第83話 人

「どうしたんや、アニキ!」


 アニキが椅子に座ったまま前かがみになってて、顔を歪ませ両手で腹部を押さえてる。


「だ、大丈夫。ちょっと胃の辺りが、少し痛くなっただけだ。すぐに治まるから……」


 そう言いながら、アニキは更にかがみ込みデスクに額を打ち付けた。


「アニキ!」


 俺は急いで駆け寄りはしたんやけど、どうしたらええのかわからず、アニキの背中を摩ることしかできへんかった。


 アニキは全身の筋肉に力を入れ、痛みに耐えている。


「アリア! アリア!」


 隣の部屋にいるアリアを大声で呼んだ。


「どうしたんですか、そんな大声で? あっ、ハルヤ……」


「アリア、急いで救急車を呼んでくれ!」


「マシュー、大丈夫だって。いつも数分で治るから」


「アニキ、何言うてるんや。アリア救急車を早く!」


「はい……」


 必要ないと言い張るアニキを力ずくで救急車に乗せ病院へ。


 結局アニキは、そのまま入院となった。


「とりあえず点滴をして、明日精査しましょう」


 医師はそれだけを言うて、部屋を出て行った。


 アニキは今も顔をしかめている。


 玲奈がスーパーコンピューター『Titan』のあるオークリッジ国立研究所に行っている時でよかった。


 アニキのこの姿を見たらきっと酷く取り乱してしまうやろう。


 俺はみつきさんにも連絡はせえへんかった。


 原因が分かるまでの、このどうしようもない不安を二人には感じさせたくない。


 でももしアニキに何かあったら、玲奈やみつきさんだけではなく、俺も感情をコントロールできる自信はない。

 

 たいしたことなかったらええんやけど……。


 鎮静剤が効いてきて眠り始めたアニキの顔を見ながら、俺のの頭の中には腹痛を伴う嫌な病気の名前が次から次と出てきてしもて、一睡もできずに朝を迎えた。



 内視鏡室に入って行くアニキを見送ったその後に、俺の中に一つの疑問が湧いてきた。


 今、みんなで必死にOKOGEを絶滅させようと頑張っている、身体を壊してしまう程。


 でももし、検査の結果、末期癌やったとしたら。


 俺は、PAA with sugarとOKOGE Type Squadを使ってでもアニキに生きていて欲しい、きっとそう思ってしまう。


 でもアニキは、使わないと言い張るやろう。


 せやけど、玲奈やみつきさんはそれを許すやろうか。




「もう少しで穴が開いてしまうところでしたよ」


 胃カメラを終えた医師が検査室の前で待ってた俺の顔を見るなりそう言うた。


「えっ、それって……」


「胃潰瘍です。もう少しで穿孔してしまうところでした。どうしてこんなになるまで放っておいたのですかね。凄く痛かったはずなのに」


 医師は呆れた顔をしてそう言うた。


 きっと、研究の手を休めたくなくて、誰にも言わず黙ってたんや……。


「じゃあ胃癌とかでは……」


「はい、いまのところ。典型的なストレス性潰瘍です。一昔前なら手術が必要なくらいの。今はいい薬ができているので、少し落ち着けば数日で退院できますが、気を付けてあげて下さいね。環境が変わらなければ再発を繰り返す可能性が高いので。そうなれば胃癌の発生にも関係してきますし」


 おそらく、アニキの受けてきたストレスは想像を絶するものやったに違いない。


 同じ状況に置かれた場合、真面目な人ほど大きなストレスを受けてしまう。


 退院しても、アニキの置かれる環境は変わらへん。


 きっと全力でOKOGEに挑み続けていくはずや。


 アニキの為にも、一日でも早く抗OKOGE酵素を完成させんと……。






 人は人のことを好きになると嘘をつく。

 その人に嫌われたくなくて。

 その人に心配をかけたくなくて。


 そして、その人を求めてしまう。

 苦しい程、激しく。



 OKOGEはまた少しずつ広がりを見せていった。


 それを恐れた人々は、更に感染者を排除しようとし。


 排除された人々は肩を寄せ合うようになる。


 社会から弾き出された人々を宗教団体が取り込んで、その勢力を拡大、OKOGE感染者には資産家も多く、それぞれが独自のコミュニティを形成していった。


 迫害された者は、迫害した者を憎む。

 酷い目に遭えばいいと。


 だから、誰も抗HIV薬を使用しないのだ。


 守らなければならない人が、愛する人がいる者、以外は。






「みつきさん、その腕どうしたの?」


 僕のために、お粥をよそおうと伸ばしたみつきさんの腕にアザができていた。


「ちょっと戸棚の中を整理していたら、缶詰なんかがいっぱい落ちてきて……」


「缶詰って……。ちょっと見せて」


「大丈夫です」と嫌がるみつきさんの袖を無理やりめくり上げると、そこには痛々しいアザが驚くほど沢山できていた。


「本当に缶詰なの?」


「はい。玲奈ちゃんちの戸棚、凄く高い所にあるから……」


 みつきさんはそう言い張ると、僕の追及を避けるように「いただきます」をした。




 そしてその三日後にやってきたみつきさんは、おじやをよそう時に自ら颯爽と袖をめくり上げ「ほら見て下さい」と自慢気な顔をした。


「あっ……」


 あんなに腫れて紫色になっていた腕が、元の真っ白な美しい腕に戻っていた。


「ね、御影さん。OKOGEの力は凄いでしょ。OKOGEは悪い事ばかりをするわけじゃないのです。それを忘れないで下さいね。OKOGEは沢山の癌患者さんの命を助けてきたのですから」


 そのことは知っている。


 でも、助けた数以上の命を今も奪い続けているんだ。


 だから早く葬り去らないと。


 もう少し、もう少しなんだ。






 玲奈が、人の免疫細胞に異物だと判断されないようデザインした抗OKOGE酵素の設計図を持ち帰ってきてくれた。


 いよいよ次は、人への投与を試みる。


 僕達は、慎重に間違いの無いよう、新しい抗OKOGE酵素を合成し始めた。


 同時に、このテストに協力をしてくれる感染者を探さなければならない。


 だが危険を伴うこのテストは、田神製薬の人達にも無理強いできない。


 OKOGEは寿命を削りはするが、今日明日に死ぬわけではないのだ。


「公募してみましょうよ」


 アリアのその一声に、全く期待しないまま公募をしてみると、驚くことに数十人もの人達が集まってきてくれた。


 皆、PAA with sugarとOKOGE Type Squadによって癌を克服した人達だった。


 助けてもらった命を今度は人のため使いたい。


 それでまた自分の命が伸びる可能性があるのなら是非協力したいと。


 とても有難かった。


 人の気持ちに心から感謝した。




 投与試験は大学病院の一室を借りて行った。


 全ての検査が正常で最も年齢の若い男性を選び、ごく少量の抗OKOGE酵素を静脈から投与することにした。


 僕は本人の承諾を得、同席させてもらった、マシューと玲奈とアリアと共に。


 何かあった時、すぐに蘇生できるよう、しっかりとしたルートを取って、いつでも挿管し人工呼吸ができるよう救命セットを脇に置き、除細動器も用意して。


「では始めます」


 医師が患者と目を合わせうなずき合うと、ルートの側管に抗OKOGE酵素の入った注射器を取り付け、その押し子を最後まで押し込んだ。


 僕は息を飲んだ。


 玲奈とマシューは目を見開き、アリアは目を閉じ、声を出さずに祈った。


 アナフェラキシーが起こりませんように。


 酷い急性反応が起こりませんように。


 蛋白質でできている酵素は、体の中に入るとどんな反応を起こすかわからない。






・ルート(注射薬などをすぐに血管内に投与できるよう、血管に刺入した針をしっかりと固定し、生理食塩水など人に作用を起こさない点滴を繋いだチューブ)

・除細動器(不整脈の一種である心房細動を除くための機器。AEDはこれを簡易化したもの)

・アナフェラキシー(急劇に起こるアレルギー反応。死に至ることも多い)





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