記憶喪失
解体した緑の獅子から、エーテル機関を取り出したムジカは歓声をあげた。
「いよっしゃあ無傷! これで3ヶ月は暮らせるぞ!」
そもそもケーブルや散らばっている流動金属はもちろん、外装ですら再利用されるため本来ならば売れないところなどないのだが。
「もって帰れないもんはしょうがないからな。これだけきれいに機関部をとれれば十分ってもんよ」
ムジカはふんふんと鼻歌を歌いながら、ペチコートを切り裂いて作った鞄へ突っ込む。
心臓部に厳重に守られているエーテル機関は、携帯工具だけでは取り出すのも一苦労なのだが今回はとてもスムーズだった。
その理由は。
とりあえずやることがなくなってしまったムジカは、ようやくぼんやりと立ち尽くしている青年人形に向き直った。
今の今まで現実逃避をしていたとも言う。
獅子型
「ブレードは必要ありませんか」
「お、おう」
どういう態度でよいかわからずに、返事はぶっきらぼうになってしまったが、青年は気にした風もない。
ムジカがなかなか装甲をはがせず困っていたときに、この青年人形に提案され許可を出したのだ。あれだけ苦労した装甲をあっさりと、バターのように切り裂いていくのには驚きつつも大変作業がはかどったのだが、残念ながら現実逃避する時間が短縮されてしまった。
しかしながら対話をしないことには始まらないと、ムジカは適当な機材に座って、青年人形を見上げた。
訊かねばならないことも、確かめなねばいけないことも沢山ある。
「……おい」
「はい」
「おい何で床に座る!?」
平静に話そうと決めていたムジカの覚悟は、青年人形が当然のように床へと膝をついたことで砕け散った。
青年人形は美しい顔をぴくりとも動かさずに返してくる。
「
古代の神々のようなゆったりとした衣服に包まれるその姿は、完璧に整えられた造作と相まって、羽がなくとも十分に浮き世離れした神秘的な雰囲気を醸し出している。
生まれたときから下級層で暮らし、貴族と聞けば顔をしかめ警官をみれば鼻を鳴らす環境で育ってきたムジカだ。かしずかれることに縁があるはずもなく、ものすごく居心地が悪かった。
顔をしかめつつムジカは、さらに言いつのる。
「座るんなら適当ながらくたの上にしてくれ」
「『適当ながらくた』の定義をお願いします」
「そんなもんそこらの……」
と、言いかけて、ムジカは彼が
ムジカにとって適当に決められることでも、指示を与えられなければ定義できないのだ。どれだけ外見上は人間に似ていても、これは
ものすごく面倒で、頭をかきむしりたくなったムジカだが、こんなところで躓いては話が始まらなかった。
「立っていても疲れないか」
「はい」
「なら立っていてくれ」
「
また、背筋にぞわぞわしたものを覚えつつも、予備動作もなく立ち上がる青年人形を見上げて、ムジカはようやく本題に入った。
まず気になることは、先ほどから何度も出てくる単語についてだ。
「なあ、なんで
先ほどまでは聞き間違いかと思ったが、この青年人形は確かにムジカのことを
というより、
「指令権をもつ存在を
「えーとじゃあ、お前の機体情報と基礎概念、記憶している
基礎概念とは、
人間で言うなれば、本能のようなものであり、使用人型
機体情報と基礎概念がわかれば、正体不明の
だが、ムジカの期待は、青年人形の次の言葉で打ち砕かれた。
「機体情報、欠落。基礎概念『守護すべし』」
青年人形のあまりにも簡素な回答に、ムジカは顔を引きつらせた。
機体情報は、基本的な自己紹介に当たる。
それが欠落していると言うことは。
「何もわからないのか。ここにいた理由も? 自分が稼働前だったのか再起動後なのかも?」
「休眠状態に移行した記録がありますので、稼働歴があったと類推しますが、管制頭脳の記録領域に大きな欠落を確認しています。具体的な休眠時間および休眠状態が解除される以前の情報を開示することができません」
「まさかの記憶喪失……」
ムジカは途方にくれて頭を抱えた。
最短距離で青年人形の仕様を把握する方法がなくなった。あとは会話や機体のパーツから一つ一つ類推するしかない。要するに面倒くさい。
「お前、個体名称も覚えてないのか」
「該当する単語は『ラストナンバー』、とだけ」
よどみのなかった青年人形の回答に、わずかに乱れが生じたことも、自分の衝撃を飲み込むことで手一杯だったムジカは気にすることができなかった。
「ですが、敵性機体の情報は多数残存。竜型規模までの撃墜手段を確立しておりますので、戦闘用機体であったと類推します」
「安心要素一切ねえ!」
それは「守護すべし」というより「殺すべし」という方が基礎概念として正しいのではないか。
ムジカははじめ彼が「黄金期の遺産」ではないかと考えていた。
この遺跡でまことしやかに噂されるお宝だ。
曰く当時激戦区だったこの地域のどこかに巨竜型が眠っている。
曰く一生取りつくせないエーテル結晶の貯蔵がある。
曰く
この青年人形も獅子型を無力化する鮮やかな手際から、戦闘用の
が、
ほとんど情報を与えられていないということは、それだけ手間を惜しまれたとも考えられる。特攻用としても使われていた機体なのかもしれない。
つまり、どう考えても訳あり機体。
主人登録をしたことは、生きるために非常措置だったから後悔はしていないが、予想以上に面倒なものを拾ったのではないか。
ムジカのおののきなど意に介さず、青年人形は淡々と続けた。
「
最上位指令権というのは、
あらかじめ設定された
そのあたりは
「じゃあその、
「解除法はありません」
「……は?」
解除法がない?
間の抜けた声を出したムジカだったが、無情にも青年人形は続けた。
「
「いや、ちょっと待て、つまりお前から自由に破棄できるってことか!?」
「いいえ。一度登録した後は、俺が機能を停止するまで最上位優先事項として存在し続けます」
「なんだよ意味あんのかそのぶっ壊れ機能!」
ようやく
つまり青年人形はこう言っているのだ。壊れるまでムジカのそばにいると。
大体ある程度自由に命令権を委譲できなければ、
命令には従順に忠実に。それが
にもかかわらず、この人形が言う
ようするに、一生つきまとわれる。
この話し方から察するに、おそらく青年人形の基準で歌姫は指揮者よりも上位に設定されている。この深層から脱出すれば登録を解除し、適当な
「うわあ、まじか。こんな目立つもんどうすりゃいいんだよ……」
「俺を壊しますか」
出し抜けに言われたムジカはぎょっとして、青年人形を振り仰ぐ。
青年人形の銀の髪に彩られた美貌には皮肉もおびえも一切読み取れず、紫の瞳だけが静かに見返している。
そこで、人形の瞳の色が赤から紫に変わっていることに気がついた。
だが心の内を見透かされたような気がしたムジカは、乾いた気がする喉につばを送り込んだ。
「なんで、いきなりそんなこと言うんだよ」
「俺は提案できますが、指令がなければ行動はしません。
「……なら、やるんじゃねえ」
「了解しました」
今は解除の方法がわからずとも、専門家に当たれば対処の仕方がわかるかもしれない。
このまま所有するという考えは、はなから頭になかった。
なぜなら、ムジカには
ともあれ、まずはこの深層から抜け出すことが最優先だと無理やり思考を切り替えたムジカは、青年人形に向けて告げた。
「とりあえず、あたしはムジカだ。
「『ムジカ』登録しました」
「お前は、そうだな、ラストナンバーだっけ」
「はい」
「長えからとりあえずラスな。次からはそう呼ぶ。呼んだら反応しろよ、ラス」
「了解しました、ムジカ」
懐中時計を見れば、昼を少し過ぎたところ。ここがどの地点にあるかわからないが、丸一日で外に出られることを祈ろう。
休憩も終えたムジカは立ち上がると、布にくるんだエーテル機関を背負う。
そして歩き始めようとして、道連れがいることを思い出した。
「ついてこい、まずはここから地上に出るぞ」
「はい、ムジカ」
律儀に返事をしてついてくるラスの姿は、まるで迷子の中で保護者を見つけた子供のようだと思いつつ。
ムジカはブーツのかかとを鳴らして部屋を後にしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます