1-017 僕も大切なものは守りたいみたいで
ネブンの部屋は二間続きになっていて、僕は1つ目の部屋で少し待っているように言われた。
こちらの部屋にネブンは見当たらない。奥の部屋にいるのだろう。
僕を残して侍女さんと奴隷少女が、奥の部屋へと入っていった。
ただ待っているのも暇だし、何となくイヤな予感がするので、奥の部屋への入口で聴き耳を立てて中の様子を窺っていると──何かを殴る音と少女の悲鳴が聞こえた!
僕はすぐさま奥の部屋へと入った。
するとそこには、床に転がった少女のお腹を、ネブンが蹴り上げるところだった!
蹴られた少女は悲鳴も出せず床を転がった後、床へ盛大に嘔吐し始めた。
胃を蹴られたか……
「おい! お前!! なんでこいつが吐いてんだ!!」
侍女さんに対して激高を浴びせるネブン。
なんてヤツだ……
侍女さんもその声に身体を強張らせ、すぐさま頭を下げた。
「も、申し訳ございません!」
「床が汚れるから何も喰わすなと言っておいただろうがっ!!」
ネブンは侍女さんの髪の毛を掴み、無理矢理顔を上げさせる。
床を睨んでいた侍女さんの視線が、ネブンの視線と交差する。
「なんだその目は! お前にはたっぷり教育してやったと思ったが、まだ足りないようだなぁ!!」
ネブンは侍女さんの髪の毛を掴んだまま、反対の手を後ろに引き拳を握った。
暴力を振るうことに全くの躊躇いがない。
ホントにどうしようもなく、ゲスな野郎だ。
僕は、ネックレスの魔石から衝術『
性能はシシイの拳を受け止めたことで保証されているし、もちろん魔法実験も繰り返してあるから問題なくネブンの拳ぐらいは受け止めるだろう。
そして同時に『
いくつも同時に魔法が使えて良かった……
僕の掌にネブンの拳が触れる直前、拳の運動エネルギーが消失しその場で停止した。
「なっ!? えっ!? おいっ! 何を勝手に入ってきているんだ!!」
ネブンは不可思議な現象への疑問をすぐに怒りへ変換して、侍女さんを突き飛ばしたかと思うと、今度は僕に突っかかってきた。
少しは怯むと思ったのに、ネブンの怒り変換フィルターが優秀すぎる……
まあ、ネブンが何をしたところで、僕に触ることは出来ないんだけどね。
ネブンは僕のシャツを掴もうとしているが、僕に向かう運動エネルギーが消失してしまうので掴めずにいる。
僕のシャツの前で、手を握ったり開いたりしている姿はなかなかに滑稽だ。
力を入れているのに手が前に進まないし、反力も無いなんて、とても気持ちが悪いだろうね。
腕や手を動かしているつもりが、まるで意思に反して動いていないように感じるだろう。
これを続けていると、最終的には自分がおかしくなったのかと感じる気がする。
ネブンは別の方向へ腕を突き出し
「な、なんでだっ!」
さすがにこんな滑稽な姿を見ていると、僕の気持ちも落ち着いてくる。
「ネブン様、落ち着いてください。彼女は嘔吐などしていませんよ? そんな風に見えてしまうなど、ひどくお疲れなのではないですか? 一度ソファに座られては如何ですか?」
僕は慇懃な態度で告げてから、優しくソファへと誘導する。
優しい力だが、
だから、ネブンは僕に押されるまま、近くのソファへと腰を下ろした。
この魔法、攻撃に使っても凶悪になりそう……人に教えたらダメな魔法だな。
「ネブン様のお相手はわたしがしておきますので、お二人は横の部屋で待っていてください」
「おいっ! 勝手に命令するなっ!!」
僕が軽く押さえたままなので、ネブンは手足を振り回して叫ぶだけだ。その手足も僕には届かない。
「ほら、動けないほどお疲れじゃないですか。少し落ち着かれた方が良いですよ」
彼女らが責められる要因を作ってしまったのは僕だし、僕が責任を持ってお相手しよう。
ネブンは僕に用事があって呼んだらしいし、僕が聞けば問題無いはずだ。
「お前!! 何をした!?」
「何もしておりませんよ。ネブン様、目の下にクマが出来てますよ? 昨晩あまり眠れていないご様子ですし、思った通りに身体が動かせていないだけではないですか?」
クマがあるのは本当だから、ホントに眠れていないのだろう。
昨日は僕相手にイライラしすぎたんじゃないかな?
「ベッドの方がよろしいですか?」
そう言って、僕は身体をネブンの前から退けてから、ネブンに翳していた手を引っ込めた。
ネブンは突然動けるようになってしまい、ソファから立ち上がる勢いが余って、そのままベッドへ転がり込んだ。
そして僕は、うつ伏せでベッドへ沈んでいるネブンの首筋に手を翳す。
これで起き上がることが出来なくなるだろう。
「う、動けん!? どういうことだ!!」
叫び声だけ元気だな。
とりあえず動けなくしたので、これで余計な被害を抑えることが出来るだろう。
とりあえず、女性2人には退室してもらった。
このままずっと押さえておくのもバカバカしいから、何か考えないとね。
「人は限界に疲れると、いくら意識して動かそうとしても身体を動かせなくなるんです。その場合は、しっかり寝て休養を取られた方が良いです」
正確ではないけど全てが間違いじゃない説明をして、ネブンを押さえ続ける。
あー、そうか、寝てもらったら良いのか。
丁度朝にその為の魔法を使ったところだし。
その前に、話しだけは聞いておかないと。
「わたしがご用命を果たしている間に休んでください」
「そんなわけあるか! オレは疲れてなどいない!! お前が何かしているのだろう!?」
うるさいし面倒くさいな……少し先に落ち着いてもらわないと話しも出来ない。
極々弱い効果で析術『
睡眠薬と同等の効果を安全に発揮させるための魔法みたいなので、鎮静薬としても利用できる。
ちなみに、犯罪防止機能付きらしいので、危害を加えようと思ったらすぐに起きるし、そのまま眠り続けると危険な場合は効かないらしい。
どんな作用なんだろうね……
ゲームではどうだったか分からないけど、現実ではあくまでも安静にさせるためだけに使われる魔法みたいだ。
「それで、わたしに命令したいこととは?」
押さえたまま静かに問いかける。
「村の女を連れて来い」
魔法が効いたのか、落ち着いた声でネブンが答えた。
指定は女だけかよ……女性ならお年寄りでも良いのか?
こんなやつのところには、男性でも連れて来たくないけどね。
目的も推して知るべしだろうけど、一応聞いておこう。
「わたしの感覚では、ネブン様も次期領主として、この村の現状が知りたいとお考えと存じます。そのため、村長の言葉ではなく村民の言葉を直接聞きたく、一個人をここに呼びたいと。ですので、畑仕事をしている高齢の女性が適任かと思います。連れて来ればよろしいですか?」
一瞬、ネブンの怒気が高まり、また魔法の効果で沈静化されたのが、ネブンの動きで分かった。
「そんなわけがないだろう。お前はバカか? 昨日見た、ダマリスとかミレルとか言った、ああいう女を連れて来いと言っているのだ。理由は分かるな? それぐらいは出来るだろう?」
えーっと……永眠?
あっと、心のままに単語が思い浮かんでしまった。
聞かなかったことにして良いかな?
「オレは少し寝る。しっかり夜に相手してもらうから、日が傾く頃には連れて来いよ」
あー、はいはい、ずっと寝ると良いよ。
僕は『
これで一日ぐらいは寝てくれるとは思うけど……
長時間寝かせるには点滴を一緒に使う必要があるから、一日で我慢するしかない。
とりあえず──
何言ってんのコイツ?
え? 何言ってんのコイツ!
はあ?? 何言ってんのコイツ!!
ミレルを寄こせ??
寝言は寝て言え!!
もう寝てるけど!
さすがに僕も怒りが湧いてくる。
寝ているネブンを殴りたくなってくる。
いや、元々怒りはあったけど、明確に排除したい気持ちが形を成していく。
それは、イヤな上司と差があるだろうか……
イラッとするという点では何も変わらない。
だから、今の段階ではまだ踏み止まるレベルだろう。
だけど、もし本当にその魔の手がミレルに及んだら?
『よほど恨むような事態になれば』の答えがこれか。
自分をまだ分かっていなかっただけだ。
確かに、カッとなってやった後悔はしていない、なんてことになりそうだ。
現段階では実害を
いくら人が死ぬのは怖いと思っていても、たぶん怒りにまかせれば僕も人は殺せるのだろう。
怒りが発生した要因の一点だけを見て、それ以外に何も考えないからだ。
転生前はそこまで感情的にならなかっただけのこと。
ナイフで刺したり切ったりする想像をしたら、その結果を考えて怖くなる程度に冷静だっただけ。
これは僕の中で、ミレルという存在が出来たから、転生前から変わった部分だと思う。
それほどに彼女の存在は、僕の中で大きいらしい。
彼女がいなくなることや傷付けられることへの恐怖が、他の人を傷付ける恐怖を超えるんだ。
これは一つの解として僕の中に刻んでおこう。
最悪の事態にならなければ、問題なく僕は僕のままでいられると思う。
ミレルを守るためなら、領主と対立しようが構わないけど、対立したいわけじゃないし、それは避けたいと思っている。
ぶっちゃけ、僕はこの村から彼女を連れ出して逃げても良いわけだし。
救いたい者を誤るつもりは無い。
そのぐらい、今の僕にとってはミレルが可愛い。
村を出るなんて話しは、僕の独断で決めるつもりはないし、恐らくこの村の為に頑張ってる彼女は、出て行くなんて答えを出さないだろう。
だから僕は、その最悪の事態にならないように動くべきだ。
ネブンがミレルに手を出せないように、完璧に守れば良い。
これは必須の項目で、可能な限り、他の人も傷付かないようにしなければならない。
奴隷少女や侍女さんは、直接的に暴力が振るわれる場面を目撃したわけだし、ほっとけないのは確かだ。
優先順位は間違えないけど、切り捨てるつもりももちろん無い。
しっかり考えて少し落ち着いてきた。
まずは、
村長としても村民が傷付くのは見過ごせないだろう。
一番良い解決策は、ネブンをまともな人間にすることだ。
あのネブンが対象となると、洗脳意外の方法が思い付かない……後で洗脳に使えそうな魔法を探しておこう。
「あの……? 静かになったみたいですけど、どうなりましたか……?」
侍女さんが不安げに部屋へ戻ってきた。
「ネブン様は眠っていらっしゃいます」
僕は思考を切り替えて、まずは彼女らの身の安全を考えることにした。
そのためには、協力者が必要だね。
「侍女さん、相談したいことがあるのですが……少し隣の部屋でお話しさせてください」
そう切り出して隣の部屋へ移動し、奴隷少女の衣服や口内を洗浄し、もう一度カロリーバーと水分を与えながら、僕は侍女さんにネブンの現状を説明した。
そして、侍女さんからは普段のネブンの態度や行動を教えてもらった。
先ほどの僕とネブンのやり取りからも分かるように、基本的にイライラしていて、無駄な命令を出したり暴力を振るったりするらしい。
酒で酔うと更に悪化するとか。
落ち着いていてやることがないときは比較的マシで、惰眠をむさぼっていることが多いようだ。
聞けば聞くほどに救いようがない人物だ。
因みに2人の名前は、侍女さんがコリーナ、奴隷少女がスヴェトラーナだった。
コリーナさんは長くネブンに仕えているらしく、ネブンをどう扱うのが良いか一番良く分かっているみたい。
スヴェトラーナに対しても、過去の経験から一番被害が少なくなるように配慮をしていたらしい。
食事を取れそうなときに与えてしまい、健康的に見えたらより暴力が酷くなるとか。怪我も治療してあると、ネブンはより傷付けようとするらしい。
どこまでも外道だな。
ということで、まずネブンの怒り状態を沈めるべく、コリーナさんには、弱い『
起きているときは基本的に傍に居るみたいだし、コリーナさんが適任だろう。
魔石はなるべくバレないような場所──コリーナさんの靴内の邪魔にならないところに貼り付けた。
これで怒りと他の欲のコントロールが出来れば良いけど、スヴェトラーナが呼ばれるときは、コリーナさんも下がらされることがあるみたいなので、別の対処が必要になりそうだ。
スヴェトラーナの方は、ネブンからの奴隷の扱いはさすがに変えられないというので、申し訳ないけど多少は相手をすることになるようだ。
コリーナさんがネブンを沈静化させるから、今までみたいな酷い扱いよりはマシになるとは思う。
『
彼女もあんまり痛くなくて怪我が治るなら、ツラいけど我慢すると言ってくれた。
健気だね。
だから、一番気付かれない場所──首輪の内側に魔石を貼り付けた。
付与する魔法は3つ。
強い『
ネブンと二人になったら眠らせて、万が一怪我をしたらネブンが寝てから治療する。
そして、眠らせたら触れることなくすぐに退室すること。
これらのことを実際に魔法を使って、発動したり体感してもらいながら説明した。
充分に魔法の凄さも怖さも分かってもらったところで、釘を刺しておいた。
魔法に関しては他言無用。
ネブンの耳に入ったら、何をしでかすか分からないからね。
そして、解決したら魔石は回収することにした。
認証機能付きだから本人にしか扱えないけど、ネブンみたいな悪いヤツらの手に渡ったら悪用されかねない。
彼女達が頑張ってくれている間に、僕は村長達と早急に『ネブンをまともにする計画』を考えないと。
そして僕は、村長と領主を捕まえるべく、温泉に急いだ。
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