の要求に、スヴェトラーナの静かな声が返ってくる。
彼女も痛いだろうに、まだ頑張ってくれるようだ。
「おい! ヤメロよ!! もう、ヤメロよ!!」
裏返った声で必死に訴えるネブン。
意に介さず、スヴェトラーナは言葉と共に攻撃を再開する。
「あなたはそう言われて
スヴェトラーナはナイフで突き、更に拳も振るう。
「
痩せたスヴェトラーナの力は弱いだろう。
殴られてもそれほど威力は無く、痛みも少ないと思われる。
それでも、ネブンは殴られる度に悲鳴を上げている。
「止めてくれ……もう、止めてくれ!」
ネブンの声は、段々と懇願するような声になっていく。
ようやくネブンのプライドも崩れてきた。
恐らくあと少しだろう。
「いいえ、ダメです!」
まだ、スヴェトラーナは手を緩めない。
ネブンの声が、もはや泣き声に変わっていく。
「助けてくれ……」
そのネブンの言葉に、スヴェトラーナが手を止めた。
救いを求める言葉をネブンが吐いたことで、納得したのだろうか?
スヴェトラーナは俯いて、荒くなった息を整えているように見える。
ネブンも恐る恐る目を開け、スヴェトラーナの様子を窺う。
スヴェトラーナは、大きく息を吐き出して、力を抜いた。
その様子を確認したネブンも、ホッとしたような表情を浮かべた。
終わったかな?
そう思い、僕も緊張していた筋肉を緩める。
すると、スヴェトラーナはゆっくりとした動作で、ネブンの首にナイフを当てた。
ネブンが再び身体を強張らせ、恐怖の形相でスヴェトラーナを見つめる。
今まで以上に空気が緊迫していく。
感情の見えないスヴェトラーナの表情が、凄味を増していく。
張り詰めた弓のように、最大限に緊張が高まったところで、スヴェトラーナが静かに言葉を発した。
「ここで、死になさい」
言葉と共にナイフが引かれた。
噴き上がる血飛沫が見えた気がする……
実際にはネブンの首に、薄く赤い線が引かれた程度だ。
それでも、ネブンは身体を硬直させて、背中から倒れていった。
気を失ったようだ。
これで、壮絶なお仕置きは、ようやく終わりを迎えた。
僕は、これ以上ネブンに危険がないと判断して、『
そしてまずは、目を閉じて気持ちを落ち着かせているスヴェトラーナへ、『
傷が癒えたことで緊張の糸が切れたようで、スヴェトラーナはその場に座り込んでしまった。
そんな彼女を見ていたミレルが、慌てて駆け寄っていく。
スヴェトラーナのことはミレルに任せよう。
僕は続けて、ネブンへも『
これで傷は回復したから、痛みも全て無くなったはずだ。
後は起こして話をすれば、さすがに分かってくれるだろう。
そう思ってネブンに近付いていくと、ふと違和感に気が付いた。
『
スヴェトラーナは既に緑色なのに、ネブンは赤くなっている。
いや、むしろ、赤が徐々に黒くなって行っている気がする。
僕はネブンに駆け寄り、そばにしゃがんで『
すぐにAR情報が危険な状態が示してくる。
心肺停止状態にあるようだ。
これはまずい。
僕は静かに、析術『
いや、でも、なぜ……
確かに、極限の恐怖や苦痛によってショック死することはある。
これが精神的な死なのか……
でも、ネブンに暴行を受けたスヴェトラーナは、耐えていたのに。
使用人達も同じだ。
なのに、ネブンは……
同じことをされて自分は死ぬなんて……尚のこと腹立たしい。
人の痛みを理解することを放棄して、生命を手放すなんて。
それで死んでしまうなんて……それなら、そんな苦痛を人に与えるなよ!
こんな結果……
イライラする。
もやもやする。
殺さない方法を探したはずなのに……その検討も無駄にされた気分だ。
結局、ネブンは精神的に死んでしまった。
そのことに後悔の念が湧き上がってくる。
救う方法が無かったのか?とまだ考えてしまう。
だからこそ、更に苛立ちが増す。
なぜ……他の方法が良かったのか……?
分からせる方法が他にあったのか……?
やるせない気持ちを抱えたまま、負傷者を治療するために立ち上がった。
すると、気持ちが昂ぶりすぎたのか、起立性貧血のような目眩が僕を襲う。
でもそれも一瞬のことで、頭を軽く振るとすぐに収まった。
疲れているのだろうか? イライラしすぎたのだろうか?
こんな時は、癒しの嫁さんだ。
と思い、ミレルの方を向くと、彼女が口を開けたまま止まっていた。
何か驚くようなことでも起きたかな?
その横では、スヴェトラーナも、涙を流しながら静止している。
何かあった?
いや、良く見ると、彼女達だけでなく、涙すらも空中で静止している。
なんだ?
何が起こっているんだ?
まるで時間が止まったような……
僕がそう認識した瞬間──
「君がこの時代の転生者かい?」
背後から突然、若い女性の声が聞こえてきた。
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