第一章・いきなりバトルの異世界生活~ICHIJI‘S view②~

 いや、ホント、手ぇ痛い。

 すごく痛い。


 なんなの、あのライオン?……みたいなやつの体。

 鉄板並みに硬かった。 


 「……ななな、ななななな……」

 

 声のする方に振り返ると、アルルが只でさえ大きな瞳をもっと大きく見開いていた。

 

 「……なななななな」

 

 「な?」

 

 「なんなんですの、あなた!?」


 「だから君こそ毎回なんなんだよ」


 「なんなんですの!?何をしたんですの!?なんであれがあそこであのようにああなってますの!?」


 「指示語がくどい」


 きっとあのライオンが横倒しになってピクピクしているのを言っているのだろう。

 

 「まぁ、殴ったのかな?」


 「なぐっ!?」


 「えらく硬かった」


 「かたっ!?」


 「おかげで一発殴っただけで痺れちゃったよ」


 「しびっ!?」


 「……ペポロパニパンニョロンペソ」


 「パニっ!?」


 「そこ抜き出すかぁ」


 『ニョロ』あたりかと思ったのに。

 ルールがわからない。

 

 「…………ゥゥゥゥゥ……」

 

 時間切れか。案外早かったな。

 

 「とにかく、安静にしてな」


 「……ふぇ?」


 「あとこれ、預かっておいてくれる?」


 俺は戦闘に備えるために脱いだ制服の上着を、彼女の肩にかける。


 ついでにネクタイを外し、木の枝でも刺さったか、えぐられて裂けてしまっている左モモの傷の上にきつく巻きつけて止血する。

 

 男物の上着一つでスッポリと覆われてしまうほどの小さな体。

 

 消耗しきって今にも崩れ落ちてしまいそうなほど細く頼りない体。

 

 必死で俺のこと守ってくれたのだろう。

 

 「い、イチジ様……だめです……行っては……だめ……」

 

 ……ありがとうな。

 

 「……ゥゥゥゥゥ……ガウッ!」


 「喚くなよ。今相手してやるから」

 

 背中にビンビンと、剥き出しのままの荒々しい殺気が突き刺さる。

 

 そりゃ、憎いだろう。


 脚やら角やらプライドやらを持っていかれたボロボロの体。


 追い打ちのように頭を殴られ、脳震盪を起こしてフラフラの体。

 

 お前も必死だったんだろう。

 生きるか死ぬか、そんな戦いを真剣に繰り広げていたんだろう。

 

 お前はお前で守るべきものがあるのかもしれない。


 この差し迫る死の予感に、懸命に抗っているのかもしれない。

 

 だけど、悪い。

 

 俺は俺で、守らないといけないお姫様がいるもんでね。

 

 「グアウゥゥゥ!!」


 「…………」


 キィン!


 俺は携帯していた伸縮型の特殊警棒を手に、ガウガウ噛みついてくるバケモノの牙をいなす。


 それで相手の体が流れたところで、こちらはすかさず折れた二本の角の間、眉間に向けて警棒を振り下ろす。

 

 「ガウゥン!」


 ヒット。


 しかし、硬い。


 骨なのか皮膚なのか体毛なのか、それともそのすべてなのか。


 とにかく急所の一つと思しき場所を叩いてみても、力負けして有効打にはならない。


 「グアァァゥゥゥゥ!」


 「…………」

 

 分析。

 

 右脚を失ってバランスが取れない以上、あの左脚の爪のことはあまり考えなくていい。


 おそらくもっと立派なイチモツが生えていたであろう折れた角に至っては端から論外。


 警戒すべきは太く鋭い牙。

 

 その巨体から言って、全体重を乗せた突進なんてものもあったかもしれないが、どうやら先ほどの脳震盪とそもそも負っていたらしいダメージのせいで、さっきから後ろ脚の踏ん張りが利いていない。


 「フゥゥゥゥゥグガァァァ!!」


 「…………」


 筋肉各部位の発達の仕方を見れば、明らかに本来のパフォーマンスを発揮できていない。


 これは相当に削り取ったな、うちのお姫さま。


 おかげで動きはそれほど早くなく、攻撃の幅も狭まって、たいそう戦いやすい。


 「ゥゥゥゥゥガグゥゥゥゥ!!!」


 「…………」


 粗い。


 「グガァ!」


 まぁ、そうだよな。


 思うように動けない。

 その体の扱い方に脳が慣れていない。

 

 もどかしい。

 情けない。


 「ウガアゥ!ガウゥ!ガルゥゥゥ!!!」


 苛立たしい。

 腹立たしい。


 「ウガゥゥアアアァァァァ!!!!!」


 こんな体にした俺たちが憎らしい。

 こんな自分の体たらくが憎らしくて仕方がない。


 「グガァァ!」


 「…………」

 

 噛みつきがくる、いなす、叩く。


 噛みつき、躱す、叩く。


 苦し紛れの爪がくる、苦も無く躱す、思い切り叩く。


 爪と牙、遮二無二な攻撃がくる、あっさり躱す、思い切り叩く。


 捨て身ののしかかりがくる、その一瞬の溜めを見逃さず思い切り叩く。


 体が傾ぐ、前屈み、無防備に首を晒す。


 振りかぶった警棒を、先ほどから狙い続けている眉間へと渾身の力で叩き込む。


 「……せぇい!」


 バキィィィン!!


 「グモォォォォォォ!!!」


 クリティカル。


 眉間の肉が裂けて血が噴き出す。

 警棒の先が折れて飛んでいく。

 

 巨体が沈む。

 ズシンと重々しい音をたてて、巨体が大地にひれ伏す。


 「……やった……?」


 アルルが呟く。

 

 まだだ。

 

 まだコイツの殺気は全然衰えていない。

 コイツの生への執着心はこの程度じゃ屈しない。

 

 だから最後の悪あがき。

 俺に噛みつくべく上体を起こし、大口を開けようと筋肉がピクリと動く。


 「…………ゥガウ!」


 「……だよな」

 敵が動き出すその直前。

 『静』から『動』へと移行するその閑間。


 折れた警棒を逆手に構え、全力で眉間に開いた裂傷部に突き立てる。


 新たに血潮がほとばしる。


 とはいえ皮膚の下もかなりの硬度で、刺さり方が浅い。

 

 しかし予想通り。

 

 故に追いうちはキチンと用意済み。

 

 突き刺しを行うと同時に力をかけた方向へと流していた体を逆らわずに回転。


 その慣性、その遠心力のすべてを流れのまま振り上げた脚へと乗せ、突き刺さった警棒の持ち手部分に繰り出して……押し込む!


 渾身、会心の空中回し蹴り。空手で言えば旋風脚というやつか。


 パギィィン!!!


「グモォォォォォォォォオオオオオオオ!!!!!」


 手ごたえあり。


 筋肉を破り、頭蓋を割り、脳しょうを穿った警棒が、敵の眉間に埋没している。


 慚愧の雄たけびを最後に余力を使い果たしたバケモノの体が反射で跳ね上がり、そのまま自重に耐え切れず仰向けになって倒れていく。


 ズズン!


 腹を見せ、ピクピクと全身が震える。


 気は抜かない。

 決して気を抜いてはいけない。


 それが意地汚くも生き残る、大事なコツの一つ。


 戦いは常にインプレイ。


 生死の有無が勝敗となる殺し合いならば尚の事。


 最後の最後まで何が起こるかわからない。


 そして何より、相手は未知の生物。


 確実な死がコイツに訪れるのを見届けるまで、油断も勝利の余韻も必要ない。


 あるいは矛を向け合った時よりも気を張っていたくらいかもしれない。


 神経を静かに研ぎ澄ませる。

 

 ……ん?……なんだ?


 バケモノの体から何か気体が立ち上る。


 キラキラと、モヤモヤと。


 バケモノの体の線に沿うように、鮮やかな虹色の気体が立ち上る。


 モヤはある程度の高さまで昇るとそこに球体となって留まり、後続を吸収して膨張する。


 ……なんだ?


 警戒のレベルを数段階上げる。


 追撃か逃走か。


 気体の正体を確かめるよりも、その判断をいち早く見極めるためだけに集中力を使う。


 ただ……。

 

 敵意のようなものはまったく感じられない。

 だからと言って善意を感じるというわけでもない。


 言ってみればまったくの『無』。

 意思や指向、質量すらない。『有る』けれど『無い』。


 そんなものだ。


 やがてバケモノから何も昇らなくなると、球体は最後のモヤを吸収し、そのまま静かに弾け飛んで虚空へ消えていく。

 

 そしてバケモノの痙攣が尻すぼみに止み、ピタリと静止した。

 

 俺は警戒を緩めずにそいつに近づいて生存確認をし、完璧に事切れていることを確かめてからようやく肩の力を抜いた。


 勝利の瞬間だった。

 

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